家で飼っている猫について

先日、家で飼っている猫が息を引き取りました。
オスの黒猫で、名前は「ジーコ」です。

ジーコ

はっきりとした死因はわからないのですが、おそらく老衰で、天寿を全うしたのではないかと思います。

なぜなら、数えてみると我が家に来てから19年も経っており、それを人間の年齢に換算すると100歳近くになるためです。

むしろ、「よくここまで生きた」と言っていいかもしれません。

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さて、彼(という三人称を使うのは適切なのかわかりませんが)の昔のことを少し書いてみます。

彼は野良猫として生活していたところを、僕の母親の友人に拾われ、しばらくしてから僕の母親が貰い受けたという経緯があります。

子猫の頃
子猫の頃

彼はもともと映画「魔女の宅急便」に由来するジジという名前でした。

しかし、我が家に来たときに「それではあまりにもありきたりだ」という理由で、ジーコという名前に変更されました。

由来はもちろん当時Jリーグで活躍していたサッカー選手です。
(既にこのときには引退していたかも?)

後から日本代表の監督に選ばれたことを考えると、先見の明があったのかもしれません。

彼は野良猫歴が長かったせいもあるのか、大変な人見知りで、家に知らない人が来ると、こそこそとベッドの下などに隠れていました。

そんなかわいらしい一面もあったのですが、実は、僕は彼のことをあまり好きではありませんでした。

なぜなら、僕にとって彼は非常にうっとうしい存在で、なかなか心を通わすことができなかったからです。

例えば空腹になると「餌をくれ、餌をくれ」と大声で鳴くし、やりすぎるものならゲロゲロと吐きます。
そんな姿を見た僕は「吐くならそんなに食べるな!」と思ってしまいました。

フローリングの床の上に吐いた場合は、まだそれほど処理も難しくないのですが、一度僕のカバンの上に吐いたときは、僕は思わずプッツンしてしまいました。

僕はどうしてもそれが許せず、ひどい言葉を浴びせてしまったことがあります。

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そんなうっとうしい彼が、最後のほうになると二週間ほど餌も水もほとんど口にせず、じっと動かないままだったので、とても哀れに思いました。

こういう状態になると、かえってあのうっとうしさが懐かしく思ってしまいます。

もしかしたら、盛岡に行くため一日家を空けてしまったのが、彼にとって最後の大きなダメージになったのかもしれません。

ですが、もう以前からかなり老いが目立ってきていたし、遅かれ早かれこうなってしまったのではないかと思います。

最期は風呂場で動かなくなっていました。
元気なときは全く風呂場に立ち入ることは無かったのですが、不思議なものですね。

母親は亡骸をタオルにくるんでダンボールに入れ、その上に庭に咲いていたアジサイを添えました。

しばらくすると連絡していた業者の人が来て、彼を引き取って行きました。

ちゃんと火葬してから埋葬してくれるそうですが、お墓参りができるのかどうかは、調べてみないとわからないそうです。

まだ彼のトイレや餌の皿はそのままの状態になっています。
片付けるのは、まだ先のことになるかもしれません。

ばいばい、ジーコ。

かまぼこ板に描いた絵
かまぼこ板に描いた絵

Keisuke

人物水彩の授業

先日、セツで人物水彩の授業がありました。

人物水彩の授業は、これが二回目です。
先月に一度描いたのですが、そのときは納得のいく仕上がりにならなかったため、うまく記事がまとまりませんでした。

セツには三つアトリエがあり、人物水彩の授業の時には、それぞれの部屋にモデルさんがポーズを取ってくれています。

生徒はその中から好きなモデルさんを一人選び、その人を約三時間(途中で三十分の休憩を含む)かけて描いていきます。

紙は四六判半切(しろくばんはんさい)という大きさのものを使います。
これは、四六判という大きさの紙を半分に切ったものです。

調べたところ、四六判の大きさが788mm×1091mmなので、四六判半切はその半分、545mm×788mmということになります。

これは、広げた新聞紙よりも少し小さな程度で、そのままの状態だと抱えてしまうほど大きなサイズです。

僕が普段スケッチブックに描くように、ちまちまと描いていたら、絶対に時間内に終わりません。
そのため、大きな筆や刷毛を使って大胆に描いていく必要があります。

また、セツで水彩の絵を描くときには、ある特徴的なルールがあります。
それは鉛筆を使って下描きをしないことです。

なぜなら下描きをしてしまうと、絵が「塗り絵」になってしまうからです。

そういう考えを長沢節先生(学校の創始者です)は持っており、それが今の学校にも受け継がれています。

逆を言えば、それ以外なら特にうるさい決め事はありません。

例えば、僕が昔に通っていた専門学校では、「透明水彩は白い絵の具を使わない」と決められていました。

それは白い絵の具を使うと、本来の絵の具が持っている透明感が失われてしまうからです。
そのため、明るい部分でも白を混ぜることなく、絵の具の濃淡で表現していました。

しかし、セツではそのような決め事はなく、自由に描いていいようです。
こちらでは絵の具を透明水彩だと思わずに、アクリル絵の具のような不透明な絵の具だと考えて描いたほうがいいのかもしれません。

