5月27日(火) アストルガ~フォンセバドン(27.2km)

アストルガ~フォンセバドン
アストルガ~フォンセバドン

 6:00起床。まだ人がいないダイニングに降りていき、スープ、パンなどの朝食をとった。スープにはオスピタル・デ・オルビゴの商店でお米だと思って買ったものを入れてみた。でもそれはお米ではなく、何かの種のようだった(結局それが何であるかわからなかった)。
 出かける前にロビーに置いてあった宿帳に「お金を盗まれたので気をつけてください」と書いておいた。少しは警告になっているといいけれど。
 7:00出発。あまり焦らなくてもいいけれど、今日は早く出発することができた。今日も天気は良く、空気は凛として冷たかった。

早朝のアルベルゲ
早朝のアルベルゲ
アストルガの町並み
アストルガの町並み
向こうから朝日が昇ってきた
向こうから朝日が昇ってきた
ショーウィンドーに並んでいたお菓子
ショーウィンドーに並んでいたお菓子

 町の中を巡礼路に沿って歩くと、旧市街地の出口付近に巡礼博物館とカテドラルがあった。
 巡礼博物館はレオンと同じくガウディが設計した建築物だ。建築した当初は司教館として造られたが、そのあまりにも斬新なデザインから司教と意見がぶつかり、ガウディは途中で手を引いてしまったらしい。その後は巡礼博物館としてオープンしたが、現在も建物自体は未完成のようだ。
 その近くにはカテドラルがある。このカテドラルは1471年に建築が始まったが、完成したのは18世紀になってからだ。正面から見て左側の塔は茶色くくすんでおり、右側の塔は赤みがかかっている。左右で微妙に色が違うのはやはり建設時期が違うからなのだろうか。
 時間があれば巡礼博物館にもカテドラルの中にも入りたかったが、昨日は警察署に行かなければいけなかったし、今日はまだ開いていないのであきらめることにした。仕方がないので外側の写真だけでもたくさん撮った。

巡礼博物館
巡礼博物館
正面入り口のレリーフ
正面入り口のレリーフ
カテドラル
カテドラル
入り口の彫刻
入り口の彫刻

 旧市街地の出口付近には宗教的な集会所のような建物があり、その壁面には変わったレイアウトで文字が書かれていた。「グイア・セニョール・ミ・カミーノ」。…後で訳してみると、「神は私の道を導く」で合っているだろうか。スペイン語で「セニョール」とは、一般的に男性に向けて呼びかけるときや、姓や肩書きにつける敬称のことだが、ここでの「セニョール」とは「神様」のことのようだった(セニョールと聞くと、僕はどうしても「ちびまるこちゃん」の花輪君を連想してしまうけれど)。

宗教的な集会所だろうか
宗教的な集会所だろうか
「神は私の道を導く」…で合ってるかな?
「神は私の道を導く」…で合ってるかな?

 アストルガ近郊の原っぱでは馬が横になって寝ていた。巡礼者たちがそれを見て立ち止まったり写真を撮ったりしていたが、一向に起きる気配はなさそうだった。馬にとってはすっかり慣れてしまっているのだろうか。
 アストルガの市内を抜けて、しばらく行ったところに「エッセ・ホモ」という小さな教会があった。入り口にはいろいろな言葉に混ざって「信仰は健康の泉」と日本語で書かれていたのが面白かった。

やる気のない馬
やる気のない馬
エッセ・ホモ教会
エッセ・ホモ教会

 今日はアストルガの町を出てからずっと山登りの道になる。余力があれば山の中腹にあるフォンセバドンという町まで行くつもりだった。アストルガの標高が900m、フォンセバドンの標高が1400m以上なので、約500m登らないといけない。距離も27km以上あるので、今日は少し気合が必要だ。
 その後ムリアス・デ・レチバルド、サンタ・カタリナ・デ・ソモサといった小さな集落を通り抜ける。古い石組みの建物が多く、その中には崩れかけたものや土台しか残っていないものもあった。僕はこういう廃墟が好みなので、たくさん写真を撮った。

