6:00起床。今日はいびきなどを気にせず、良く眠れた。朝食は用意されたものではなく、自分で買ったパンやオレンジを食べた。用意されていたクラッカーだけだと量が少ないと思ったからだ。7:20出発。
今日も田舎道を歩く。まだとても寒いので、手がかじかんでしまう。振り返ると後ろから朝日が昇ってくるところだった。
町を出てしばらく歩くと、モステラレスという山を越える道になる。登り坂は急勾配だが、景色がすばらしいので、時々立ち止まりながら今まで来た道を振り返りつつ進む。途中でたくさん写真を撮るが、カメラのバッテリーが少なくなっていたので、大丈夫かなぁと不安になる。
坂を登りきり、山の頂上に到着する。そこには巡礼路を示すホタテ貝が彫られた大きな石碑が建てられ、その近くには木で作られた屋根つきの休憩所があった。休憩所の横には木の掲示板が置かれていて、そこにはたくさんの寄せ書きが書かれていた。
振り返ると今まで歩いてきた道が一望できて、とても良い景色だった。小高い丘の上には昨日見た城跡がぽつんとあり、そのふもとにはカストロへリスの町が小さく見えた。
そこからしばらく歩くと、急に前方の視界が開けた。この先は下り坂になっており、麦畑の中に一本の道があり、地平線まで続いている。これから進むイテロ・デ・ラ・ベガの町が一望できた。それから山を下り、またひたすら麦畑の中を進む。いつもと景色はあまり代わり映えがしないので、少々飽きてきてしまう。
9:40頃、エルミータ・デ・サン・ニコラスという石造りのアルベルゲに入ってみた。そこは休憩所もかねていて、テーブルにはオスピタレロのおじさんが座り、みんなにカフェを振舞っていた。僕は飲まなかったけれど、その代わりにクレデンシャルにスタンプを押してもらった。僕が「グラシアス!」と言うと、彼は「デナーダ(どういたしまして)」と返事してくれた。とても礼儀正しいおじさんだった。
ピスエルガ川を渡ったところで巡礼路は右に折れ、そのまま2kmほど川沿いの道となる。道の両脇には、まるで子供の頃にクリスマスツリーに飾り付けをしたような、ふわふわした綿毛がまとまっていた。「これはどこから来るんだろう?」と思って周囲を観察したら、川沿いに綿毛の生えた木が育っていた。僕は木の名前がわからなかったので、「ふわふわの木」と勝手に命名した。たまに町の中でも綿毛が飛んでいることがあったので、その原因はこの木だったのかもしれない。最初はタンポポの綿毛だと思っていたんだけれど(しかし後で確認すると、これはポプラの木の綿毛のようだった)。
そのまま川沿いの道を進み、10:10頃にイテロ・デ・ラ・ベガという町に到着。そこでしばらく休憩する。町の近くの麦畑では、その中に設置されていたスプリンクラーが作動していた。噴出される水の方向によっては、それがときどき光を受けて虹を作っていて、とても綺麗だった。
途中で左折し町を出て、そこから先はまたひたすら長い乾燥した田舎道を歩く。暑い!日陰が全然ない!日差しが強くなってきたので、昨日買ったくたびれた帽子を早速かぶることにした。途中真っ赤なポピーが一面に咲いている場所があったが、それ以外は単調な麦畑の中の一本道が続く。
12:00頃、ボアディージャ・デル・カミーノという町に到着。バルに立ち寄り、外のテーブルで昼食(ボカディージョ)をとる。バルを出てから町の中を歩くと、草むらに三頭の白い馬がいるのを見つけた。彼らは仲が良さそうに草を食んでいて、どことなく神秘的な雰囲気があった。
町を出てからしばらくまた麦畑の中を歩く。ところどころに畑に水を引いている用水路があった。これらの用水路は巡礼路と直角に交わっているので、その部分は途切れていた。それなのに、どうして途切れている先から水が流れているんだろう?と疑問に思う。よく観察してみると、途切れている部分には円筒形の土管が垂直に埋まっており、そこで水を地下に落としたり、地上に上げたりしてくるらしい。どうやら円筒の土管は地下でつながっていて、そこを水が流れているようだった。
しばらく行くと、道は運河にぶつかった。最初僕は川だと思ったけれど、案内板の近くにいた巡礼者のおじさんが「カナル」だと教えてくれた。その単語は知らなかったけれど、昨日見た日本語のガイドブックでこれが書かれていたので、「ああ、運河のことなんだな」と気づいた。ちなみに英語でもスペイン語でも同じ「カナル」である。ちなみにこれは「カスティージャ運河」と呼ばれているらしい。
この運河は18世紀半ばから19世紀前半に作られたが、結局未完成のまま工事が終わっている。とはいえ運河に沿って水草が茂っているので、水鳥たちの住処になっているようだ。案内板の先に運河があり、巡礼路沿いにずっと続いていた。ところどころ水門があり、そこから畑に水を引いている。
