5月30日(金) ビジャフランカ・デル・ビエルソ~ラ・ファバ(25.0km)

ビジャフランカ・デル・ビエルソ~ラ・ファバ(※地図上のルートと通った巡礼路は一部異なります)
ビジャフランカ・デル・ビエルソ~ラ・ファバ(※地図上のルートと通った巡礼路は一部異なります)

 朝5:50起床し、朝食をとる。昨日ずいぶん余っていたクリームチーズをてんこ盛りにパンに付けて食べる。そのおかげで何とか使い切ることができた。
 7:20出発。昨日の雨は上がって晴れているが、かなり空気は冷たかった。昨日商店に行くときに通ったビジャフランカ・デル・ビエルソの町の中を進む。巡礼路沿いには、昨日見た贖罪の門もあった。

早朝のアルベルゲ
早朝のアルベルゲ
石で作られた巡礼者像
石で作られた巡礼者像

 さて、町を出てから巡礼路は三つのルートにに分岐する。一つ目は国道4号線に沿って進む最短のルート、二つ目は国道の右のプラデラ山を越えていく中間のルート、三つ目は国道の左の3つの山を越えていく最長のルートだ。僕は二つ目の右の山を越えていくルートを選択した。国道を通るよりもこちらのほうが景色は良いと事前に調べていたからだ。今更ではあるけれど、巡礼路はずっと一本道だと思っていたので、これほど分岐が多いことを知らなかった。
 分岐点には二方向に矢印が書かれていた.。一方は道なりに進むが、もう一方は細い急な登り坂になっており、後者には「NOT」という文字と、黄色い矢印が消された跡があった。プラデラ山を越えていくルートは「NOT」と書かれている方向が正解らしい。「本当にこっちで大丈夫なの?」と疑問に思ったが、英語のガイドブックの写真では確かに分岐点はここになっていたので、そちらに進んだ。
 分岐点からは急な山道の登り坂で、思っていたよりも勾配がきつい。あまり歩いている人はおらず、たまに道が合っているのかどうか不安になってしまった。
 かなり登ってから来た道を振り返ってみると、ビジャフランカ・デル・ビエルソの町を豆粒のように見下ろすことができた。両側を山に挟まれて、その下を国道と高速道路が縫うように走っている。この感じは日本の地方都市に近いのかもしれない。

分岐点(NOTのほうに進んだ)
分岐点(NOTのほうに進んだ)
ビジャフランカ・デル・ビエルソの町
ビジャフランカ・デル・ビエルソの町

 途中、両側が松林になっているところがあった。こちらの松ぼっくりはとにかく大きいことが特徴的で、拾い上げてみると手の平と同じくらいのサイズがあった。松林を抜けると景色が開け、はるか遠くの山まで見下ろすことができた。空は晴れているが、進行方向の山には雲があるのが気がかりだ。

松林の中を進む
松林の中を進む
とにかくでかい!
とにかくでかい!

 三人の女性たちのグループが前を歩いていたので、僕は彼女たちに追いついて話をした。彼女のうちの一人に「How’s it going?(調子はどう?)」と聞かれたが、質問の意味が良くわからなかったので、「んん?」と思っていると、「カミーノの調子はどう?」と言いなおしてくれた。僕はそれで理解して、山道がこんなにきついとは思わなかったことを伝えた。
 プラデラ山の頂上付近には電波塔があった。巡礼路からは少し外れていたが、せっかくなのでそこまで登ってみることにした。しかし景色は格別に良いわけでもなかった。

来た道を振り返る
来た道を振り返る
頂上の電波塔
頂上の電波塔

 ここからは山道を下る。しかし途中で道を間違えて、とある集落に迷い込んでしまった。向こうから来た巡礼者の若いカップルに、「こっちじゃないよ!」と言われたので引き返す。どうやら彼らも道を間違えていたらしい。巡礼路に復帰すると、そこからはさらに急な下り道だった。まるで転げ落ちそうなくらいだった。