だらだらした登り道
だらだらした登り道
途中の町に到着
途中の町に到着
「ちょっと休んでいかんかね?」
「ちょっと休んでいかんかね?」
崩れた石組み
崩れた石組み

 この付近の巡礼路はアスファルトの道路と平行した砂利道になっている。野原の中のだらだらした登りの一本道をひたすら進む。道端には黄色い花が咲き乱れていた。なんという名前なのだろう。
 10:30頃、エル・ガンソという町で休憩。バルに立ち寄り、いつものボカディージョ・トルティージャ・パタタを食べる。
 ちなみにボカディージョ・トルティージャ・パタタには食べ方のコツがある。フランスパンにトルティージャを挟むと、分厚くなるので口に入りきらないのだ。そのため、ボカディージョを分解し、まず上のパンだけ少し食べて、その後上のパンでトルティージャと下のパンを押さえ、上の食べたところまでトルティージャと一緒に下のパンを食べる。その繰り返して食べていく、という作業が必要になる。
 バルではナッツ類も一緒に売っていたので、2ユーロで購入。ビニール袋につめられており、ナッツの他に干しブドウやイチジクなどが混ざっていた。途中でおやつ代わりに食べよう。

バルで休憩
バルで休憩
昼食のボカディージョ
昼食のボカディージョ

その後はだんだん山道がきつくなる。暑くなってきたので上着を脱いで進む。遠くには雪をかぶった山が見えた。
 それからしばらく歩き、ラバナル・デル・カミーノの町に着いたのが12:50頃。ここは人口50人ほどの小さな町だ。ベンチに腰掛け、さっき買ったナッツ類を食べる。町の中には民族衣装を着て、鷹を腕に止まらせている人がいた。疲れていたらこの街に泊まろうかとも思っていたが、まだ余力があるので先に進むことにした。
 その後山道はさらに険しくなり、急な坂になる。急な登りになると特に荷物が重く感じられるので、時々休みながら進む。周りには紅白のヒースが一面に咲いていた。

雪をかぶった山
雪をかぶった山
ラバナル・デル・カミーノの町
ラバナル・デル・カミーノの町
さらに登りはきつくなる
さらに登りはきつくなる
ベンチで休憩
ベンチで休憩

 14:20頃、今日の目的地のフォンセバドンの町に到着。ここは以前住む人がいなくなってしまっていたが、現在は巡礼者の数も増えたことから町として再整備されているそうだ。山の中腹にあるため、町の中はかなりのアップダウンがある。標高はすでに1400mを越えている。先ほどまでは晴れていたのに、今では雲が多くなってきて、かなり寒い。

フォンセバドンの町が見えてきた
フォンセバドンの町が見えてきた
町の入り口に立つ十字架
町の入り口に立つ十字架

 ここには4軒の私営のアルベルゲがあるので、その中のひとつを訪れた。このアルベルゲは一階がレストラン、二階が宿泊施設になっていた。夕食と朝食はここのレストランでとることができるらしい。
 しかし今日は泊まる巡礼者の数が多く、もうすでに二階は一杯になっていた。そのため受付の若い女性に「少し離れた小屋に泊まることになるけれど、それでいい?」と聞かれた。その小屋がどんなものか見てみたかったので、チェックインする前に他の巡礼者と一緒に様子を見に行くことになった。
 離れた小屋の中は20人ほどが泊まれるスペースになっていた。一面ピンクの絨毯が敷いてあり、マットレスもあるので、思い思いの場所で休むことができる。部屋の隅には暖炉があり、その中では薪が燃えていた。またそれとは別にガスの暖房もあったので、室内はとても暖かかった。出窓にはインド風のヨガのイラストが飾られていた。屋根裏にも部屋があり、そこでも寝ることはできるようだ。一見したところ良さそうだったのでチェックインする。マットレスを敷いて自分の寝床を確保し、それからシャワーを浴びることにした。

