6月8日(日) ネグレイラ~オルベイロア(33.1km)

ネグレイラ~オルベイロア
ネグレイラ~オルベイロア

 朝5:30起床。朝食をとって7:10頃出発。雨が強く降っていたので、ウインドブレーカーをを上下両方着込んだ。今日はオルベイロアという町まで行く予定だが、距離は33.1kmと非常に長い。これは途中のアルベルゲの数が少ないからであり、なおかつこのペースで行かないとムシアとフィステーラまで歩いてたどり着けないからだ。

出発前のアルベルゲ
出発前のアルベルゲ
玄関に犬がつながれていた
玄関に犬がつながれていた
アルベルゲの近くの教会
アルベルゲの近くの教会
アジサイも色鮮やか
アジサイも色鮮やか

 山道は昨日と今日の雨でぬかるんでおり、大きな水溜りが道幅一杯に広がっているところもあった。仕方なく水溜りの中に入って進むが、水が靴の中に入って気持ち悪かった。
 途中には廃屋になった民家や、ぼろぼろになって植物と一体化したようなオレオがあった。廃屋は入り口の扉を開けるとお化けが出てきそうな雰囲気があり、少なくとも夜には絶対に来たくないと思った。

お化けが出てきそうな廃屋
お化けが出てきそうな廃屋
植物と一体になったオレオ
植物と一体になったオレオ
白い花が咲いていた
白い花が咲いていた
今日も山道を歩く
今日も山道を歩く

 舗装された道の途中には黄色いスプレーで「ガリシアはスペインじゃない!」という落書きがかかれていた。確かに今まで歩いた感じとは気候も風土も異なっているけれど、ここまでストレートに書いてしまっては身も蓋もないな、と感じた。
 雨は降ったり止んだりで、なかなか天気は回復しない。森の中の一角には立ち枯れた木がたくさんあるところがあり、霧の中の雰囲気とあいまって、まるで異世界に迷い込んだみたいだった。

立ち枯れた木々
立ち枯れた木々
異世界に迷い込んだようだ
異世界に迷い込んだようだ
雨に濡れた花
雨に濡れた花
サン・マメデ・デ・ラ・ペーニャ教会
サン・マメデ・デ・ラ・ペーニャ教会