山道を下る
山道を下る
転げ落ちそうな坂道
転げ落ちそうな坂道

 10:50頃、トラバデロという町に到着。ここで先ほど分岐した国道沿いの巡礼路と合流する。町の商店の前には、茶色の馬がつながれていた。今度は以前見たようなロバではなく、体格の良い正真正銘の馬だ。馬の主は商店で何か買い物をしていたらしく、しばらくしたら彼は馬のところに戻ってきた。彼に馬の写真を撮っていいか聞いてみたところ、OKとの許可をもらったので、写真を撮った。
 まだ時間は早いが、お腹が空いたのでバルでお昼にすることにした。外のバルコニーのテーブルの椅子に座り、相変わらずのボカディージョ・トルティージャ・パタタを食べた。ここではなぜかトルティージャをパンに挟まず、別々に出してくれた。このバルはアルベルゲも併設されており、バルコニーには洗濯物のシーツが干されていた。シーツは心地良い風に吹かれてひらひらしていた。バルコニーから外を見ると、庭には野菜が栽培されており、その向こうは山だった。ここだけ見ると、なんだか日本の田舎の風景だと言っても違和感がないような気がした。このときは僕しか客がいなかったので、とてもリラックスすることができた。

馬!
馬!
昼食のボカディージョ
昼食のボカディージョ
遊具と洗濯物のシーツ
遊具と洗濯物のシーツ
バルコニーからの風景
バルコニーからの風景

 11:20頃バルを出発。国道4号線沿いの舗装された道を歩く。道は歩きやすいが、幹線道路で交通量も多かったので、歩いていてあまり面白くなかった。しばらく歩くとレオンの先で会った学生たちと再会した。アメリカから来たスペインの文化を学んでいる人たちだ。以前話した男性と女性は今回も集団から少し離れ、少し先を歩いていた。彼らは集団行動が嫌いなのだろうか。
 先ほどの馬を連れた人が僕の前を歩いていたので、また写真を撮る。彼はしばらく馬の手綱を引っ張って一緒に歩いていたが、そのうちおもむろに馬にまたがって歩き出した。アメリカの二人の学生たちも興味深そうにスペイン語で話したり、写真を撮ったりしていた。

馬と一緒に歩く巡礼者
馬と一緒に歩く巡礼者
高速道路の下をくぐる
高速道路の下をくぐる

 国道を進むにつれて暑くなってきた。犬も暑そうなので野原に穴を掘ってその中に埋まっていた。このあたりになると犬や猫の姿をよく見かけるようになったが、基本的にこちらでは放し飼いだ。
 少し先になるが、道路沿いには数頭の馬まで放し飼いにされていたので驚いた。彼らはガードレールの近くまで来ていたので至近距離で写真を撮ったが、全然逃げようとするそぶりもなく、悠然と草を食んでいた。彼らの目の周りにはハエがたかっていたが、追い払うような仕草は見せなかった。

穴掘って埋まってます
穴掘って埋まってます
至近距離の馬
至近距離の馬
こっちは牛
こっちは牛
鎮座する猫
鎮座する猫

 ベガ・デ・バルカルセという町で休憩。ベンチでバナナを食べていると、現地のおじさんがやってきて何か僕に向かって話しかけた。おじさんの言葉はスペイン語だったのでさっぱりわからなかったが、それでもそんなことは関係ないというように、おじさんは一方的に話を続けていた。彼は何を伝えたかったのだろう。僕が宿を探していると思っていたのだろうか。
 それから少し歩いた先のラス・エレリーアスという町を過ぎると、巡礼路は国道から離れて山道となり、登りも急になる。森の中は歩いていて心地良かったが、道がぬかるんでいて歩きにくかった。道の両側は緑の深い木々に覆われていた。古い木も多く、空洞がまるで人が叫んでいるかのような形に見えるものもあった。両側が草原や麦畑だった頃と比べると、ずいぶん雰囲気が変わってきたことを感じさせる。

山道を登る
山道を登る
叫び顔のように見える大木
叫び顔のように見える大木

 15:00頃、山の中腹にあるラ・ファバという町のアルベルゲに到着。日本語のガイドブックにはアルベルゲの解説が載っていなかったが、とても綺麗な施設だった。アルベルゲの隣には教会があり、その前には巡礼者の像があった。オスピタレロに案内されると、大部屋にベッドがずらりと並べられていた。その後シャワーを浴び、洗濯をする。洗い場でお湯が出るのは珍しかった。

