5月15日(木) フロミスタ~カリヨン・デ・ロス・コンデス(20.5km)

フロミスタ~カリヨン・デ・ロス・コンデス
フロミスタ~カリヨン・デ・ロス・コンデス

 ふと4:00頃に目が覚めた。それからはちゃんと眠れなくて、ベッドの中で半分起きて半分寝ているような感覚だった。昨日の祝福を受けた体験を思い出しながらうとうとしていると、突然ふと「特別な感覚」が急に頭の中に降ってきた。これは言葉や文章で表現するのは少し難しい。非常に感覚的なものなので書いてしまうと内容が薄まってしまう気がするし、書いたとしても多分十分の一も伝えきれないと思うからだ。
 それを承知で書いてみると、僕は「大きなもの」の一部だということだ。その「大きなもの」とは何かと言うと、この世界や宇宙を包み込んでいるような存在であり、僕を含めたありとあらゆる命はそれとつながっているのではないだろうか。その「大きなもの」を僕と同じような体験をした昔の人が「神様」と言ったんじゃないかな。世界中にはたくさんの宗教があり、そこにはたくさんの神様がいるけれど、元をたどれば全て同じものなのかもしれない。そして「大きなもの」と僕自身がつながっているなら、僕の心の中にも「大きなもの」は存在しているのではないだろうか。
 以前そのような本を読んでいたことがあったので、知識としては以前からあったことだが、このとき初めて実感することができた。僕はスピリチュアルとか怪しい宗教とかに傾倒しているわけではないけれど、これは自分で考えたわけではなく、自然と空から降ってきたような感じだった。毎日巡礼路を歩き、テレビやインターネットなどと離れた生活を送っていると、精神的な感覚が研ぎ澄まされるのかもしれない。
 そんなことを考えているとだんだん頭がさえてきた。6:00頃周りの人も起きだしてきたので、僕もベッドから出ることにした。昨日商店で買ってきた朝食をとり、7:10頃出発。ちょうど満月が沈むところで、反対側から朝日が昇るのも見えた。

早朝のサン・マルティン教会
早朝のサン・マルティン教会
満月の沈むところ
満月の沈むところ
反対側からは朝日が昇ってきた
反対側からは朝日が昇ってきた
鉄の板を切り抜いて作られた巡礼者像
鉄の板を切り抜いて作られた巡礼者像

 フロミスタの町を出てからしばらくは、車道に沿った土の道の上を歩く。途中道沿いにいくつもカミーノを示す石碑があった。普通はひとつだけなのに、ここではなぜか「これでもか」というくらいに並んでいた。こんなにたくさん置かなくても、一個あれば充分ですから!残念!

無数に並ぶ石碑
無数に並ぶ石碑
ベンチで一休み
ベンチで一休み

 その後県道沿いに歩く。ポブラシオン・デ・カンポスという町を過ぎると道は二つに分岐する。ひとつはそのまま直進し車道に沿って進む道で、もうひとつは右折してウシエサ川に沿って歩く道だ。川沿いのほうが若干距離は長めだが、ガイドブックでお勧めされていたので、こちらの道を進むことにした。
 そこから少し歩いた先にあるビジョビエコという町では、工場の一番高いところにコウノトリが巣を作っていた。その町の公園のベンチでしばらく休憩し、トイレに行きたくなったので近くのバルでトイレを借りる。「トイレを使ったら50セントを払ってくれ」と入り口の貼り紙に書かれていたので、使った後にバルの女性の店員に50セントを渡そうとすると、彼女はびっくりしたような顔をしていた。わざわざ律儀にお金を渡しに来るような人はほとんどいないのだろうか。

ビジョビエコの町の入り口
ビジョビエコの町の入り口
工場のコウノトリの巣
工場のコウノトリの巣

 それからウシエサ川に沿って歩く。歩いていて心地良い道だった。川の両岸には木が生えていたので、まるで明るい林の中を歩いているようだった。時々風がさっと吹いて木々を揺らすのが見ていて爽やかだった。でも歩いている途中ですぐにまたトイレに行きたくなった。一時間ほど前に行ったばかりなのに。今日はトイレが近いのはなぜなのだろう。