さて、僕が今回選んだのは女性のモデルさんでした(彼女は在校生のようです)。
彼女はソファーに腰掛けていたので、その胴体から上を描いてみました。

まだ「下描きをしない」というセツの描き方には慣れていないので難しかったのですが、前回よりはうまくいった気がします(少し太ってしまいましたが…)。

特に顔は本人に似ている気がしたので、描いている途中で少し嬉しくなりました。
モデルさんの許可が取れたので、今回描いた絵を載せておきます。

今回描いた絵
今回描いた絵

描き終えた後はアトリエの一室にみんなの作品が並べられ、講評会の時間になります。
並べられた作品はどれも個性的で、描き手の味が出ていました。

まず、最初に女性の助手(講師と言ったほうがいいのかもしれませんが)に選ばれた生徒が、「どの作品が好きか」ということを発表し、終わったら別の生徒にバトンタッチしていきます。

今回、僕は一番手に選ばれたので、少し焦ってしまいました。
それでも何とか好きな絵を二枚選び、感想を言って別の人にバトンタッチ。

数名の生徒が感想を言った後は、女性の助手が一枚ずつ講評していきます。
彼女は、特に個性の強く出ている作品に対して高い評価を与えていました。

僕の絵の順番になり、彼女は「悪くはないし、色も綺麗なんだけど…」と言っていましたが、それから何か言葉を探しているようでした。

彼女が年配の男性(このときは助手だと思っていたのですが、生徒だったようです)に感想を求めると、彼は「顔だね」と言っていました。

どうやら、顔が普通すぎるようです。

「写真のように本物そっくりに描くのではなく、自分を通してどのようにモデルを見ているか」
ということを表現することが大事だと言っていました。

確かによく考えてみると、そのような視点で絵を描いたことは今まで無かったかもしれません。
しかし、僕としては顔が唯一うまくいった部分だと思っていたので残念でした。

少し悔しい思いもありますが、これは仕方ないのかもしれません。
(もちろん、良い評価を得るために絵を描いているわけではありませんが)

次に描くときには実際の人物に似せるのではなく、もっとデフォルメして個性を前面に出す描き方をしてもいいのかもしれません。
しかし、僕はあまり「奇をてらった」描きかたはしたくないのです。

あえて「個性的である」ことを狙わなくても、水が低いところに流れるように、自然と僕の個性がにじみ出てこないのかなぁと思うのです。
それにはまだ枚数を描かないといけないのかもしれません。

ただ、もっと大胆な色使いをしてもいいのかな、と思いました。
鮮やかな色を使っている人の作品には、それだけ人の目を惹きつけるものがあるからです。

そのためには、失敗を恐れずに大胆に描いていく必要がありますが、まだまだ難しいですね。

Keisuke

裸体デッサン(男性)

ここ二週間ほど、セツ・モードセミナーの授業は、コスチュームデッサンと裸体デッサンばかりでした。

今は基礎的な部分を重点的に鍛える時期なのかもしれません。

昨日は裸体デッサンの授業がありました。
この前は女性のモデルさんでしたが、今回は男性のモデルさんが来ました。

中年の人で、痩身で骨ばった体が特徴的です。
ある生徒はモデルさんを見て「エゴン・シーレ」という画家を連想した、と言ってました。

裸体デッサンということで、ポーズをとったモデルさんは一糸まとわぬ姿でした。
そのため、当然ながら男性のアレも丸見えになります。

僕はあまり他人のモノを見慣れていないため(というか、多くの人がそうだと思う)、その部分は描き辛かったです。

ですが、こういう機会でないと、それをまじまじと見ることはないだろうなと思いました。

裸はごまかしが効かないので、服を着たデッサンよりも難しいです。

それでも、モデルさんが立ったポーズは、ある程度なら納得のいく出来になったのですが、寝転んだポーズは、どれも違和感のある絵になってしまいました。

特に寝転んだポーズを斜めから見ると、胴体や手足が奥行き方向に短くなることがありますが、それを線だけで(陰影をつけずに)破綻なく表現するのは至難の業です。
上手に描けるようになるには、まだかなりの練習が必要になるかもしれません。