 10:00頃ビラセリオという町のバルで休憩。トイレを借り、外のテーブルの椅子に座ってパンとバナナを食べる。
 その後また山道を歩いていると、どこからか笛の音が聞こえてきた。どうやら僕の前にいた男性が笛を吹いているようだった。僕は彼に挨拶をして、どこから来たのか聞いてみると、彼は黒いリュックカバーに描かれていた台湾の地図を指差し、「ここから来たんだよ」と教えてくれた。彼は笛を吹きたくなると、途中で荷物を降ろして笛を吹くことにしているらしい。「君のことは先ほどのバルで見かけたよ」とのこと。彼はヤンさんという名前で、しばらく一緒に歩くことにした。
 彼も僕と同じようなルートを考えていて、ムシアに行った後、フィステーラに行くことを考えているらしい。彼は現在30歳で、以前は公園などを設計する仕事をしていたけれど、今は仕事をやめてカミーノを歩いているようだ。「仕事が退屈だったの?」と僕が聞くと、「退屈ではなかったんだけど、満足できなかったんだ」と話してくれた。僕も機械設計の仕事をやめて、カミーノを歩いていることを話した。僕と彼は年齢まで一緒だったので、彼は「僕たちは同じような境遇だね」と言ってくれた。
 僕がカミーノを歩いて理由について聞くと、彼は「『自分は何者なんだろう?』ということを知るためにカミーノを歩いているんだ」と教えてくれた。それは一番初めに僕がダニエルさんに話した内容と似ていた。しかし最終的にそれが見つかったかどうかは話してくれなかった。
 さらに、彼は歩いているときにとても特別な体験をしたことを話してくれた。「それは今までに3度あって、まるで木や植物たちが話しかけてくれるようだったよ。普段の生活とは物の見方がまるで違って見えたんだ。特に3回目はその状態が午前中一杯ずっと続いたんだよ」とのこと。カミーノを歩いていると、普段とは少し違った意識の状態になるのかもしれない。英語で言うと「sensitive(感じやすい)」状態になるのだろうか。
 僕はヤンさんのように感じたことはないけれど、彼の話を聞いているうちに、フロミスタのアルベルゲで寝ているときに降ってきた「特別な感覚」を思い出した。しかしこのことを話そうと思っても、僕の英語では上手く伝えることができそうになかったのでやめてしまった。日本語でも難しいし。
 彼は大きな街に宿泊するのは好みではなく、静かで泊まる人の少ないアルベルゲが好きなようだ。ブルゴスやレオンなんかの観光地もあまり見ることはなく、「はい次!」と行ってしまうらしい。
 それからカミーノを歩いていてどう変わったか、という話になった。僕は心も体も強くなった気がするということを伝えると、彼も同じだと言う。
「歩き始めた当初はハイになって歩いていたけど、一週間後はよれよれになって(と、彼はびっこを引きずるような歩き方をしてみせた)、『こんなんじゃサンティアゴまでたどり着かない!』と思ったんだ。でもそう思いながら我慢して歩いていると、次第に体が丈夫になって、今では一日に40km歩いても平気になったんだよ」と教えてくれた。彼はストックを2本持っていたが、これは途中で巡礼者の人に貰ったものだという。
 また、精神的にはカミーノを歩くことで「オープン・マインド」になったそうだ。「まるで心の鳥かごの扉が開いて、自由に空を飛ぶことができるような感覚なんだ」とのこと。
 それから旅行の話になった。彼は何度か日本を訪れていて、子供の頃に来たときには、色とりどりの髪の色をした奇妙な女性たちに会ったらしい。当時流行っていたガングロやヤマンバギャルのことなのかもしれない。僕はまだ台湾を訪れたことはないが、台湾で活動しているシンディー・ワンは好きだ、と伝えた。ヤンさんは彼女のことを日本の人に教えてもらうまで知らなかったらしい。「彼女はかわいいよね!」と言ってくれたので、僕も同意した。
 そんな話をしていると、道の向こうから来た巡礼者のおじさんが「こっちの道は違うよ!」と教えてくれた。どうやら話に夢中でいつの間にか巡礼路を外れてしまったらしい。おじさんはGPSを持っていて、道が間違っていることに気づいたようだ。彼にに出会わずそのまま歩いていたら、道に迷っていたかもしれない。
 僕たちはおじさんと来た道を戻り、巡礼路に復帰した。僕たちが道を間違えたのは、ここを曲がるという黄色い矢印を見落としてしまい、そのまま直進をしてしまったせいだった。しかしその矢印は意地の悪いことに、注意しなければ気づかないほどの大きさで描かれていた。
 その後もヤンさんとしばらく一緒に歩いたけれど、天候が次第に回復して暑くなってきたので、僕はしばらく休んで雨具を脱ぐため、彼には先に行ってもらった。その後は一人で静かな山道を歩いた。

小川を渡る
小川を渡る
ガチョウ
ガチョウ

 朝に水溜りの中を歩いてせいで、靴の中で靴下が濡れて、歩くたびに靴の中でずるずる滑ってしまう。そのため途中から足が痛くなり、我慢できなくなってしまった。休めるところはないか探していたところ、ある集落の中には広場があり、中央には石でできた十字架のポールがあった。僕はその階段に腰掛けて、新しい靴下をリュックから引っ張り出し、古い靴下と履きかえた。衣類はリュックの底のほうに入っていたので、引っ張り出すのが大変だった。
 そうしていると、放し飼いにされていた一匹の赤目の犬が僕の元に寄ってきた。餌が欲しいと言っていたのだろうか。僕は特別犬に好かれる体質ではないのに、向こうから寄ってくるのはどういうことなのだろう。
 それから荷物を整えて、また歩き始める。しばらく歩いた先のマローニャスという町のバルで休憩。ボカディージョ・トルティージャ・パタタを食べたけれど、少し量が物足りなかった。

