歯を抜いてきました

先日、親知らずを抜いてきました。

今回抜いたのは、左下の奥の歯です。

4本ある親知らずのうち、3本は以前に虫歯になって抜いていました。

しかし、残りの1本は斜めに生えていて、その手前の歯につっかえている状態で、ほとんど歯肉に埋もれていたのです。

特に悪さもしていなかったので、今までずっとそのままだったのですが、その歯肉が最近になって急に痛くなってきました。

定期検診も兼ねて歯医者に行って相談してみると、レントゲン写真を撮ってくれました。

「こっちが以前に撮った写真で、これが今回の写真です。
 比較すると、埋もれていた親知らずが徐々に上に出てきていますね。
 それで痛くなっているのではないかと思われます」

そう先生は説明してくれました。

しかし、ほとんど埋まっている上に奥の方で先が広くなっているため、簡単に抜けないので、口腔外科に行く必要があるそうです。

イメージ図
イメージ図

僕はそんなに大変なことになるとは思っていなかったので、ショックでした。

(絵を描く気分にならなかったため、数日セツを休んでしまいました…)

しかも、親知らずとその手前の歯の間に、虫歯があるかもしれないとのこと。
それは実際に抜いてみないとわからないそうです。

僕はなるべく先延ばしにしたかったのですが、もし虫歯だった場合は早めの治療が必要であるため、仕方なく抜くことにしました。

紹介状を書いてもらって、病院の口腔外科に行き、まずは手術の説明を受けて日取りを決めます。

担当してくれたのは、語り口がソフトなベテランのO先生でした。

先生によると、抜くこと自体は30分ほどで終わり、麻酔などの処置を含めても一時間以内には済むとのこと。

ただ、神経が歯の根元の近くを走っているそうです。

そのため、そこを傷つけてしまうと、しばらく唇の感覚がなくなってしまうかもしれない、と言っていました。

「当日の夜は、楽しい予定は入れないでくださいね」

「楽しい予定って何ですか?」

「飲み会なんかですよ」

先生はそう言って笑っていましたが、そんなに軽いものなのだろうか…と思ってしまいました。

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さて、いよいよ手術当日です。
数日前から、僕はたまらなく嫌な気分になっていました。

できることなら抜きたくなかったのですが、そうも言っていられないので覚悟を決めます。

万が一に備えて、親も付き添いに来てくれました。

部屋の中に入り、中央の椅子に寝そべって、注射器のようなもので麻酔をされました。

この感覚がなくなるのが、なんとも嫌な感じです。

しばらくすると麻酔が効いていたので、いよいよ抜くことになりました。

抜くと言っても、完全に力ずくの仕事です。
原始的で土木工事のようなものです。

先生は歯肉を切開し、あごを手で押さえ、がりがりと歯をドリルで削ります。
簡単にスポッと抜けるわけではなく、いくつかに分割して取り出すそうです。

何度か「あ、今、バキッといった…」という、嫌な音が聞こえてきました。

口の中に血の味が広がります。
麻酔が効いていたにしろ、やっぱり痛いものは痛いです。

それでもなんとか処置が終わり、綿を噛んで部屋を後にします。

病院の前には何台もタクシーが止まっていたので、それに乗って帰りました。

ばらばらになった僕の歯は、記念に貰ってきました。

歯のイラスト
歯のイラスト

結局、一度も使われることもなく、ずっと埋もれていた歯。
これは僕の分身なのかもしれません。

…と、ビニール袋に入った歯を見ながら、そんなことを考えてしまいました。

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それから数日はかなり腫れてしまいました。

腫れが引いた後も、今度はものすごく痛くなってしまって…。
朝昼晩と、3回痛み止めを飲みました。

O先生曰く、抜いた跡に大きな穴が空いており、そこに食べかすが入って細菌が増えているそうです。

ほぼ毎日、地元の歯医者に通って洗浄してもらいました。

しばらくしたら状態は良くなりましたが、まだ穴は空いています。

ちなみに、その手前の歯は運良く虫歯になっていませんでした。

ただ、別の場所に虫歯があって、治療に銀歯ではなく特殊なプラスチックを使ったところ、かなり痛い出費になってしまいました。

電動歯ブラシも買ったし、よく歯磨きをしないと…!