授業が終わった後には、モデルさんが「難しかった?」と話しかけてくれたので、それからしばらく彼と話をしました。
彼はこの学校の卒業生だそうです。

彼と世間話をしているときには、一般の人となんら変わらないのですが、モデルとして裸になると、非常に特別な印象を与えます。

僕は会話中でもその両方の間で、ギャップを感じないわけにはいきませんでした。

もしできることならば、「人前で裸になるのってどんな気持ちなのですか?」と聞いてみたかったのですが、その話題を切り出すのは少し勇気が必要だったため、聞けませんでした。

可能なら、今度また彼がモデルとして来たときに聞いてみようと思います。

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さて、セツに入学して、そろそろ一ヶ月が経とうとしています。

デッサンの授業は、まだまだ上手く描けずに苦労することも多いです。

しかし、最近では紙の中に人物を大きく入れられるようになってきたし、少しずつバランスも取れてきているように感じます。
(ところどころ、まだおかしなところもありますが…)

比較のために、入学当初に描いたデッサンと、最近描いたデッサンを並べておきます。

女性の足の一部分です。
(多分このくらいなら、許可を取らなくても大丈夫だと思うので)

入学当初に描いたデッサン
入学当初に描いたデッサン
最近描いたデッサン
最近描いたデッサン

こうして見ると、入学当初に描いたデッサンは線がよれよれで、あまり自信がなさそうです。

でも、最近のデッサンでは、少しずつ線の勢いが出てきたように見えます。

このまま徐々にでも上達していければいいのですが。

Keisuke

盛岡に行ってきました(二日目)

二日目は盛岡市内の観光です。

家族や親戚と一緒に観光してもよかったのですが、僕は一人で回ることにしました。
どこかで絵が描けないかと思ったからです。

早起きして(実際にはよく眠れなかったのもありますが)、6:30に朝食をとり、7:00頃にホテルを出ました。

ホテルの朝食
ホテルの朝食

商店街を抜けて、盛岡城跡公園(岩手公園)の方向に向かいました。

商店街
商店街
居酒屋の前にあった馬の置物
居酒屋の前にあった馬の置物

盛岡城は戦国時代に工事が始められ、江戸時代の初めに完成したそうです。

残念ながら、明治時代に当時の施設はほとんど壊されてしまいましたが、のちに公園として整備されました。

まずは公園の近くの桜山神社へ。
御祭神は盛岡の領主である南部家代々の人たちだそうです。

桜山神社
桜山神社
手水舎
手水舎
だるまみくじ…だそうです
だるまみくじ…だそうです

この神社の裏手には、「烏帽子(えぼし)岩」と呼ばれる巨大な岩があります。

盛岡城を造るときに出てきた岩で、掘り出された後には、良い兆しのシンボルとして信仰されたそうです。

烏帽子岩
烏帽子岩

なんじゃこりゃ!でかっ!

人の背丈の数倍以上あったので、ただの岩なのに有無を言わせぬ迫力がありました。

若干置きかたが不安定に見えたので、そのうち転がり落ちてこないのだろうか、と少し心配になりましたが…。

それから盛岡城跡公園の中へ。
園内に入ってから右手に進むと、そこには石川啄木の句碑がありました。

「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」

(※不来方とは、盛岡の昔の呼び名です。)

おお、これは教科書で読んだことがある!
石川啄木はまさしくここで寝転んでいたのか…と思うと、急に彼が身近なものに感じられました。

石川啄木の句碑
石川啄木の句碑

それから橋を渡って、本丸があった方へ向かいます。

本丸付近
本丸付近

中央には、南部中尉(南部藩主の末裔だそうです)の銅像…
…の「台座」だけがドンと置かれていました。

ここにはもともと、台座の上に馬に乗った南部中尉の銅像が置かれていたのですが、太平洋戦争時に、軍事資材として供出されてしまったそうです。

そのため、今は台座だけが残っています。

南部中尉の銅像の台座
南部中尉の銅像の台座

それから、一段高くなっていた本丸の階段から降りて、その周囲をぐるっと回ってみました。

石垣の石は、一つ一つが一般的なそれよりも大きな気がします。
神社の「烏帽子岩」もそうですが、この地方では巨石がよく出てくるのでしょうか。

石垣には、ところどころにギザギザに鑿で削ったような跡がありました。
おそらく、摩擦力を高めて石がずれないような目的があるのだと思います。

しかしそれらをよく眺めていると、大きな恐竜の歯型の跡にも見えてきたので、
何だかかっこいいな、と思いました。
(これは築城された当時につけられたものなのでしょうか?)