近いって!
近いって!
昼食のトルティージャ
昼食のトルティージャ

 その後も山道を進む。午後になって少し晴れてきた。道の両側の風景はまた以前と少し雰囲気が変わり、ジャガイモ畑があり、酪農をしているところも多かった。風力発電の風車も山の上で回っているので、まるで北海道に来たみたいだった。途中で大きな湖があり、それを見た僕は一瞬「海か?」と思ったが、地図を確認するとそれは巨大なダム湖だということがわかって残念だった。

とある民家の庭
とある民家の庭
牛が顔を出してきた
牛が顔を出してきた
畑が広がっている
畑が広がっている
海ではなくてダム湖
海ではなくてダム湖
山の上で風車が回っている
山の上で風車が回っている
墓地
墓地
ヒルガオの花だろうか
ヒルガオの花だろうか
ヤギの親子
ヤギの親子

 15:30頃、オルベイロアの公営のアルベルゲに到着。長かった。アルベルゲは坂道の途中にあり、大きく二つの建物に分かれていた。道を挟んで進行方向の左手に受付やキッチン・ダイニングなどがあり、右手に二段ベッドが並んでいる寝室や、シャワー・トイレ等がある。最大で34人宿泊が可能だ。寝室は一階と二階の二部屋があり、僕は二階の一番奥のベッドを確保した。
 お腹が空いたので、途中買ったパンをどこかで食べようとしていると、近くにいた巡礼者のおじさんがダイニングを案内してくれた。スペイン語だったのでわからなかったが、僕が「コメル(食べる)?」と聞いたら、その通りだと言うことを言っていた。その後ダイニングでパンを食べ、シャワーを浴びる。シャワーは男性用と女性用で一つずつしかなく、空いた時間を見計らってササッと浴びるしかなかった。
 16:00頃ヤンさんも僕に遅れてアルベルゲに到着した。僕は彼をどこで追い抜いたのだろう。その後洗濯をしていると、ヤンさんも一緒に洗濯をしていた。僕の洗濯物を見て「君の洗濯物は多いね」と言っていた。
 一休みした後、夕食に出かける。レストランはアルベルゲに隣接しており、そこには小さなスーパーもあったので、そこで明日の朝食を買った。レストランはまだ時間が早かったので周りには誰もいなかった。僕は一人で食べていたが、そこにヤンさんが現れたので一緒に食事をした。僕の頼んだカニャ・コン・リモンを見ておいしそうだと言ったので、一口飲ませてあげた。彼は「サワーみたいだね」と言っていた。

アルベルゲの受付
アルベルゲの受付
夕食のサラダ
夕食のサラダ

 夕食後明日の計画を立てていると、そこにまたヤンさんが現れた。僕はサンティアゴで貰った地図を見せて、今後の計画について話し合った。
 それから今までのカミーノで何があったかということをお互いに話した。彼が特に印象に残っているのが、オ・セブレイロで雲海を見たことだったようだ。彼はスマホに撮った一面の雲海の写真を見せてくれた。僕は非常にうらやましく思ったが、負けじとカメラを取り出し、オ・セブレイロでは僕が行ったときには山の下まで綺麗に見えていたことを伝えた。
 彼が泊まったビジャル・デ・マサリフェのアルベルゲ(壁一面に落書きがあったのとは別の施設)では、夕食後にみんなでそれぞれ得意なものを発表したと言う。彼はもちろん笛を吹いたが、そういう特技がない人は歌を歌ったりしたらしい。韓国から来た人たちは思わず笑ってしまうようなユニークな踊りでその場を盛り上げたそうだ。また、ラ・ファバのアルベルゲの近くの教会でミサが行われたときには、オスピタレロの女性がとても綺麗な歌声で賛美歌を歌ったということを話してくれた。僕も参加すればよかったな。
 僕もカリヨン・デ・ロス・コンデスのアルベルゲでシスターさんと歌を歌ったことを話したり、通りがかったときに見た馬の写真を見せたりした。僕は「パンプローナの先で見た馬だ」と言って写真を見せると、彼は「これはロバだね」と訂正してくれた。そうか、僕は馬とロバの違いもわからなかったのか。
 その後ダイニングには女性が現れてヤンさんと会話を始めた。しばらくして彼は「他の人とも話したいから」と言って立ち去ってしまった。僕も寝室に戻って寝ることにした。
 22:00頃就寝。

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