六日目は、鹿嶋にある家の近所のHさんの庭で描きました。
ここの庭はとても広く、かつ手入れがされているので、とても素敵な場所になっています。
庭というよりも、ちょっとした森になっていると言ったほうがいいかもしれません。
Hさんは旦那さんと奥さんの二人暮らしで、よく庭の手入れをしている姿を目にします。
以前に庭の前を通りかかったときに、「いい場所だなぁ」と思いました。
そのため、一昨日に挨拶や交渉をして奥さんに了解を頂き、ここでスケッチさせてもらうことにしました。
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「当日は、庭に入って勝手に始めていいわよ」
奥さんはそう言っていたので、朝八時ごろからスケッチを開始しました。
庭の中央には白い椅子とテーブルがあったので、それを中心に描こうと思いました。
この絵が完成して展示されたときに、絵を見た人が「こんなところでお茶を飲みたい」と思ってくれたらいいな…。
そんなことを期待しながら描いていたのですが、なかなか難しかったです。
机と椅子のどちらも色が白かったので、背景に埋もれてしまって、なかなか目立たせることが出来ませんでした。
準備している途中に、三ヶ所も蚊に刺されてしまいました。
「ここって蚊がたくさんいるんじゃ…」と心配になりましたが、その後はなぜかほとんど刺されることはありませんでした。
ただ、ときどき蜂が寄ってきたので怖かったです。
「私はあなたの敵じゃないわ!」と、ナウシカの心境になって描いていました(笑)
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途中で休憩したり、昼食をとるためいったん家に戻ったりしながら、午後二時過ぎまで描いていました。
しかし、完成したスケッチはごちゃごちゃして、期待していたものとは少し違う仕上がりになってしまいました。
もう少し、「木漏れ日の中の庭」という感じを出したかったのですが…。
このスケッチでは、画面全体を塗ってしまっているのですが、あえて塗らない部分を残してもいいのかもしれない、と思いました。
もう少し、画面を整理したほうがよかったのかもしれません。
終わった後でHさんに挨拶をしたかったのですが、彼らは車で出かけてしまっていて、インターホンを押しても返事がありませんでした。
(後日、手紙を送りました)
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しばらく家に戻って休憩したあと、夕方から潮来(いたこ)で行われるお祭りを見に行くことにしました。
この祭りは「潮来祇園祭礼(HPはこちら)」と呼ばれており、八百年以上の長い歴史を持っているそうです。
(でも、ウィキペディアでは江戸時代に始まったと書かれていますが…)
ネットで事前に調べたところによると、見所は何といっても山車(だし)です。
この山車は全部で14台あり、それぞれ町内会によって異なっているそうです。
山車の上には日本神話に登場する人物や、歴史上の人物が巨大な人形になって鎮座しているのだとか。
父親も見てみたいと言っていたので、車に乗せてもらって二人で見に行きました。
祭りは毎年八月上旬に三日間行われていて、その初日です。
お盆も近づいていたため、まずはお墓にお参りをした後に、潮来駅周辺に向かいました。
近くの駐車場で車を止め、駅の方向へと歩きます。
道には提灯の飾り付けが至るところにあり、すっかりお祭りムード一色です。
その途中で、さっそく法被(はっぴ)を着た人たちに引かれている一台の山車に出会いました。
近くに現地のおじさんがいたので、「この祭を見るのは初めてなんですけれど…」と話を聞きました。
おじさんによると、本格的に祭りが盛り上がるのは、日が落ちてからだそうです。
それまでは山車は市内をぐるぐると引き回され、夕方になると駅前に集まってくるのだとか。
その人にお礼を言ってから、しばらく僕たちはその山車の後にくっついて歩きました。
しかし、どんどん駅から離れていってしまうため、山車と別れて駅の方角に向かうことにしました。
駅の方角に向かうと、少し先に駅の方向に向かっている別の山車が現れました。
それに付いていくと、自然と駅前に到着しました。
駅前は幅の広い車道でしたが、この日は通行規制が行われ、歩行者天国になっていました。
山車は駅前で止まったので、僕たちも駅前で待機。
山車には十数名の人が乗り込み、笛や太鼓などで演奏しています。
僕はその様子をスケッチしました。
(チラシの裏で申し訳ありませんが…)
山車を引いているのは若い人が中心で、茶髪のヤンキーっぽい人も多いです。
しかし、彼らはこの祭りが自分の見せ場であることを心得ているらしく、一段と気合を入れて山車を引いていました。
二台の山車が駅前で止まると、しばらくしてから踊りが始まりました。
この踊りは、それぞれの町内会で微妙にメロディーや歌詞・振り付けなどが異なるようです。
一部の地域では、和傘や花笠を持って踊っていました。
それから、若い人たちは山車を一ヶ所でぐるぐると回し始めました。
これはのの字廻しと呼ばれている曲引き(パフォーマンス的な引き方)の方法です。
山車に向かって左前の車輪を軸にして、筆で「の」の字を書くように後輪を担ぎ上げ、数回転させるものです。
多分、このサイトがわかりやすいと思います。
山車の車輪と直角方向に回転させるため、車輪が磨り減ってしまわないかと少し心配になりました。
その周りで女性たちが「わっしょい、わっしょい」と掛け声をかけて応援します。
それが終わると、山車はまたどこかに引っ張られていきました。
道路には今引き回した山車の車輪の跡が、ミステリーサークルのようにくっきりと残されていました。
しばらくすると代わりに別の山車が現れ、また同じことを繰り返していました。
山車の上部の人形は可動式になっています。
電線が横切っているような危険なところでは、人形がボタン一つで(なのかどうかは知りませんが)出たり引っ込んだりするようです。
この人形を作るだけでも結構大変な気がします。
いつの間にか日が暮れて、周囲が暗くなっていました。
山車にも明かりがともり、一層祭りが盛り上がります。
ギャラリーの数も増えてきました。
(僕はそこで写真をたくさん撮りましたが、人物が写っているものは投稿してもいいものなのか…う~ん、どうなんだろう)
僕はしばらく父親と別行動を取って、山車の周りをうろうろしていました。
道路の反対側に渡ると、そこには数件の屋台が出ていました。
夜の七時半ごろになるとお腹が空いてきたので、駅周辺から離れて夕食をとることにしました。
しかし、最初に訪れたイタリア料理店は閉まっていて、次に訪れたお寿司屋も今日は営業していませんでした。
お寿司屋の従業員の人によると、今日は祭りのため、ほとんどの店は営業していないそうです。
しかし、一件の居酒屋はたまたま営業をしていたため、そこにに立ち寄ることにしました。
と言っても、車で来ていたのでお酒を飲めませんでしたが…。
ここでは一品料理のほかに、ちゃんとしたごはん系の料理も出してくれるため、父親は天ぷらそばを、僕は石焼ビビンバを頼みました。
美味しかったです。
父親は、この祭りがたいそう気に入ったようで、「来てよかった」と言っていました。
それから、車で鹿嶋の家に帰りました。
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次の日は、朝早くにバスと電車で横浜に帰りました。
鹿嶋の旅行はこれで終了です。
四枚の絵を描くことができたし、父親とこんなに話をするのも久しぶりでした。
一応、目標は達成できたかなと思います。
Keisuke