朝6:00起床。外は依然として雨が降っていた。洗濯物はあまり乾いていなかったが、仕方ないので取り込む。
出発の準備をしてから、昨日夕食をとったレストランに向かい朝食をとる。一食3.5ユーロだった。テーブルにはパン、ジャム、ヨーグルト、シリアル食品、果物、飲み物などが用意されていて、バイキング形式で好きなだけ食べてよいということだった。いつも宿で出る朝食は量が物足りないことが多いので、昨日朝食を自分で用意してしまっていたが、今回は必要なかったかもしれない。
朝食をとっていたシャーリーさんに声をかけられたので隣に座る。どうやら僕は彼女に気に入られたようだ。お金を盗まれた僕の身を心配してくれているのだろうか。今日はポンフェラーダの町まで進むことを伝えたら、彼女はもう少し手前で今日はストップするそうだ。
7:30出発。外は一面霧が出て、非常に寒かった。雨も時折強く打ち付けてきた。出発したときはウインドブレーカーの上着だけを着ていたが、それでは足りなくなったので、途中で立ち止まってウインドブレーカーのズボンも履いた。手がかじかむので手袋も装着した。アストルガの街で用意しておいてよかったと思う。
フォンセバドンの町を出てから2kmほど歩くと、イラゴ峠の鉄の十字架に到着した。時刻は8:00頃だ。そこには見上げるくらいの大きさの木の柱がドンと立っていて、柱の頂上に小さな鉄の十字架が飾られていた。思っていたよりもずっと背が高くて驚いた。
木の太さは直径30センチくらいだろうか。その周りには巡礼者たちが残していった花やホタテの貝殻などがくくりつけられていた。十字架の足元は小高い丘になっており、そこに無数の石が置かれている。僕はその丘に登り、昨日用意しておいた石を十字架のふもとに置いた。
それから一つ一つ巡礼者たちが残していった石を見ていった。石の大きさはさまざまだが、綺麗な形をしたものが多かった。ここに置く人はやっぱり母国からちゃんと石を用意してきているようだ。この中にはシートさんとミゲルさんが持ってきていた石もあるのだろうか。無数の石の中には、日本語で書かれたものもあった。
十字架の周りでは巡礼者たちが集まって写真を撮っていた。その中の一人に「君の写真を撮ってほしいのか?」と聞かれたので、お言葉に甘えて撮ってもらうことにした。
イラゴ峠は標高が1530メートルで、ここがフランス人の道の巡礼路の最高地点だ。その後は森の中の道路に沿った砂利道を進む。しばらく行くと急な下り坂になった。雨は上がっていたが、地面が濡れているので足元に気をつけないと。
10:00頃にとたんに一霧が晴れて、眼下にポンフェラーダの町が見えた。でもすぐに霧で隠れてしまった。一瞬の出来事だったので、まるで今見た光景は幻のようだった。
その後も急な坂道を下る。ある程度まで下ると急に霧が晴れて見通しが良くなった。振り返ってみると、イラゴ峠の山頂だけ雲の中に隠れているのが良くわかった。そこから少し行った先のエル・アセボという町で休憩し、朝食用に買っておいたバナナを食べた。しかしバナナがまだ半熟で、皮をむくのがしんどく、甘みも少なかった。
その後も山道を下る。まだ標高が高いので、とても見晴らしが良かった。リエゴ・デ・アンブロスという町で昼食をとろうと思ったが、バルが見つからなかったのでそのまま進む。この頃から天気は回復し、晴れ間が見えて少し蒸し暑くなってきたので、ウインドブレーカーを脱ぐことにした。
さらに山道を下り、12:40頃モリナセカという町に到着。この町の入り口にはマルエロ川という川が流れており、橋を渡って町の中に入る。その橋はスケッチにぴったりだったので、時間があればここで絵を描きたいなと思ったけど、今日はもっと先に進む予定だったので断念する。