アルベルゲ
アルベルゲ
部屋の中の暖炉
部屋の中の暖炉

 シャワーは個室になっていて、ユニットバスと一緒になっている。たいていはひとつの部屋で仕切りがあるだけなので、このようなタイプは珍しかった。でもシャワーを浴びようとするとお湯が冷たい!ためしに水に切り替えるとさらに冷たかったので、どうやらお湯の温度が低かったようだ。
 体が冷える前にささっと洗って、急いでシャワー室を後にする。ううぅっ、寒い。別の個室でシャワーを浴びていた人も同じだったようで「お湯が出ない!君のところはどうだったんだ?」と僕に聞いてきた。
 その後洗濯をして、それらを干すために外に出る。アルベルゲの周囲ではニワトリやヤギが飼われていて、自由にそこら辺を歩き回っていた。彼らは人間に慣れているようで、僕が近づいていってもあまり怖がることがなかった。灰色の雲が立ち込めて今にも雨が降りそうな気配。洗濯物を外に干して大丈夫かなぁ。それから一眠りする。

ニワトリ!
ニワトリ!
ヤギ!
ヤギ!

 さて、フォンセバドンから約2km先にあるイラゴ峠には「鉄の十字架」(スペイン語だと「クルス・デ・フェロ」)があり、巡礼者たちは願い事を書いた石をその周囲に積み、祈りを捧げる。ちなみにアソフラのアルベルゲでシートさんが言っていた鉄の十字架とはこれのことだ。
 僕も言い伝えにあやかって、願い事を石に書いてみることにした。本当だったら国を出発する前に用意しておくのが筋と言うものだが、何も準備していなかったので、そこら辺で拾った手のひらサイズの平たくて書きやすそうな石に、油性ペンで願い事を書いた。
「人の心を和ませる絵が描きたい。そしてそれで生活したい。
そのために、健康でありますように。心が安定していますように。家族や病気やケガをしませんように。」
 これがどこまでこれが現実的に叶えられるかわからないけれど、なんとなく僕はこんな方向に進みたかった。石に願い事をこれだけ書くと、明日鉄の十字架のところに置くために、リュックにしまっておいた。

願い事を書いた石
願い事を書いた石

 それから明日の朝食を買いに町をを歩いていると、シャーリーさんたちと再会。彼女に「お金は戻ってきた?犯人は見つかった?」と聞かれたので、僕がまだだと答えると、非常にがっかりした顔をしていた。
 彼女たちは僕が泊まるのとは別のアルベルゲに泊まるようだ。でもそこはあまり雰囲気が好きではないらしい。僕が「どこが気に入らないんですか?」と聞くと、彼女は「はっきり言うのは難しいけれど・・・建物も古いし、みんなで一緒に御飯を食べないといけないの」と言っていた。
 その後商店に行き、明日の朝食と残り少なくなっていたシャンプーを買う。店から出ると雨が降り出したので、あわてて洗濯物を取り込む。まだ全然乾いていなかったので、アルベルゲの軒下に干すことにした。
 19:00から夕食。もうすでにレストランには20人以上の人が集まっていた。シャーリーさんがいて手招きされたので僕は隣に座った。どうやら彼女はこちらで食事をするようだ。彼女によると、いつの間にか僕がお金を盗まれたことがいたるところで噂になっているらしい。僕からはほとんど周りに言っていないのに。
 メニューはサラダとパエリアだった。少し離れたテーブルには直径1メートルはあろうかという巨大な鍋があり、パエリアが一面敷き詰められていた。各々それを自分の皿に取り分ける。パエリアはとてもおいしく、おかわりをしてしまった。みんなワインを飲んでいたので、僕も少しだけ飲んだ。

パエリアが乗った台
パエリアが乗った台
取り分けられたパエリア
取り分けられたパエリア

 近くに座っていたオーストリア人やアイルランド人と話をしたりした。オーストリアでは日常的にはドイツ語を使うようだ。でも具体的に何を話したかは忘れてしまった。
 20:00頃宿に戻る。雨は本降りになって、外はますます寒くなった。洗濯物は全然乾いていないので、そのまま軒下に干しておくことにした。明日には乾いているといいなぁ。
 22:00頃就寝。

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