Keisuke

今更ですがお正月の話

今更ですが、お正月の話をします。

かなり前のことになりますが、せっかく途中まで書いていたので、投稿することにしました。

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お正月には、母親の実家がある甲府に行ってきました。

父親の車で向かいます。
最近になり新しい高速道路ができたため、横浜から甲府まで、ぐっと近くなったのです。

甲府には以前よりも一時間早く、二時間あまりで着いてしまいました。

実家に向かう前に、お参りも兼ねて甲斐善光寺に寄りました。

このお寺は、戦国時代の川中島の戦いで武田信玄が長野に攻め入ったとき、戦火を恐れて安全な場所(甲府)にご本尊などを移動させたことが由来になっています。

(その後、ご本尊は元の長野の善光寺に戻っています)

甲斐善光寺
甲斐善光寺
境内の池
境内の池

境内を一通り見た後で、甲府の実家に向かいます。

ですが、家に着いたとき僕はびっくりしてしまいました。

なぜなら、テレビ番組のビフォーアフターよろしく、家には大きなリフォームがされていたからです。

壁は漆喰に似た塗料で塗られており、白く輝いています。
おんぼろな…と言っては失礼ですが、年期の入った家が見事に生まれ変わっていました。

話を聞くところによると、僕の母親の兄に当たるAおじさんが一人で全てやったのだとか。

Aおじさんはかなり前にブラジルに移住していたことがありましたが、今までに大工などの経験はなかったそうです。

ちょっと信じられない話ですね…。

中に入ると、トイレや洗面台も新調されています。
その様子をAおじさんは得意げに話してくれました。

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さて、当日に僕は絵の具と鉛筆、画用紙を一式持って行きました。

なぜなら、セツでは冬休み中に、人物のタブロー(大きな絵)を3枚描くという課題が出されたからです。

そのため、僕は祖母(僕の母親の母に当たる人です)をモデルにして絵を描くことにしました。

祖母は今年で92歳になるのですが、まだまだ元気な人です。

連絡は事前に済ませています。

僕たちが到着してすぐに、絵を描いてほしいとのこと。
さっそく椅子に座ってもらって、描き始めることにしました。

完成した下絵がこちらです。

祖母の下絵
祖母の下絵

僕は、あまり似ていないなと思っていたのですが、祖母は「絵の方がずっと若く見えるわねぇ」と、とても喜んでくれました。

それから、こたつを囲んでおせち料理をご馳走になりました。

すると、Aおじさんにも「俺の絵も描いてくれよ」とリクエストをもらったので、描くことにしました。

完成した下絵を見て、彼は「たいしたもんだね」と言ってくれました。

Aおじさんの下絵
Aおじさんの下絵

ちなみに、このときは作品ファイルと以前に描いた絵本も持ってきていたので、おせち料理を食べる傍ら、親戚の皆さんにも見せました。

どちらも評判が良くて、嬉しかったです。

そのあと、甲府の町を一人で散歩することにしました。
途中でスケッチした絵がこちらです。

甲府のスケッチ(1)
甲府のスケッチ(1)
甲府のスケッチ(2)
甲府のスケッチ(2)
甲府のスケッチ(3)
甲府のスケッチ(3)

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さて、このときに描いた下絵を元に、冬休みの課題のタブローを描くつもりでした。

しかし、どうしても描く気になれませんでした。

この他に、母親と父親の下絵も描いていたのですが、本番用の絵を描いているときに、どうしても精神的に苦しくなって、作業が続けられなかったのです。

母親の下絵
母親の下絵
父親の下絵
父親の下絵

もしかしたら、描いている最中に余計なプレッシャーを感じていたのかもしれません。

よく知っている人だからこそ、上手に描かなくては!と思っていたのかも…。

ただ、セツでは上手に描くことは求められていないんですね。
それよりも、むしろ自分のスタイルを確立することが重視されています。

結局、描いていても完成形が見えなかった、というのが原因かもしれません。
まあ、僕はもともとあまり人物画は得意ではない、というのもありますが…。

というわけで、冬休みの課題は一枚も出さないまま終わってしまいました。
せっかく描く時間が10日ほどあったのに…。

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しかもそれだけではなく、一月の下旬には静物水彩という授業もあったのですが、このときも描く気になれなかったのです。

