5:50起床。地下のダイニングで朝食をとる。その後江川さんの部屋に行き、別れの挨拶をした。
僕は「この三日間とても楽しかったです。江川さんがいなかったら一人でサンティアゴを観光していたかもしれません」ということを話した。彼は「たまにはこういうこともいいんじゃないですか」と言っていた。僕はフィステーラに着いたら夕日の写真を送るということを伝え、お互い握手をして別れた。
7:20頃アルベルゲを出発する。フィステーラとムシアまでの巡礼路は、カテドラルを起点にして道が伸びている。そのため僕はまずカテドラルに向かった。その近くの広場では朝のマーケットが開かれており、さまざまな野菜や果物が売られていた。露天で売っている人もいれば、アーケードの中の商店で売っている人もいた。僕はアーケードの一角の果物屋に入り、おやつのバナナを3つ買った。
その後僕はオブラドイロ広場に行って再度カテドラルの写真を撮った。そのとき、そばにいた巡礼者に「写真を撮ってあげようか?」と聞かれたけれど、「いえ、結構です。昨日ここに着いて、その時に写真を撮っているから」と答えた。声をかけてくれた人もそれで納得してくれたようだ。
それからフィステーラに向けて出発。テレビゲームで例えるとここからはクリアした後のボーナスステージだ。サンティアゴの旧市街地の中を通り抜ける。街を出るところで少し迷ってしまったが、なんとか巡礼路に復帰できた。
旧市街地を抜けるところで、5月12日にブルゴスの先で会った韓国の人がこちらに歩いてくるのを見かけた。話してみると、彼はもうフィステーラに歩いて行ってきたようだ。昨日サンティアゴに泊まり、これから空港に行って韓国に帰るのだという。「フィステーラはどうだった?」と聞くと、「すごくいいところだった」と話してくれた。僕たちはお互い抱きしめあって別れた。これからのことに期待が高まる。
フィステーラに向かう道は巡礼者の数がぐっと減り、昨日までの混雑が嘘のようだ。歩いていてもほとんど巡礼者の姿は見かけない。そのためとても静かに歩くことができた。僕はこの祭りの後のような少し寂しい感覚が好きだった。あるいは派手な打ち上げ花火の後の、線香花火のような感覚だろうか。
サンティアゴの郊外でようやく僕の前を歩いていた巡礼者を発見する。僕が追いついて声をかけると、彼も驚いた様子だった。彼の名前はブライアンさんで、英国から来たのだという。彼は「周りを見渡しても誰もいないから、歩いている人はいないんじゃないかと思ったよ!」と言っていた。
その後どこから歩いてきたとか、カミーノを知ったきっかけなどを話した。彼は「The Way」というロードムービーがきっかけでカミーノを知ったと言う。最初僕は「Why(なぜ)」に聞こえたので、「理由・・・?なんだかかっこいいタイトルだな」と思ったら、「道」のことだと後から気づいた。ロンセスバージェスの夕食の席でダニエルさんたちが話していたのもこの映画だったことを思い出した。
ブライアンさんに僕の話す英語がとても上手だとほめられたので、僕は「アメリカ英語は聞き取りが難しいけれど、イギリス英語は日本人にとって(少なくとも僕にとって)聞き取りやすいです」と伝えたら、彼は「これはジョークだけど、今度アメリカ人に会ったらそのことを話してやろう」と話してくれた。
その後は森の中を通ったり、小さな集落を抜けたりしながら進んだ。サンティアゴから7.5kmほど歩いたキンタンスという町で休憩。バナナとパンの残りを食べる。その後はまた川沿いの山道を進む。途中の舗装された道沿いの車の販売店では、横浜タイヤの看板があったのが驚きだった。誰かに「横浜は僕の出身地なんだよ!」と自慢したかったけれど、周囲には誰もいなかった。
朝は雨が上がっていたが、その後は降ったり止んだりだった。時々いきなりザーッと強く降る時もあって、雨具が手放せなかった。しかも雨が上がると蒸し暑くなって、今度は雨具を脱ぎたくなる。おかげで着たり脱いだりを繰り返していた。
民家の庭にはアジサイを栽培しているところもあった。ガリシアの高温多湿の気候は、日本の梅雨を思わせた。そういえばもう日本では梅雨に入っているのかな、とふと思った。こんなに雨が降るのだったら、稲作も向いているのではないだろうか。スペイン料理にはパエリア等のお米を使う料理もあるけれど、一体スペインのどこで栽培しているのだろう、と思った。
ネグレイラという町の近くで、塀の上にシェパード犬がいたのを見つけた。僕が写真を撮っていると、それがわかっていたかの様に顎を腕の上に載せて、ポーズをとってくれた。非常に貫禄のある犬だった。
13:00頃、今日の目的地であるネグレイラの町に到着。「え、もう?」という感じであっけなく着いてしまった。近くのバルでボカディージョを頼む。待っている間にカウンターに置かれていたスポーツ新聞に目を通した。一面にフェルナンド・トーレスのインタビュー記事が掲載されており、読めなかったけれど内容を想像して勝手に解釈した。「まずはじめに単刀直入に伺います。スペインは今回のワールドカップでまた優勝できると思いますか?」「もちろんだ。われわれはそのために戦っている・・・」などなど。
そんなことをしていると、いつの間にかボカディージョが運ばれてきた。その中にはレタス・トマト・チーズ・豚肉などの具材が挟まれていて、とてもおいしかった。女性の太った店員に「ケチャップは?」と聞かれたので、思わず断ってしまったけれど、つけたらさらにおいしくなったかもしれない。これで3.8ユーロは安い!