ウシエサ川沿いに歩く
ウシエサ川沿いに歩く
川にかかる橋
川にかかる橋

 10:40頃、ビジャルカサル・デ・シルガという町に到着。バルで休憩し、トイレだけ借りる。この町で先ほど二つに分岐した道は合流する。ここでお昼にする予定だったが、まだ時間的に早いので先に進むことにした。アスファルトの車道沿いにほぼ平坦でまっすぐな、ひたすら単調な道が続いていく。しばらく歩くと、カリヨン・デ・ロス・コンデスの町が遠くに見えてきた。

カリヨン・デ・ロス・コンデスの町並み
カリヨン・デ・ロス・コンデスの町並み
町の入り口にあるキリストの壁画
町の入り口にあるキリストの壁画

 12:00頃、カリヨン・デ・ロス・コンデスの町に到着。ここは人口が2400人ほどの小さな町だが、一通り宿泊施設や飲食店などがそろっている。僕は一軒のバルに立ち寄って昼食をとることにした。もうお決まりになってしまったボカティージョ・トルティージャ・パタタを食べる。まだ時間は早いけれど、この先17kmほど町がないので今日はここでストップする。
 この町には3軒のアルベルゲがあるが、僕はその中でも町の中心部にある「アルベルゲ・パロキアル・デ・サンタ・マリア」というアルベルゲに泊まることにした(理由は後で)。12:30頃にアルベルゲに行ったが、建物の前にはもうすでに巡礼者たちの長蛇の列が出来ていた。ここのアルベルゲの人気が高く、この町に宿泊する人が多いからなのかもしれない。30分ほどしてようやくチェックインが出来た。定員が50人なのに対して僕の順番は43番目で、この時間でも結構ぎりぎりだった。

昼食のボカディージョ
昼食のボカディージョ
アルベルゲの前には既に長蛇の列
アルベルゲの前には既に長蛇の列

 チェックインのときに受付のオスピタレロからスケジュールについて説明される。18:00からミニコンサート、20:00から近くの教会でミサが行われるそうだ。21:00からみんなで夕食をとる予定なのだが、遅い時間なので、お腹が空いた場合はレストランで食べても良いし、アルベルゲにはキッチンがあるので、自分で何か作っても良いとのこと。さすがに21:00から夕食というのは遅い時間なので、今日はその前に自炊しようと思った。
 このアルベルゲはサンタ・マリア教会の近くにあり、なんとシスターさんたちがオスピタレロとして働いている。僕はその中の一人に部屋に案内された。部屋は二つあり、宿泊する巡礼者たちは半々に分かれていた。
 その後シャワーを浴び、洗濯をして一眠りし、町を散歩する。町の中心部から北に歩いていくと、町の出口付近でカリヨン川にぶつかった。そこには橋が架かっており、川沿いにはベンチがあった。ここまで歩いてくる巡礼者はおらず、静かで落ち着ける場所だったので、ベンチに腰掛けて今朝考えた「特別な感覚」をノートにまとめた。書くのは難しかったけれど。