一年に一度しか、描く機会はなかったんですけどね。

このときの、「タブロー描きたくない病」は、かなり重症だったかもしれません。

僕自身がどういう絵を描きたいのか、わからなくなってしまったのですね…。

まあ、今はそのトンネルを(多分)抜けているので、安心してくださいな。

Keisuke

「第9回えほん大賞」に応募しました

今年の9月上旬から10月中旬にかけて、僕はグループ展の準備と平行して、絵本作りも進めていました。

まだ審査結果が出ていないので、絵や文章については載せられません。

ですが、直接関わりのない事柄や、さわりの部分だけだったら大丈夫かなと思って、その記事を書くすることにします。

今回応募したのは、文芸社様が主宰する「第9回えほん大賞」という公募です。

この告知を新聞の広告で見たのは、今年の9月の上旬でした。

実は、僕は10年ほど前からずっと絵本を作りたいと思っていたのです。

なかなかその機会に恵まれなかったのですが、ちょうどいいタイミングで募集が掛かったので、せっかくだから応募してみることにしました。

タイトルは、「けいくんと うちゅうじん ピロン」といいます。

「ある夜、星を眺めていたけいくんは、流れ星を見つけました。
 すると、その流れ星はどんどん大きくなってきて…」

というストーリーです(宇宙人も出てきます)。

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この絵本の元ネタは、5年ほど前に描いた漫画です。

僕は以前に、横浜の山手にある美術教室に通っていたことがあります。

そこには、画用紙をホッチキスで止めた手製の小冊子がいくつも置かれており、子供たちが自由に描くことができるようになっていました。

その作品が面白いと思ったので、僕も落描き程度の漫画を描き、その中にこっそり紛れ込ませておいたのです。

…と言っても、すぐに先生に見つかってしまったのですが。

後で聞くと、子供たちに意外と受けが良かったみたいです。

「宇宙人が登場するシーンでは、子供が『おもしろい!』って言ってたよ」と、先生に教えられました。

その後しばらくは、この作品自体のことを忘れていたのですが、今回絵本を作るに当たって何かいい素材を探していたときに、ふとこれを思い出ました。

セツの生徒にも見せたところ、なかなか評判が良かったので、「これはいけるかも?」と思って絵本にすることにしたのです。

絵本にするに当たっては、漫画用の絵を絵本用に一から描き直し、足りないシーンの分は新たに描き起こしました。

どんな絵を描けばいいか決まっているから、あとは描くだけじゃん!

…と、描き始める前までは高をくくっていたのですが、実際に描いてみると、そう上手くはいきませんでした。

絵本用の絵と漫画とでは紙のサイズが異なるし、表現も別物になってしまうからです。

そのことに遅ればせながら気付いたため、その間で四苦八苦していました。

例えば、次のような問題がありました。

「絵本の絵に吹き出しを描かなかった場合、その空いてしまった空間をどう処理するか?」

「『ババーン!』とか、『ドーン!』といった擬音語を、イラストの中で浮かないようにするためには、どうしたらいいか?」

などです。

描いていると本当に苦しくなりました。

「これはダメなんじゃないか」とか、「たいして面白くないんじゃないか」とか、ネガティブな感情が渦巻いていました。

それでも、深夜になるとある程度は捗ってきます。
そのまま描き続けていたのですが、今度は日中のセツの授業に出るのが辛くなってしまいました。

製作もその分遅れてしまったので、締め切り間際に追い込んで何とか間に合った感じでしたね…。

「ひょっとしたら面白いかも?」と思えたのは、最後の最後に印刷して読み終えたあとです。

最後のほうはセツの同期の人に「頬がこけてますよ」と言われてしまいました。

実は、描きたくないときはゲームやインターネットばかりして夜更かしをするという、健康に良くない生活を送っていたせいでもありますが…。

また、完成間際に風邪を引いて、喉を痛めてしまいました。

締め切りの一日前(10月19日)に完成したファイルを郵便局に出しに行ったのですが、医者に薬を貰ったあと、バタッと倒れて三日間寝込んでいました。

セツの人物水彩の授業を休んだのもこのためです。

…というのは、少し大げさな表現なのですが。
まあ、それだけ大変だったということです。

製作途中で絵の感想を言ってくれたり、アドバイスをしていただいた皆さんには、本当に感謝をしています。

多分、一人きりで描いていたら完成できなかったと思います…。

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さて、この作品の元々のタイトルは「宇宙の果てからコニャニャチハ」でした。

