5月16日(金) カリヨン・デ・ロス・コンデス~モラティノス(30.0km)

 

カリヨン・デ・ロス・コンデス~モラティノス
カリヨン・デ・ロス・コンデス~モラティノス

6:00起床。朝食を作って食べる。いつもは起床から出発まで1時間ちょっとだが、今日はなぜか1時間半かかり、出発が7:30頃になってしまった。
 アルベルゲを出て、カリヨン川にかかっている橋を渡る。町の出口には9世紀に建てられたサン・ソイロ修道院がある。昔は巡礼者たちの宿泊施設になっていたが、現在はホテルになっているそうだ。

アルベルゲ前の広場
アルベルゲ前の広場
サン・ソイロ修道院の彫刻
サン・ソイロ修道院の彫刻

 カリヨン・デ・ロスの町を出ると、約17kmひたすら両側には畑しかない道が続く。道は平坦だが、大地は非常に乾燥している。周囲には商店やバルもないため、昨日のうちに500mlの水のペットボトルを3本用意しておいた。そのためリュックが普段よりもさらに重かった。でも少し用心して買いすぎてしまっていたのかもしれない。

町を出るとしばらくは舗装路
町を出るとしばらくは舗装路
一面の麦畑の中を歩く
一面の麦畑の中を歩く

 町を出てから5kmほど歩くと巡礼路沿いにテーブルとベンチが置かれていたので、そこに座って休憩をとることにした。そこで僕は昨日のうちに買っておいたバナナをリュックから取り出して食べた。そこではシートさんとミゲルさんの親子も休憩していて、「やあ、ケイスケ!」と声を掛けてくれたので、僕も挨拶をした。
 「昨日はミサに参加しなかったの?教会で君の姿が見えなったんだけど」とシートさん。僕が「あれ、おかしいな」と思っていると、ミゲルさんが「ああ、彼の姿は見かけたよ。僕たちの後ろにいた」とシートさんに言ってくれた。
 それからシートさんは昨日のアルベルゲでのコンサートを思い出したのか、「この日本の歌を知っているよ」と言って、坂本九の「上を向いて歩こう」を歌ってくれた。この曲は海外では「SUKIYAKI」の名前で通っているし、やっぱり日本の歌で一番有名なのかもしれない。だけど僕はなぜだかこの曲が好きではなかった。感覚的な話なのだが、この曲に対してはぼんやりとした印象の無さを受けてしまうからだ。
 しばらく話してから僕は彼らに挨拶をして先に出発することにした。しばらく歩くと、昨日アルベルゲで会った日本人の姿を見つけた。彼は一人で巡礼路から少し横に入った草場に入り、そこに設置されていた手押しポンプの井戸を調べているようだった。僕は彼に声をかけて事情を聞くと、彼は水を持っていないため、井戸の水が飲めないか調べていたらしい。ただし井戸の注意書きには「この水は飲めません」と書かれてあった。
 僕はこの先まだ10kmほどバルがないということと、歩いているときに水を飲まないと危険だということを話した。そのため多少無理やりではあるけれど、僕が持っていたペットボトルの水を丸々一本プレゼントした。ちょうど僕も「3本のペットボトルは重いなぁ」と思っていたところだったからだ。彼はお礼を言い、彼が持っていた水筒にペットボトルの水を移し変えた。
 彼は僕の背負っていたリュックを指して、「モンベルのゼロポイントですね。僕もこれがいいなと思ったんですけど」と言った。「モンベルが近くにあるので、どうしてもモンベルばっかになっちゃいますね」と僕。
 その後歩きながらいろいろな話をした。彼は今25歳で、美大卒業後に絵を描く会社に就職したが、そこで自分の絵が描けなくなって、迷った末に仕事を辞めて今世界中を旅しているとのこと。カミーノは旅の途中で知り合った友達に教えてもらったようだ。
 彼はインドに旅をしたとき日本人宿でマリファナを勧められ、断ったら「なぜお前は吸わないんだ?」と言われたとか。どうやら吸っている人よりも吸わない人のほうが珍しいそうだ。
 彼に「白い紙を見ると、何を描いていいのか怖くなりません?」と言われたのが印象的だった。そこで僕は「参考になるかわからなかいし、偉そうなことを言える立場でもないけれど」と思いながら自分の話をした。
 僕も就職してから3年くらい絵を描かない時期があったが、その頃から山に登り始め、「ああ、いい風景だな」と思ったらふと絵を描きたくなった。すっかりはまったわけではないけれど、今でも絵を描くのは細々と続けている。だから今は絵がかけなくてもしばらくしたらまた絵を描きたくなるときが来るかもしれない、とアドバイスした。
 僕は専門学校の出身なので、デッサンがあまり上手ではない。美大を出た人はちゃんと基礎があるので、僕よりもずっとうまい絵がかけるんじゃないか、と言った。これでアドバイスになっているかわからないけれど、彼がまた絵を書くときが来たらいいな、と思いながら話した。
 しかし僕はもしかしたら余計なことを喋りすぎていたのかもしれない。僕がアドバイスをしたのは、どうにかして彼に絵を描いてほしいと思っていた節があったからだ。それを強要される本人が一番苦しいのではないだろうか。それに僕は美大出身の人に対して多少のコンプレックスも持っていた。彼は僕の言葉の端々から、それを感じ取っていたのかもしれない。
 その後もいろいろ話をしていたが、彼から「いつもはこのくらいのペースで歩いているんですか?僕は普段はもっと歩くのが早いんです、宿が一杯になると困るので」と言われたので、そこで先に行ってもらった。
 僕はそれを聞いて「そうか、この先ますます人が増えてくると宿が一杯になるという問題も起きてくるな」と思ったが、今までそういうことは起きてないし、大丈夫だと思ってあまり気にしなかった。