交差点にある巡礼者像
交差点にある巡礼者像
川沿いのベンチからの眺め
川沿いのベンチからの眺め

 その後町内に戻り、商店で夕食の分の買い物をする。パスタとトマトソース、数種類の野菜や明日の朝食用の果物、パンなどを買った。明日は17kmほど補給がないことを知っていたので、水もたくさん買った。自分の分しか作らないので、野菜は小さいものが欲しかったけれど、置いてあった野菜はどれも大きいものばかりだった。僕は店員に対して「ペケーニョ!(小さいもの)」と連発したけれど、店員は大きいものを野菜のカゴから取り出すだけだったので、結局それで妥協することになってしまった。18:00少し前にアルベルゲに戻る。
 18:00からミニコンサートがあったので参加してみた。実は僕はこの演奏を楽しみにしていた。なぜそれほど楽しみにしていたかというと、日本語のガイドブックにこのアルベルゲのことが載っていて、「シスターの歌声に涙する巡礼者もいる」とのことが書かれていたからだ。「どれだけ素晴らしいか、この目で確かめてみようじゃないか」という場違いで偉そうな感情を少なからず持っていたことも否定できない。
 受付のロビーの椅子に3人のシスターさんたちと巡礼者たちが丸くなって座る。シスターの一人はリコーダーを持っていた。参加する巡礼者たちは総勢15人くらいだろうか。その中にはアソフラのアルベルゲで会ったシートさんとミゲルさんの親子もいた。

ミニコンサート
ミニコンサート

 まず歌詞のカードが配られたあと、司会役のシスターさんに「名前と出身地と、カミーノに来た目的をそれぞれ話して」と言われたので、時計回りに一人ずつ話すことになった。なんだか集団面接みたいだ。僕は「仕事をやめたので、新しいことに挑戦したいから」と答えた。もちろん理由はその一言で済ませられるようなものではないのだけれど。
 その後みんなで「聖者の行進」と「アメージング・グレース」を英語で歌った。「聖者の行進」は歌詞を見ればある程度は歌えたが、「アメージング・グレース」は冒頭の部分しか歌えず、あとはごまかしてしまった・・・。
 他にも2~3曲歌ったが、その他の歌は知らなかった。その中には「Viva la vente(ビバ・ラ・ベンテ)」という曲もあり、知っている人も多いようだった。日本に帰ってから調べてみると、「あなたの来訪に万歳!」というような意味のようだ。
 それから一人の巡礼者の女性がギターを演奏しながら歌ってくれた。また、リコーダーを持っていたシスターさんは「コンドルは飛んでいく」を演奏してくれた。コンサートが進むにつれて参加者の人数も増えていった。椅子に座りきれなくなってしまった人は、一階と二階をつなぐ階段に腰掛けていた。
 それからシスターさんの一人に「何か日本の歌を歌って!」と言われてしまった。僕は「うひー、来た!」と思ったけれど、勇気を出して「早春賦」を歌ってみた。なぜかここ数日この曲が頭の中をリピートしていたからだ。「♪春は名のみの 風の寒さや~」という歌だ。めちゃくちゃ緊張したけれど、歌い終わった後みんなに拍手してもらえた!良かった。
 最後にシスターさんは「明日から歩いているときに口ずさんでください」と言って、みんなでベートーベンの「第九」を歌った。歌詞は「ラララ」で歌ったので僕も歌うことが出来た。
 そこでコンサートはお開き。あー楽しかった。しかし涙することはなかったので、そこが少し残念だった。でも終わったときには、そんなことはすっかり忘れていたけれど。
 その後キッチンで夕食を作る。トサントスで食事を作った時を思い出し、見よう見まねで挑戦してみた。パプリカ・タマネギ・サヤエンドウをみじん切りにして炒め、ツナ缶をその中にぶち込み、トマトソースを入れて加熱。別の鍋でパスタをゆでて、その二つを絡める。いつもパスタの量が多いので、今回は少なめにゆでることにした。パスタと具のバランスが悪くなってしまったけれど、なんとなくそれっぽくなってきた。
 僕が調理しているとスペインのおばさんが具を指して「グランデ(大きい)」パスタを指して「ペケーニョ(小さい)」って言っていたけれど、結局自分ひとりで食べるのだから気にしない。
 結局買ってきたタマネギが大きすぎて、半分余ってしまったので、キッチンで一緒に調理していた韓国人のグループの一人に渡そうとしたところ、彼には英語が通じなかった。
 僕が困っているとその中の一人に「日本の方ですか?」と声をかけられた。どうやら彼らの中に日本人が混ざっていたようだ。面白いのが、韓国人のグループの中で彼が一番韓国人らしい顔つきをしていたことだった。しかし彼の名前を聞くのを忘れてしまって、結局最後まで教えてもらえなかった。
 彼は韓国語を話せるから夕飯をご馳走してもらっているそうだ。彼は韓国人のグループとまとまって行動しているわけではないが、歩くペースが同じなので、アルベルゲではいつも一緒になると言っていた。今日韓国人たちはカレーを作っているらしい。
 彼は韓国語でグループの一人に話し、僕に日本語で通訳してくれた。それによると、「食材は充分にあるから大丈夫」とのことだった。キッチンには後でオスピタレロが作るであろう食材が置いてあったので、タマネギはその中にこっそり紛れ込ませることにした。
 それからパスタを皿に盛り付ける。やっぱり量は多かったけれど、食べきれないほどではなかった。食べていると、さっき僕の料理を見ていたスペイン人のおばさんに、「あなた一人でその量を食べているの?」という顔をされたので、僕は「ムーチョ・コメル(たくさん食べる)」と言って腕まくりしてみせた。僕は懸垂はおろか、まともに腕立て伏せもできないほど腕が細いので、それを見たおばさんはびっくりしていた。