石垣
石垣

公園を抜けると、そこには川が流れていました。

盛岡市内には、主に三つの川が流れており、それぞれ北上川雫石川中津川と呼ばれています。

それら三本の川は市内で合流し、北上川となって石巻までつながっています。
(正確には石巻の手前で分岐していますが…)

僕はその中の一本である中津川を、上流方向に沿って歩いてみました。
この流域には、古い建物が多く残されていると聞いていたからです。

中津川
中津川
中津川流域の地図
中津川流域の地図

「上の橋」には木で作られた古い欄干が残されており、擬宝珠(ぎぼし)が取り付けられています。

その橋を渡って今度は下流方向へ向かいました。

「上の橋」
「上の橋」

途中にはレンガ造りの旧岩手銀行がありました。

この建物は1911年に着工され、三年の年月をかけて造られたものであり、国の有形文化財にも指定されています。

設計者は東京駅を造った人と同じなのだとか(言われてみるとそんな気もします)。

旧岩手銀行
旧岩手銀行

その近くにはガス灯がありました。

説明文には「最初に灯されたのは横浜だが、最初に開発したのは盛岡だ」と書かれていました。

よっぽどこのことをアピールしたいのでしょうか。

ガス灯
ガス灯

それから「下の橋」を渡って、また上流方向へ。
川沿いを一周して、また盛岡城跡公園に戻ってきました。

「下の橋」
「下の橋」

この公園の堀では、夏場に蛍が見られるそうです。
堀沿いに歩いたところには噴水もあり、亀が日向ぼっこをしていました。

噴水
噴水
日向ぼっこをする亀
日向ぼっこをする亀

とても落ち着く場所だったので、石に腰掛けてスケッチをすることにしました。

スケッチした場所
スケッチした場所

関東に比べると、木々の緑がまだ若い気がします。
緑というよりも黄緑に近いという感じでしょうか。

少し前までは、この辺り一体も冬景色だったのかもしれません。

堀にはたくさんの生き物たちが集まっていました。
水の中には亀や鯉がいて、水面にはカルガモが遊びに来ていました。

しかし、それらを絵の中にうまく入れることができませんでした。

カルガモ
カルガモ

カルガモを単独でスケッチをしたので、ここに置いておきます。

カルガモのスケッチ
カルガモのスケッチ

絵を描いていると、偶然にも市内観光をしていた家族と親戚たちに出会いました。

彼らはびっくりした様子でしたが、僕は「そのうち会うんじゃないかな~」と思っていました(笑)

また、何人かの現地の人が話しかけてくれて、絵の感想を言ってくれました。

おそらく、絵を描いている人の中には「集中が切れる」という理由で、話しかけられるのを嫌う人がいるかもしれません。

でも、僕はスケッチしながら見ず知らずの人と話すことが、実はひそかな楽しみなのです。

9:00頃から描き始めて、休憩を含めて四時間ほど描いていました。

でも、順調だったわけではなく、水面の表現がすごく難しかったです。

漣が立ったような感じを表現したかったのですが、なかなか思うようにいきませんでした。
ペンで表現するのは、少し難しいのかもしれません。

色もつけようと考えていたのですが、絵の具一式を持っていくと荷物が重くなってしまうため、当日は持ってきていませんでした。

その代わりに持ってきていた12色の色鉛筆で、ささっとだけ塗りました。

またそのうちに加筆したいです。
線画だけの絵が、どんどん溜まってしまいますが…。

スケッチ
スケッチ

13:00頃になると、さすがにお腹が空いてきたため、スケッチを切り上げて昼食をとることにしました。

盛岡駅の方向に向かうと、駅前の商店街ではお祭りが行われており、統一された着物を着たチームが音楽に合わせて踊っていました。

スケッチしているときに、公園の広場で練習している姿を見かけたので、「何の練習だろう?」と思っていたのですが、このためだったようです。

商店街を抜けて駅前に向かい、ぴょんぴょん舎という店に入りました。
あぁ^~心がぴょんぴょん(ry

ぴょんぴょん舎の入り口
ぴょんぴょん舎の入り口

僕はそこで盛岡の名産品である冷麺を食べました。

辛さには四段階ありましたが、あまり辛いと食べられなくなるので、少し用心して下から二つ目の「中辛」を頼みました。

冷麺
冷麺

出された料理の麺を一口食べてみると…
「う~ん、か・た・い!」
麺はチューブのように硬く、なかなか噛み切れませんでした。

トッピングは卵、キムチ、チャーシュー、きゅうり、スイカなどでした。
スイカは…この辛さに合っているのか合っていないのか、よくわかりません(笑)