歩け!歩け!
歩け!歩け!
草原と木
草原と木

 しばらくしてトイレに行きたくなってしまった。男性は最悪その辺でやってしまってもいいけれど、女性の場合はどうするのだろうか。でも僕はなるべく環境を汚すことはしたくなかった。
 それでも我慢しながら歩いていると、ふと唐突に「崖の上のポニョ」のメロディーで「♪バニョ、バニョ、バニョ、セルビシオ~」というフレーズが浮かんで来た。「バニョ」も「セルビシオ」もどちらもスペイン語で「トイレ」の意味である。一度思いつくと、このフレーズが頭から離れなくなってしまった。せっかくなので、歩きながらその続きを考えることにした。今までの知識をフル動員して、なんと歌詞は全てスペイン語である。
「バニョ、バニョ、バニョ、セルビシオ
 ドンデ・エスタ・エル・セルビシオ?(トイレはどこですか?)
 バニョ、バニョ、バニョ、セルビシオ
 プエド・ウサル・エル・セルビシオ?(トイレ借りてもいいですか?)」
 完成した歌を小声で口ずさみ、我ながら下らないけれどいい出来だと思って一人で笑いをこらえていたが、傍から見るとかなり怪しい光景だったのではないだろうか。
 そうこうしているうちに、ようやく11:00頃に17km先のカルサディージャ・デ・ラ・クエサという町に到着した。トイレを済ませ、バルでボカディージョを食べる。今日はどこまで進むかちゃんと決めていなかったので、しばらく地図とにらめっこ。ここからまだ少し距離はあるが、約10km先のテラディージョス・デ・ロス・テンプラリオスという町まで行こうと決めた。

ようやく町に到着
ようやく町に到着
昼食のボカディージョ
昼食のボカディージョ

 その後道は3kmほど二手に分かれる。山の道と国道沿いの道だ。僕は山の道を進もうと思ったが、標識を見落としてしまったためか、国道沿いに行ってしまった。こちらのほうは若干距離が短いので、結果的に良かったと思うことにする。

風の通り道
風の通り道
石で作られた矢印
石で作られた矢印

 レディゴスという町に着いたのが13:00過ぎ。ここにもアルベルゲがあるが、まだ時間が早いので予定通り先に進む。
 そこからまた乾燥した麦畑の中を3kmほど歩き、今日の目標のテラディージョス・デ・ロス・テンプラリオスの町に到着した。その町のアルベルゲにチェックインしようと思ったら、受付にいた女性のオスピタレロに「今日予約はした?」と聞かれる。そこでいやな予感がして「いいえ」と答えたら、彼女は僕に冷たく、「フル!(一杯よ)」と致命的な一言を言い放った。
 それを聞いた僕は「うわあぁあぁあぁショック!」と頭の中が真っ白になってしまった。やっぱり一つ前のレディゴスで泊まるべきだった!と思ってももう遅い。町の入り口にはもう一軒別のアルベルゲがあったが、そこに泊まるとなると、ずいぶん後戻りをしないといけなかった。地図を見て調べてみると、3.2km先のモラティノスという町にアルベルゲがあるようだ。仕方ないのでそこを目指す。
 また乾燥した麦畑の中を歩く。日差しが照りつけてきて非常に暑い。自分の周りにはもう誰も歩いていなかった。僕は「もうこの時間にはみんなアルベルゲにチェックインしているんじゃないか。この先のモラティノスでも一杯だと言われたらどうしよう」と思って不安になる。しかししばらく歩くと、僕の前を歩いている人を見つけて、少し安心した。
 14:30頃モラティノスのアルベルゲに到着。どうか空いていますように!と祈るような気分になった。アルベルゲに入るときには、僕は少し前を歩いていたおじさんと一緒になった。オスピタレロの人が出迎えてくれて、無事二人ともチェックインすることが出来た。良かった。それからオスピタレロの人がグラスに入った冷たい水をサービスで出してくれた。火照った体にはとてもおいしく感じられて、まるで生き返るようだった。
 このアルベルゲは宿泊施設の横にレストランが併設されており、レストランで夕食と朝食を作ってくれるらしい。
 その後シャワーを浴び、洗濯をして、一眠りしてから日記を書く。それから明日の計画を立てるが、今日みたいなことがあっては困るので、明日泊まる予定の宿に電話をしてみた。しかしスペイン語で対応されたので、予約をとることはできなかった。結局「まあいいや、なんとかなるでしょ」と思ってあきらめる。しかし二回も電話してしまった上に、うやむやにしたまま電話を切ってしまったので、相手はかなり迷惑に思ったかもしれない。
 夕食はみんなでアルベルゲに併設されているレストランで食べた。サラダやハムなどが出され、僕も少しワインを飲んだ。でもなぜかどんな話をしたかあまり印象に残っていない。

町の中の教会
町の中の教会
夕食のサラダとハム
夕食のサラダとハム

 テレビではカミーノの映像が流れていて、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーからサンティアゴまでの道のりがわかるようになっていた。前半部分は「ここに行ったなぁ」と思いながら見ていたが、後半はまだこれから。あまり見てしまうとネタバレになってしまうので見ないことにした。
 今日は30kmほど歩いたので、ここからサンティアゴまで残り380km。サン・ジャン・ピエ・ド・ポーからサンティアゴまで780kmなので、もうすでに半分を切っていることに驚いた。
 就寝22:00。ベッドに横になってしばらくの間は、中庭でギターを弾いて歌っている声が聞こえて、気になって眠れなかった。

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