十月の中旬に横浜の三渓園に行って、絵を描いてきました。
訪れるのは今回で二度目です。
前回訪れたのが五月だったので、また少し違った景色が見られるかな~と思ったのです。
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根岸駅からバスで本牧方面へ。
最寄りのバス停から歩き、10分ほどで到着しました。
入場料の500円を払って中に入ります。
今回は、まだ訪れていなかった園の奥まで足を運ぶことにしました。
大きな池をぐるりと回って南に行くと、そこには大きな古民家がありました。
合掌造りの茅葺き屋根の家です。
この建物は、もともと岐阜県の荘川村という場所にあり(白川郷の近くです)、ダムに沈むということで、こちらに移転されたものです。
入り口は二カ所あり、一つが位の高い人が使う接客用、もう一つが農家の人たちが使う普段用です。
二つの入り口の間にある縁側には、お月見団子とススキが置かれていました。
確か、十五夜は一ヶ月前の九月だったはずです。
なぜ、十月の今頃になってお供えをしているのだろうかと、僕は疑問に思いました。
あとで調べてみると、十五夜の一ヶ月後にあたる十月(旧暦では九月)にも、十三夜と呼ばれる月を祝う風習があるそうです。
これは別名で「豆名月」「栗名月」とも言われ、九月よりも晴れて見られることが多いのだとか。
また、江戸時代の遊里では、十五夜と十三夜の両方を見ないと縁起が悪いとも言われていました。
僕はこのお団子とススキに心を引かれたので、ここで描くことにしました。
ボランティアの人に許可を貰って、他の人の邪魔にならない場所に荷物を広げました。
時刻は11時半頃です。
背景の色がいつもより暗いため、どんどん上から濃い色を足していきます。
この日は曇っていて肌寒かったので、ジャンパーを羽織りながら描きました。
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途中で古民家の中にも入ってみました。
一階には囲炉裏(いろり)があり、そこでは薪が赤々と燃えていました。
他にも部屋がいくつもあって、とても大きな農家だったことを感じさせます。
急な階段を登って二階に上がると、そこには当時使われていた大きな瓶(かめ)や、古い農機具が置かれていました。
また、入り口の近くには平たい木臼が置かれていました。
「飛騨地方では餅をつくときに、まずはこの上で米を潰したんだよ」
ボランティアの人は、そう教えてくれました。
「それって二度手間じゃないですかねぇ。最初から普通の臼に入れて潰せばいいのに」と、僕。
「う~ん。だから他の地方では広まらなかったみたいだね」
でも、平たい臼を使うのには何らかの理由があるはずです。
使う餅米の種類によるものでしょうか。
考えたけれど、よくわかりませんでした。
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そんなことをしながら描き進めて、午後4時頃に絵は完成しました。
少し薄暗い古民家の雰囲気が出せたかな?と思います。
僕は完成できたことに満足して、この日は帰りました。
Keisuke