中辛でも、思いのほか辛かったです。
スープも飲みたかったのですが、一口飲んだらむせてしまったので残してしまいました。

でも、全体的には美味しかったです。

それからお土産を買って帰宅しました。

今回、半日しか盛岡市内を観光できなかったので、また時間のあるときにゆっくりと回りたいです。

Keisuke

盛岡に行ってきました(一日目)

前の記事で書いたとおり、先週の土日に岩手の盛岡に行ってきました。

なぜ、わざわざそんなに遠くにまで行ってきたのかというと、僕の弟の結婚式に出席するためです。

弟は盛岡市内で働いており、フットサルが趣味です。
今回のお相手も、それがきっかけで知り合ったのだとか。

土曜日の午前中に出発して、東京駅から東北新幹線の「はやぶさ」に乗りました。

はやぶさ(手前側)
はやぶさ(手前側)

この新幹線に乗るのは初めてだったのですが、昼過ぎにはもう盛岡に着いていました。
二時間ちょっとで行けるなんて、ずいぶんと東北も近くなったものです。

偶然親戚の人が同じ新幹線に乗っており、駅のベンチで休んでいたので、挨拶をしてから駅を出て式場のホテルへと向かいました。

「チャグチャグ馬コ」の人形
「チャグチャグ馬コ」の人形
盛岡駅
盛岡駅

途中で市内の中心部を流れる北上川を渡りましたが、そこからの景色はとても綺麗でした。
向こう側に山が聳え立っており、晴れていたので稜線がくっきりと見えました。
(「何の山だろう?」と思って、あとで相手の両親に聞いてみたところ、それは岩手山だそうです)

北上川と岩手山
北上川と岩手山

ホテルに到着し、着替えて待機します。

14:00から会場内の教会で結婚式が行われました。
僕は今まで友人や知り合いの結婚式に参加したことがなかったので、結婚式自体が僕にとっては初めてです。

参列者席で待っていると、しばらくして扉から弟と花嫁さんが入場しました。
彼と僕とは、最近ではお正月くらいにしか顔を合わせる機会もなかったのですが、今日はまるで別人のように見えました。

神父さんの前で結婚の誓いの言葉を述べたり、指輪交換したりしながら、式は進んでいきました。

彼らが教会から退場した後は、会場を移動して披露宴が行われました。
そこではコース料理が振舞われ、たまに上映されるビデオを見たり、彼の上司にあたる人物のスピーチを聞いたりしていました。

披露宴の料理
披露宴の料理

その合間には、僕は弟の同期の人たちと話をして、ちゃっかり僕のホームページの宣伝もしました(笑)

そんな中で、彼らから意外なエピソードが飛び出してきたので、最近の弟のことを僕は全然知らなかったんだなぁ、と思いました。

ケーキとキャンドル
ケーキとキャンドル

披露宴の終わりの頃には、僕の父親によるスピーチがありました。
父親は家庭でも仕事でも「コミュニケーションが大事」と言っていました。
(あとで本人に聞いてみたところ、自戒の念も込めているそうです)

最後に弟のスピーチがありました。
僕はその様子を「彼はずいぶん立派だなー」と思いながら見ていました。
この日のために、かなり練習したに違いありません。

しかし、彼の言葉を聞いていると、どうしても僕と彼との距離を感じてしまいました。
彼に比べて僕なんかは…いや、これ以上比較するのは無意味なので止めましょう。

それでも、ラストに上映されたビデオで僕宛のメッセージが書かれていて、とても嬉しかったです。
結局のところ、誰かと比較するのではなく、僕は僕自身の道を歩けばいいんだと感じました。

披露宴が終わり、19:00から参加した親族で打ち上げをしました(弟を除く)。
僕はお酒はほとんど飲めないのですが、地元のビールを一杯だけ飲んだところ、とても美味しかったです。
店員によると、このビールは特別な賞を貰ったこともあるのだとか。

当日は式場があるホテルに宿泊しました。
二日目に続く!

Keisuke