ラ・ファバのアルベルゲ
ラ・ファバのアルベルゲ
アルベルゲ前の巡礼者の像
アルベルゲ前の巡礼者の像

 一眠りした後、18:00頃からレストランに出かけて夕食をとった。そこで一緒のテーブルに座ったアルゼンチンから来た女性と話をした。彼女はアドレアさんという名前の人だった。彼女にどうしてカミーノを歩いているのか聞いてみると、「夫を亡くしたので歩いているの」と話してくれた。僕は軽い気持ちで聞いたので、なんかまずいこと聞いちゃったかな、と後悔する。
 夕食をとった後、二人のフランスから来た老人の女性たちと話した。彼女たちによると、ラス・エレリーアスからオ・セブレイロまでは登りの山道が続くが、山登りをスタートしてからラ・ファバまでは勾配がきついけれど、あとはそうでもないとのこと。明日の行程は今日よりも多少楽になりそうだった。
 その後レストランを出て、アルベルゲに戻る途中の商店で朝食を買った。アルベルゲの近くの教会ではミサを行っていたようだが、戻ったときにはもうすでに終わっていた。

夕食
夕食
教会の聖マリア像
教会の聖マリア像

 アルベルゲに戻ってみると、ロビーでアドレアさんと韓国から来たおばさん(名前は聞かなかった)が話していた。彼女たちはカミーノの途中で知り合って、友達になったようだ。韓国のおばさんは日本語がかなり上手だったので、僕は彼女とほとんど日本人と同じ感覚で話すことができた。しかし彼女は英語をあまり喋れなかったので、僕に対して英語でアドレアさんに通訳してくれないかとお願いされた。
 おばさんによると、今日はオ・セブレイロの町まで行ってきたが、道を間違えてラ・ファバまで戻ってしまったそうだ。彼女がオ・セブレイロに到着したとき、おばさんは一匹の犬と遭遇したという。その犬はラ・ファバに戻る車道を「こっちじゃないよ!」ということを教えるように後を付いてきたが、おばさんは犬が嫌いだったので追い払ってしまったとのこと。その後彼女はその車道を戻ってしまい、ラ・ファバに戻ってしまったという。そのため明日もしその犬を見かけたら、「昨日はありがとう、ごめんね」と言って謝りたいと言っていた。
 おばさんは僕と同じく今日はビジャフランカ・デル・ビエルソから歩いてきたそうなので、結果的に僕よりも長い距離を歩いていることになる。見た目は小柄なのに、非常に健脚な人だ。普段から歩いたりして鍛えているのだろうか。
 おばさんは一通り話した後、「難しいと思うけど、その内容をアドレアさんに通訳して」と僕に言ったが、果たして自分の拙い英語で彼女に上手く伝わったのかどうかはわからなかった。
 その後ダイニングで日記を書いたり、明日の予定を立てたりしていると、また韓国のおばさんに話しかけられた。彼女は6月5日にサンティアゴに着きたいけれど、日程的に厳しいのでどうしようか悩んでいるようだった。
 おばさんは紙に印刷された地図を持ってきていたので、その地図と僕の持っていた英語の地図を照らし合わせてみた。僕はそれを見て、「この先のトリアカステーラからサリアまで二通りの道があるけれど、サモスという町を経由するのではなく、森の中を突っ切る道を行くと早いですよ」とアドバイスした。
 おばさんは僕に感謝し、お礼にゆで卵を二個渡して、「これを明日の朝食べなさい、私は朝いつも食べているのよ」と言ってくれた。人から食べ物をもらうのは若干心配だったが、ありがたく頂戴することにして、アルベルゲに備え付けられている冷蔵庫にしまっておいた。でもおばさんは朝食がゆで卵だけで足りるんだろうか。
 最後におばさんに「どこか体で痛いところはない?」と聞かれたので、僕は「大丈夫です、ケンチャナヨ、ケンチャナヨ(大丈夫)!」と韓国語で答えた。それは僕が知っている数少ない韓国語のフレーズの一つだった。それを聞いた彼女は嬉しそうだった。
 それから寝室に戻り、22:00就寝。

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