先日、森本美由紀さんの展覧会に行ってきました。
森本さんは、僕が通っているセツ・モードセミナーの卒業生で、ファッション・イラストレーターとして、長らく第一線で活躍された人です。
主に女性誌の表紙やカットイラスト、児童小説の挿絵、俗に「渋谷系」と呼ばれるピチカート・ファイブのCDジャケットのイラストなど、幅広い仕事を手掛けています。
残念ながら、彼女は既に2013年に54歳の若さで亡くなっていますが、今回は足跡を振り返るということで、企画展が開催されました。
セツでも告知が行われ、無料の招待券が生徒に対して一人一枚ずつ配られたので、せっかくだからと足を運んでみることにしました。
とは言っても、実のところ僕はセツに入るまで彼女の名前を知りませんでした。
絵も「そういえば見たことあるかな?」という程度です。
なぜなら、僕はあまりファッションに興味は無く、女性誌に目を通す機会があまりなかったからです。
また、例え見ていたとしても、ちゃんと目を留めることなく、素通りしてしまっていたのかもしれません。
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さて、僕は当日に上野駅で電車を降り、企画展が開催されている弥生美術館に向かいました。
建物は駅から二十分ほど歩いたところにあります。
お昼を回って、外は炎天下です。
そんな中をしばらく歩いていると、上野の名所である不忍池(しのばずのいけ)が見えてきました。
池は水面が見えなくなるほどのハスの葉で覆われていました。
この暑さなのに、植物はとても元気です。
また、その向かい側には野外のコンサートホールがあり、アイドルグループたちの歌声が聞こえてきました。(誰が歌っていたのでしょうか?)
細い通りに入ってそのまま道なりに進むと、弥生美術館に到着しました。
建物は思ったよりも小ぢんまりとしており、隠れ家的な美術館です。
隣には喫茶店も併設されていましたが、僕は利用しませんでした。
うだるような暑さだったので、到着したときはほっとしました。
館内は冷房が効いていたので涼しかったです。
入り口で一息ついてから、中に入りました。
この建物は、三階までが展示室になっており、そのうちの一階と二階が森本さんの作品の展示会場になっています。
まず、僕は一階から回ることにしました。
一階は、雑誌などで使われたファッション画が展示されていました。
まず、見て思ったことは…「う、上手い!」という感想でした。
彼女は墨と筆を使って、一気に人物の輪郭線を仕上げています。
その線には迷いが無く、非常に描きなれている印象を受けます。
また、省略も上手だと感じました。
例えば顔の輪郭は全てを描くわけではなく、必要に応じて省略しています。
それでもうっすらと想像で輪郭線が補えるのは、目鼻立ちがくっきりと描かれているせいでしょうか。
う~ん、こんな人を今まで気にも留めずにいたのか…。
そう思って、僕は少し恥ずかしくなってしまいました。
とは言っても、ところどころホワイトで修正している絵も見かけました。
やっぱり森本さんでも失敗することがあるのだな、と少し安心しました。
二階には森本さんが描いた漫画が展示されていました。
作画はアメコミ風で、一階のファッション画とはまた少し違った印象を受けます。
彼女は仲の良かったモデルさんを主人公にして、漫画を描いたそうです。
内容は、金星に住んでいた王女が地球を訪れるというものでした。
また、展示場にはイラストと併せてパネルがあちこちに貼られており、彼女が書いた文章や語った言葉が紹介されていました。
その中で、あるパネルに貼られていた、特に印象に残った言葉があります。
それは、「感動なしでは絵は産まれない」ということです。
(ちゃんとメモを取っていなかったので、内容はうろ覚えなのですが…)
彼女は一時期、写真を見ながら想像で描いていたことがありましたが、10年続けていると自分が空っぽになってしまう感覚になったそうです。
そのため、それからは仲の良い女性のモデルさん(先ほどの漫画の主人公)にお願いし、実際にポーズをとってもらって作品作りに役立てたそうです。
森本さんは、特にモデルさんの膝の裏が気に入っていて、そこが「感動する部分」だったとか。
そして、絵を描く上では「どんな小さなことでもいいから、自分が感動した部分を入れなさい」とのことでした。
順に見ていくと、展示の最後のほうには、ある百貨店で行われたキャンペーンで使われたイラストが展示されていました。