運河沿いに歩いていると、地元の学生が集団で道の向こう側から歩いてきた。中学生くらいだろうか。もしかしたら授業の一環なのかもしれない。「ブエン・カミーノ!」とたくさんの生徒に声をかけられたので、僕は「グラシアス!」といちいち返事をしなければいけなかった。
何人もの生徒たちとすれ違った後に、彼らの一人からいきなり日本語で「こんにちは!」と声をかけられた。僕は思わず驚き振り向いて、その子に対して親指を上げながら「ムイ・ビエン!(とてもいいね!)」と返したら、相手も笑ってくれた。でも僕のことをどうして日本人だとわかったんだろう。
フロミスタの町に入る前に運河を横切る。ちょうど大きな水門の上を通る形になっていて、自然の風景と大きな人工物との対比が面白かった。そこで立ち止まって写真を撮ろうと思ったけれど、水門の上の通路は人が一人通れる位の幅しかなく、邪魔になってしまうので撮ることができなかった。先ほどすれ違った学生たちはその水門の近くに集まり、楽しそうに話していた。
14:20頃、フロミスタの町に到着。公営のアルベルゲにチェックイン。シャワーを浴び、洗濯を済ませ、一眠りする。その後町の中を散歩。この町には三つ教会があったので、全てに立ち寄ってみることにした。
まず町の中心部にある「サン・ペドロ教会」というところに行ってみた。この時間には入り口には鍵がかけられ、閉まっている教会も多いが、この教会の中には入ることが出来た。中には講堂とは別に美術館が併設されていて、受付の人によると1ユーロ(だったはず)払えば自由に見てもいいとのこと。
壁面には新約聖書の内容の絵が描かれており、受胎告知からキリストが復活して昇天するまでの内容が時系列で描かれていた。スペイン語のタイトルや解説はわからなかったが、新約聖書の全体的な流れは知っていたので、「あ、これはここの場面だな」ということがなんとなく想像できた。
最後の晩餐の絵では、十二使徒が円卓でキリストを囲んで食事をしていたが、その中に一人後ろ手に金貨を入れた袋を隠している人がいて、「ああ、この人がユダなんだな」とニヤリとした。
また、絵の中のひとつにキリストがエルサレムに入り、ユダヤ人に捕まって棘の付いた鞭で打たれている場面があった。とても痛々しい光景なのに、絵が拙いところがあって、鞭を打っている人がまるでダンスをしているように見えて面白かった。
美術館には受付の人を別にすれば僕以外に誰もいなかったので、じっくりと見ることができた。絵の写真を撮ってもOKとの表示が出ていたが、このときカメラはアルベルゲで充電中だったので持ってきていなかった。残念。教会を出た後、残りの二つの教会にも立ち寄ってみたが、どちらも入り口が閉まっていて中に入れなかった。
その後アルベルゲの近くのレストランで夕食。今日は特に相席する人がいなかったので、一人で黙々と食べた。メニューは野菜(ホウレンソウかな?)のグラタンとサラダだった。このレストランには日本の芸者さんが化粧をしている場面の油絵が飾られていて、じっくり見入ってしまった。
それからレストランの近くの「サン・マルティン教会」でミサがあるとのことだったので行ってみた。先ほど行ったときには入り口が閉まっていたが、ミサの時間になると入り口は開けられており、自由に中に入ることができた。
この教会は11世紀に立てられたロマネスク様式のもので、その後無理な工事がたたって老朽化してしまったが、現在は修復工事が行われ、建設当時の姿に戻っている。教会の中は窓が多いため、一般的な教会と比べると明るく開放感がある。内装は非常にシンプルで、最低限の装飾しか存在しなかった。マイクスタンドや絵葉書を入れるラックも置かれていたので、多少俗っぽさはあったけれど、僕はこの身近な雰囲気が好きだった。
ミサが終わった後、司教さんに「巡礼者たちは前に集まって」ということを言われた。彼は「小さいから持ち運びしやすいでしょ?」と言って、巡礼者全員に3センチ角の黄色い矢印の書かれた紙を配っていた。彼はとても気さくな人で、偉ぶったところがないところに好感が持てた。
その後司教さんは「これからの旅の安全を祈って祝福をします」と言った。僕を含めた巡礼者たちは司教さんの前に一列に並び、司教さんは一人ひとり順番に祝福を施していった。彼は巡礼者のおでこに十字架のマークを指でなぞり、スペイン語で何か唱えていた。
僕の順番になったので、司教さんの前に立って祝福を受けた。彼は背が低かったので段差に昇っていたが、僕の番が来たら段差から降りていた。彼の指先からはやさしさが伝わってくるような感覚がした。僕はそのとき司教さんが、「人種も年齢も関係なく、あなたには人間として価値がありますよ」と言ってくれたような気がした。
その後アルベルゲに戻り、22:00就寝。