夕食
夕食

 その後時間がなくなってしまったので、食器の片付けは後にして、先に20:00から近くのサンタ・マリア教会で行われたミサに参加した。ミサが終わった後に「巡礼者の人たちは集まって」と司教さんに言われた。司教さんはスペイン語と英語で挨拶し、「どこから来ましたか?」と国の名前をひとつずつ挙げていって、みんなはそれに対して人差し指を上げていた(日本のように手を挙げるのはヒトラーへの忠誠を連想してしまうので、欧州ではNG)。そこにはシートさんとミゲルさんの姿も見えた。そのうちに「ジャパン」と司教さんに言われたので僕は手を挙げたけれど、日本から来たのは僕一人だけだった。
 最後に巡礼者たちが二列に並び、司教さんとシスターさんと分担して祝福を受ける。僕はシスターさんの一人に「God bless you(神の祝福あれ)」と額に十字を描いてもらい、別のシスターさんに紙で作った小さな星のお守りを貰った。教会の椅子に座っていたシスターさんはリコーダーで曲を演奏していた。いいなぁ、この雰囲気。

教会の中
教会の中
長椅子に腰掛けるシスターさんたち
長椅子に腰掛けるシスターさんたち

 その後アルベルゲに戻ると、僕が使っていた食器は誰かによって片付けられていた。21:00過ぎにダイニングに行くと、巡礼者たちがシスターさんと一緒に食事をしていた。結局ここでもメニューはパスタだった。僕はもう夕食をとってしまったが、せっかくなので空いている席に座り、ご一緒することにした。
 僕の隣に座っていたシスターさんに「何年くらいシスターをしているんですか?」と聞いたら、彼女は「もう11年もシスターをやっているの」と言って、指輪を見せてくれた(シスターの指輪はキリストとの結婚のシンボルであるらしい)。まだ年齢的には若そうなのに、そんなに長くやっているとは思わなかったので驚いた。
 僕の前に座っていた年配のシスターさんは「日本の大きな地震は大変だったでしょう、あの映像を見るたびに涙が出るわ」と言っていた。彼女に「あなたの家や家族は大丈夫だった?」と聞かれたので、僕は「それは大丈夫だったけれど、チカさんという日本人が被災していて、もしかしたら数日後にここに泊まりに来るかもしれません」と話した。
 韓国の人たちも同席することになり、シスターさんの一人は「韓国のこの歌は知っているわ」と言って「アリラン」を歌っていた。
 夕食後、寝る前にダイニングに下りてみると、先ほど会った日本人がスマホを触っていたので、僕はそこでストレッチをしながら少し話をした。彼も日本では絵を描いていたらしい。もしかしたら彼は僕と境遇が近い人なのかもしれない。
 22:00頃、部屋に戻って就寝。

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