川の近くのバルに立ち寄って昼食。いつものボカディージョ・トルティージャ・パタタを頼む。天気が良くなってきたので店の外の川沿いで食べた。このメニューも飽きてきたけれど、ハムやチーズなどの具材はあまり好きでなかったので、結局いつも昼食はこれになってしまう。本当は野菜のボカディージョが食べたかったが、そのメニューがあるバルは少なかった。
バルを出てまた歩き始めると、町の外れには巡礼者の像と噴水があり、そこには日本語の記念碑があった。思わぬところで日本語を目にしたので驚いた。どうやら四国のお遍路さんとカミーノの交友を記念して作られたものらしい。設立が2009年と書かれていたので、まだ作られてから間もないようだ。
その後はポンフェラーダの町に向かう。モリナセカからポンフェラーダまでは山道と舗装された道の二通りの道があるが、山道を進むとぐるっと迂回してポンフェラーダの町に入るため、時間がかかってしまう。僕は早く町に入りたかったので、そのまま舗装された道を進んだ。下り道を歩いていると、僕の横を自転車に乗った集団が颯爽と駆け抜けていくのが見えた。いいなぁ、一度歩くだけではなくあれもやってみたい。
ポンフェラーダという地名は「鉄の橋」という言葉に由来する。このあたり一帯は鉄が産出されるため、1082年にアストルガのオスムンド司教が、木でできた橋を鉄に架け替えたのが名前の由来になっている。ポンフェラーダの標高は540mなので、標高1505mのイラゴ峠からは965mほど下ったことになる。
ポンフェラーダの公営のアルベルゲに着いたのが14:30頃。「サン・ニコラス・デ・フルエ」という名前だった。この施設は旧市街地からは若干外れたところにあり、近くには教会も併設されている(しかし結局僕は足を運ばなかった)。ここのアルベルゲは寄付制だった。ちょうど小銭がたまっていたので、僕はチェックインのときにジャラジャラと受付の寄付の箱に投入した。
それからオスピタレロに数人の巡礼者と一緒に一通り説明を受けてから、地下に案内された。そこは一つの大部屋に鉄の二段ベッドが並べられ、そのうちの一つにあてがわれた。ベッドは密集して置かれていたので、他人の話し声が気になって、あまり落ち着くことができなかった。僕はこの雰囲気があまり好きではなかったが、仕方なかった。
その後シャワーを浴び、洗濯をして一眠りする。
17:00頃、オスピタレロに商店の場所を教えてもらったので、夕食を買いに行った。今日は自炊する予定だ。スープを作ろうと思い、サラミ・ジャガイモ・タマネギなどの具材を買った。サラミは店員がその場でスライサーで切ってくれて、「このくらい?」と僕に見せてくれた。どうやらハム類などは量り売りをしているようだった。支払いをするときに半端な額を請求されなかったので、あれ?と思っていると、店員は0.3ユーロおまけしてくれたらしい。
買った食材を手に提げてアルベルゲに戻り、料理を開始する。この時間は調理する人でキッチンがごった返していたので、隙を見計らってささっとその中に割り込んだ。
夕食は買った具材でスープを作った。サラミ・ジャガイモ・タマネギとお米のつもりで買った謎の種を入れて煮込む。しかしスープの水が少なく、サラミが塩っぽく、さらに追加で塩を足したのでかなりしょっぱいスープになってしまった。サラミから染み出る塩分だけで充分だったのかもしれない。塩を入れる前に味見をするんだったな。
結局苦労した割にはあまりおいしくなかった。トマトソースのパスタを除くと、変に自分で作ったりするよりも、レトルト食品を温めて食べるのが一番外れの少ないメニューなのかもしれない。それはそれで味気ないけれど。
その後バルコニーで写真を参考にしつつ今まで描いた絵に色を塗っていたら、いろいろな人に話しかけられて嬉しかった。
あとサンティアゴまで200km弱だ。サンティアゴまでまだまだあると思っていたけれど、着実にゴールに近づいているようだった。
21:30就寝。