そのキャンペーンは非常に大規模なものだったそうです。
彼女のイラストが巨大なタペストリーになって、百貨店のビルの吹き抜けを覆っている写真がありました。
僕もこんなことが出来たら、さぞかしすごいことだろうと思いますが、今は全く想像できません。
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それから森本さんの展示会場を後にして、三階のフロアに向かいました。
三階は、高畠華宵(たかばたけかしょう)という画家の作品が展示されていました。
彼は大正から昭和にかけて活躍した人で、特に美人画を得意としたそうです。
とても柔らかいタッチで、当時人気が出たのだろうなーと思いました。
次に竹久夢二(たけひさゆめじ)美術館にも足を運びました。
この二つの美術館は中でつながっており、両方が共通の券になっています。
竹久夢二とは、明治末期から昭和初期にかけて数多くの美人画を書いた画家です。
また、彼は絵を描くだけではなく、本の装丁や広告を手がけるような、今で言うデザイナーの仕事もこなしていたそうです。
こちらの美術館では、竹下夢二の美人画が数多く展示されていました。
美人画に関しては、それほど感激をしなかったのですが、包装紙やレコードのジャケットに関しては、「おっ!」と思わせるようなものがありました。
美人画は古さを感じますが、特に包装紙のデザインに関しては目新しさがあり、今でも十分に通用するように感じたのです。
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美術館を出てから、帰り道の途中で「旧岩崎邸」に立ち寄りました。
もともとここに立ち寄る予定はなかったのですが、まだ午後5時の閉館までに時間があったためです。
と言っても、この館がどんな建物なのか、全く事前に調べていませんでした。
入場料(400円)を払って中に入ってみると、ものすごく大きな洋館が待ち構えていました。
玄関で靴を脱いで館内に入ると、内部の装飾も豪華絢爛です。
よっぽど建築にお金がかかったに違いありません。
館内は撮影禁止だったため、写真を残すことができなかったのが残念でした。
一室ではビデオが上映されており、この館のあらましが解説されていました。
それによると、この館は岩崎弥太郎の長男である、岩崎久弥という人が建築の依頼を出したそうです。
岩崎弥太郎の名前は、聞いたことがあるかもしれません。
実際に何をした人なのかは見当が付かなかったのですが、ビデオの案内を聞くと、明治時代に三菱財閥を興した人でした。
そして、岩崎久弥は三菱財閥総帥の三代目に当たる人物です。
これだけのお金を掛けられる人って、一体何者なのだろう?
僕はそう思っていましたが、説明を聞いて納得がいきました。
確かに、これだけの邸宅を造れるのは、並大抵のお金持ちではありません。
横浜の山手にも洋館はありますが、それよりもはるかに規模が違います。
ですが、洋館の内部はあまり落ち着ける場所ではありませんでした。
装飾にお金や手間がかかっているのがわかるため、なんだかそわそわしてしまいます。
さっと見るだけ見て、隣の和館のほうに移動しました。
洋館と和館は廊下でつながっていたため、外に出ずにお互いを行き来することができます。
洋館を使うのは主に来客用で、普段の生活をするときには主に和館のほうを使っていたそうです。
和館に入ってみると畳敷きの日本建築で、とても落ち着く雰囲気を受けました。
やっぱり日本人なら、洋館よりも和館のほうが肌になじむのかもしれません。
建物にはところどころに、家紋である「重ね三階菱」をあしらったデザインが施されていました。
これは、現在でも使われている三菱グループのシンボルの原型になったものです。
和館の大きさは洋館に比べると狭いのですが、これは戦後に建物の大部分が取り壊されてしまったからです。
建築当初には、和館は洋館よりも大きな面積を占めていたのだとか。
ああ、もったいない。
和館を一通り見たあと、建物の外に出て広大な庭を散策しました。
ここでは写真撮影が可能なので、建物の写真を撮りました。
また、ここならスケッチしても構わないそうですが、日陰がないので今の時期は少し厳しそうです。
それから、上野駅まで歩いて帰りました。
いろいろなものを見ることができたので、なかなか楽しかったです。
Keisuke