もちろん「コニャニャチハ」は「天才バカボン」から取ったものです。

元の漫画の表紙
元の漫画の表紙

しかし、「さすがに勝手に使うのはちょっとまずいかなぁ」と思って、別のタイトル案も考えてみたのですが、どれもしっくりと来ませんでした。

そこで、セツの同期の人たちに相談したところ、セツの生徒の中に現役の漫画家がいることを教えられました。

(彼とは以前から面識があったのですが、漫画家だということは知らなかったのです!)

授業が終わった後で、僕は話を持ちかけました。

「何かいいタイトルはないですかねぇ」

「タイトルには固有名詞を入れたほうが、子供の食いつきが良くなりますよ」

「固有名詞ですか」

「例えば、藤子先生が描いた漫画の中に『※宇宙旅団』という作品があったのですが、このタイトルのときはあまり受けが良くなかったんです」

「ふむふむ」

「でも、あとで『ロケットくん』に改題したら、人気が出たということがありました」

「なるほど。確かに『ドラえもん』や『アンパンマン』も、固有名詞が入っていますね」

(※後で調べてみたら、正しくは「宇宙少年団」というタイトルでした)

というわけで、タイトルには「けいくん」という名前(これは自分の名前から取ったものです)と、宇宙人の名前(ピロン)を入れることにしました。

タイトルが「けいくんと うちゅうじん ピロン」に決まったのには、こういう経緯があったのです。

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僕が出来ることはやったので、あとは審査員次第ということになります。

でも、久々にやり切った感はありますね。
結果発表が12月の下旬なので、それまでは待つことになります。

少しでも賞に引っかかるといいのですけどね…。

どう思う?
どう思う?

Keisuke

部屋の大掃除

すっかり間が空いてしまいました…。

先週の土日は、ひたすら自分の部屋を片付けていました。

僕は片付けや掃除が大嫌いなので、ひどいときには数ヶ月もほったらかしにしてしまいます。

ですが、あまりの汚さに耐えられなくなったときに、ふと思い立って急に始めることがあります。

今回は「やるなら徹底的にやろう!」と思って、普段は開けない机の引き出しの中や、過去に描いた絵の整理をしていました。

そんな中で、僕が専門学校に通っていた頃に描いたクロッキーが出てきました。
(今から十年以上も前になるのですね…時が経つのは早いものです)

せっかくなので、投稿してみます。

クロッキー(1)
クロッキー(1)
クロッキー(2)
クロッキー(2)
クロッキー(3)
クロッキー(3)

今見ると、まだかなり拙い印象を受けます。

全体的に自信が無く、どのような線を描けばいいのか迷っている様子が伺えます。
また、形も全く取れていません。

それに比べると、さすがに今は上達していることがわかります。
やっぱり何事も続けることは非常に大事なのだな、と感じました。

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掃除ばかりでは疲れるので、ときどき気分転換にネットを見ていましたが、そのときに視聴していたアニメが頭から離れなくなってしまいました。

見ていたのはこちらの「がっこうぐらし!」です。

がっこうぐらし! 第1話「はじまり」

見た目は非常に可愛らしい絵柄なのですが、それに反して「怖い」だの「やばすぎる」だのという噂をちらほら耳にしていたのです。

「どんな内容だろう?」と疑問に思ったので、ニコニコで視聴してみることにしました。
(コメントが不穏な感じだったため、とりあえず非表示にしていました)