公営のアルベルゲは町の中心から少し離れ、坂を一度下ってから再度登りなおした場所にある。13:40頃に到着した。受付には誰もおらず、リストだけが置かれてあって、「すぐ戻るから名前だけ書いておいてくれ」と書かれてあったので、その通りにする。
ここは定員が32名の小さなアルベルゲだが、それでも一杯になることはなかった。アルベルゲは二階建てで、ベッドが並んでいる寝室は屋根裏のような場所だった。いつものように二段ベッドではなく、一段のベッドが並んでいた。
部屋は二部屋あったのでそのうちの空いているほうに入ってみると、高齢の女性がそこで着替えていた。僕は「しまった、またやってしまったか!」と思って、彼女に「ここは女性用の部屋ですか?」と聞いたら、どうやらそうではなかったので一安心。僕は一度廊下に出て、頃合を見計らってから部屋に入り、部屋の奥のベッドを確保した。
それからシャワーを浴びて、洗濯をした。洗濯物はアルベルゲの軒下に干した。入り口の近くには、犬が紐でつながれていた。犬を連れて歩いている人がいるのだろうか。干した後に部屋に戻って休んでいると、すぐに強い風が吹き始め、雨が降り出したのであわてて室内に取り込む。雨さえ降らなければ、風が強いのですぐ乾くと思うんだけど・・・。ガリシア地方の天気は非常に変わりやすいということを、今日は特に意識させられた。
一眠りした後に受付に行くと、オスピタレロが戻っていたので改めてチェックインする。ここでもクレデンシャルにスタンプを押してくれた。しかしすでにサンティアゴで巡礼証明書を貰っていたので、これ以上押す意味はあるのだろうか、と疑問に思ってしまった。後でその理由は判明するのだけれど。
17:20頃からスーパーに夕食を買いに出かける。アルベルゲから町の中心までは少し離れた場所にあるので、しばらく歩く。スーパーで今日の夕食分と明日の朝食分を買い込んだ。食材やら水やらいろいろ買い込んでしまったが、それでも全体で約6ユーロ。安い。
野菜や果物を買うときには売り場の店員にそれを伝え、事前にバーコードを商品に貼っておく必要があるが、僕はそれを忘れてしまったので、レジの人がいちいち売り場の店員に確認することになってしまった。次から気をつけないと。
それからアルベルゲに戻って夕食。今日はキッチンも空いていたので、お互い気を使わなくてもいいのが幸いだ。スープにタマネギとジャガイモを入れたものを作り、インスタントのパエリアを鍋で炒めて、トマト、パンを切ってお皿に並べた。おまけにヨーグルト。自分で作った割には豪華だ。
僕の隣で調理していた二人の巡礼者たちはイカの輪切りにしたものをゆでていた。その人がキッチンから外れている間に沸騰して吹きこぼれそうだったが、そのタイミングで彼らが戻ってきたので事なきを得た。
ダイニングは僕を含めて7~8人くらいの人たちが食事をしていた。先ほどイカをゆでていた人たちも僕の隣で食べていたので、そのうちの一人にどこから来たのかと聞いてみた。彼らはイタリアから来て、ポルトガルの道を歩いてきたらしい。
彼らはあまり英語を話せなかったので、僕は手帳に僕がスタートした日付を書いて、「あなたは?」と聞いてみた。彼はそれにスタートした日付と、歩いた距離を書いてくれた。それによると、5月4日にスタートして、今まで990km歩いたそうだ。一日に40km歩いたときもあったとか。驚くほどのハイペースだ。
夕食の後は日記を書く。その最中ふと外を見るとうっすらと虹が出ていた。僕がその写真を撮っていると、一人の女性に「ホームページとかブログとかはやってないの?」と聞かれた。もしやっているならこの写真を載せたらいいのに、ということだろうか。僕がやっていないことを伝えると少しがっかりした様子だった。日本に帰ったら作ってみようかなぁ。
その後みんなダイニングに集まって、今後の予定を立てていた。イタリア語で会話していたので、一人の女性に「どういう内容なのか英語に訳してもらえませんか?」と聞いてみた。彼女によると、彼らも自分と同じように、まずムシアに行ってからフィステーラに行くルートで考えているらしかった。
21:30頃就寝。屋根に当たる雨の音がときどき強くなるのを聞きながら眠った。