アニメの内容は、四人の女の子たちが学校で寝泊りをするという、ちょっと変わった部活ものでした。

部室で飼っていた犬が逃げ出してしまって、それを主人公たちが学校内で追いかけるという場面が続きます。

AパートからBパートの途中までは、正直に言うとかなり退屈でした。
全く怖い部分も出てきません。

しかし、ラストで大どんでんがえしがあり、「なんじゃこりゃ!」と驚きました。

以下ネタバレ(反転してください)↓

退屈な学校生活は、精神が壊れてしまった主人公の見ていた妄想でした。

現実では、なんとゾンビが町を徘徊しているのです。
そのため、主人公たちは部活という名目で学校に立てこもっています。
いつか助けが来るのを待ちながら。

可愛らしい絵柄からは、全く想像もつかないヘビーな内容でした…。

以上ネタバレ↑

二回目以降は、ストーリーを全く別の角度から見ることができるため、それによって新たな発見があります(黒板の文字とか、屋上のアレとか)。

結局、三回も見返してしまいました。

これからの展開が非常に気になるところです。
でも、胃が痛くなりそうで最後まで見続ける自信がありません(笑)

Keisuke

家で飼っている猫について

先日、家で飼っている猫が息を引き取りました。
オスの黒猫で、名前は「ジーコ」です。

ジーコ

はっきりとした死因はわからないのですが、おそらく老衰で、天寿を全うしたのではないかと思います。

なぜなら、数えてみると我が家に来てから19年も経っており、それを人間の年齢に換算すると100歳近くになるためです。

むしろ、「よくここまで生きた」と言っていいかもしれません。

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さて、彼(という三人称を使うのは適切なのかわかりませんが)の昔のことを少し書いてみます。

彼は野良猫として生活していたところを、僕の母親の友人に拾われ、しばらくしてから僕の母親が貰い受けたという経緯があります。

子猫の頃
子猫の頃

彼はもともと映画「魔女の宅急便」に由来するジジという名前でした。

しかし、我が家に来たときに「それではあまりにもありきたりだ」という理由で、ジーコという名前に変更されました。

由来はもちろん当時Jリーグで活躍していたサッカー選手です。
(既にこのときには引退していたかも?)

後から日本代表の監督に選ばれたことを考えると、先見の明があったのかもしれません。

彼は野良猫歴が長かったせいもあるのか、大変な人見知りで、家に知らない人が来ると、こそこそとベッドの下などに隠れていました。

そんなかわいらしい一面もあったのですが、実は、僕は彼のことをあまり好きではありませんでした。

なぜなら、僕にとって彼は非常にうっとうしい存在で、なかなか心を通わすことができなかったからです。

例えば空腹になると「餌をくれ、餌をくれ」と大声で鳴くし、やりすぎるものならゲロゲロと吐きます。
そんな姿を見た僕は「吐くならそんなに食べるな!」と思ってしまいました。

フローリングの床の上に吐いた場合は、まだそれほど処理も難しくないのですが、一度僕のカバンの上に吐いたときは、僕は思わずプッツンしてしまいました。

僕はどうしてもそれが許せず、ひどい言葉を浴びせてしまったことがあります。

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そんなうっとうしい彼が、最後のほうになると二週間ほど餌も水もほとんど口にせず、じっと動かないままだったので、とても哀れに思いました。

こういう状態になると、かえってあのうっとうしさが懐かしく思ってしまいます。

もしかしたら、盛岡に行くため一日家を空けてしまったのが、彼にとって最後の大きなダメージになったのかもしれません。

ですが、もう以前からかなり老いが目立ってきていたし、遅かれ早かれこうなってしまったのではないかと思います。

最期は風呂場で動かなくなっていました。
元気なときは全く風呂場に立ち入ることは無かったのですが、不思議なものですね。

母親は亡骸をタオルにくるんでダンボールに入れ、その上に庭に咲いていたアジサイを添えました。

しばらくすると連絡していた業者の人が来て、彼を引き取って行きました。

ちゃんと火葬してから埋葬してくれるそうですが、お墓参りができるのかどうかは、調べてみないとわからないそうです。

まだ彼のトイレや餌の皿はそのままの状態になっています。
片付けるのは、まだ先のことになるかもしれません。

ばいばい、ジーコ。

かまぼこ板に描いた絵
かまぼこ板に描いた絵

Keisuke