5月13日(火) ラベ・デ・ラス・カルサーダス~カストロへリス(27.9km)

ラベ・デ・ラス・カルサーダス~カストロへリス
ラベ・デ・ラス・カルサーダス~カストロへリス

 6:00起床。部屋に戻った後まったく眠れなかったわけではなく、どうやら明け方に4時間ほど眠れたようだ。
 ぼんやりした頭のままでダイニングに降りていくと、朝食はすでに用意されており、パンやクラッカー、それにつけるジャム、コーヒーやミルクが入ったポット等がテーブルの上に載せられていた。どうやらスペインではこれが一般的な朝食であるらしい。
 朝食をとっていると、僕の隣で寝ていた英国のおじさんがそこに現れた。彼は自分のいびきが大きいことを自覚していたらしく、申し訳なさそうに「昨日は眠れた?いびきがうるさくなかった?」と周囲の人たちに尋ねていた。僕は彼に対してややイライラした感情を持ちながらも、それを直接ぶつけるわけにもいかないと思ったので、つっかえながらも言葉を選び、「呼吸するのが苦しそうに見えました」と言った。
 すると彼は「私は心臓と気管支が悪いんだ、しかも太っている。だからそれを治すためにカミーノを歩いているんだ。昨日窓が閉められていなかったら、もっと楽に呼吸ができたんだけれど」と言っていた。
 そうか、昨日多少寒くても窓を少し開けておくべきだったのか・・・。彼のいびきがうるさかったのは僕にも原因があったようだ。それを聞いて逆にこちらが申し訳なく感じてしまった。
 7:00頃アルベルゲを出る。すると、アルベルゲの前で業者の人が巡礼者たちの荷物をトラックに積み込んでいる光景を目にした。もしかしてあれがチカさんの言っていた「荷物を運ぶサービス」なのかもしれない。こういったサービスを利用するかしないかは人それぞれなので、とやかく言うつもりはないけれど、僕は「この重い荷物を背負うのもカミーノのうち!」と考えていたので、少なくても僕はずうぇええっったいに!(ニャンちゅう風)利用したくなかった。

出発前のトラックとアルベルゲ
出発前のトラックとアルベルゲ
カミーノ・デ・サンティアゴの落書き
カミーノ・デ・サンティアゴの落書き

 天気は晴れているが若干雲が多い。後ろから登ってくる朝日がとても綺麗!
 今日は昨日の市街地とは打って変わって「メセタ」と呼ばれる台地を歩く。「メセタ」とはスペイン語で「高原」という意味だ。そのためアルベルゲからは若干の登りの道になる。その名の通り、麦畑と荒涼とした風景が一面に広がっていた。「メセタの台地」というと、なんだかドラクエなどのRPGでありそうな名前だ。

澄んだ空気の中を歩く
澄んだ空気の中を歩く
お気に入りの一枚
お気に入りの一枚

 しばらく行くと、道の脇に石がたくさん積まれているところがあった。石を積むことによって祈りを捧げているのだろうか。日本でも賽の河原で子供たちが石を積んでいるように、石を積んで祈りを捧げるのは万国共通なのかもしれないと思った。道の脇には木で作られた十字架があり、その周りを石が取り囲んでいた。丘の上からはこれから進む道が一望でき、とても見晴らしが良かった。

石に取り囲まれた十字架
石に取り囲まれた十字架
これから進む道が一望できる
これから進む道が一望できる

 下り道の途中で昨日一緒に宿泊した英国人夫妻とすれ違った。おじさんはストックをついて歩いていたが、彼はフーフーと息をつき、なんだか見ていて苦しそうだった。心臓と気管支が悪いと言っていたし、大丈夫なのだろうか。
 坂を下り、オルニージョスという町に8:40頃到着。バナナとパンを購入し、さらに先に進む。周囲には歩いている人がほとんどいなかったので、しばらく巡礼路を示す黄色い矢印やホタテ貝の石碑が見当たらないと、道が間違っていないか不安になる。昨日ブルゴスを出発した人は、みんな昨日のうちにもっと先に行ってしまっているのかもしれない。

サンティアゴまであと469km
サンティアゴまであと469km
登り坂を自転車を押して歩く巡礼者
登り坂を自転車を押して歩く巡礼者

 サン・ボルという場所の近くで休憩。土台だけ残してまるで廃墟になった建物の近くでバナナを食べる。ここにはアルベルゲがあり、麦畑の中にぽつんと存在しているので、妙な存在感がある。以前はこのアルベルゲには水・電気・シャワー・トイレがなかったようだ。
 そこからまたひたすら田舎道を進む。右手には麦畑の中に風力発電の風車がずらりと並んで回っているのが見えた。風が強い場所が多いからだろうか、スペインは本当に風力発電の風車が多い。僕はその非日常的な風景が好きだ。

サン・ボルのアルベルゲ
サン・ボルのアルベルゲ
麦畑の向こうには風車がずらり
麦畑の向こうには風車がずらり

 そこからまた麦畑の中を歩くと、11:30頃に下り坂の先にオンタナスという町が見えてきた。町に入る近くで自転車に乗った巡礼者に「写真を撮って!」と言われたので、その人の写真を撮るついでに僕の写真も撮ってもらった。しかし逆光のせいでなんだか不機嫌に見えてしまう写真になってしまった。それから町の中に入り、バルで昼食をとることにした。ボカディージョとカフェ・コン・レチェを頼む。

オンタナスの町
オンタナスの町
昼食のボカディージョ
昼食のボカディージョ
ユニークな水道の蛇口
ユニークな水道の蛇口
スイマーもブエン・カミーノ
スイマーもブエン・カミーノ

 それから町を出て麦畑の中の砂利道をまた進む。途中にはこの先進む道が一望できる見晴らしがいい場所があり、そこには石組みの崩れかけた塔のようなものがあった。その対比が面白かったので写真を撮った。

ずっと道は続く
ずっと道は続く
崩れかけた塔
崩れかけた塔

 お昼過ぎになると暑くなってきたので、長袖Tシャツ一枚になる。いつも出発時にはフリースを着るくらい寒いのに、晴れているとこの時間になると決まって暑くなる。雲ひとつない良い天気だ。空の色が日本と比べると鮮やかに感じられるのは、空気が乾燥しているせいなのだろうか。
 日差しが強くなってきたが、まだ帽子は持っていなかったので、リュックに結び付けられていた水色のバンダナを頭に巻くことにした。しかし普段からこんなことをしたことはなかったので、結局小学生の頃の調理実習の時の三角巾のような巻き方になってしまった。これは非常にかっこ悪く、周囲からどう見られているか心配になった。なるべく早く帽子を手に入れないといけない。
 途中から巡礼路は砂利道から舗装された車道に入る。そのまま進むと、サン・アントンというところに車道をまたぐように崩れかけた門があった。門の内側には装飾がなされ、数百人もの人たち(聖人?)の像が彫られていた。その左側には廃墟とも思えるような古い建物があり、その門とつながっていた。ここはもともと修道院の跡で、今は改装してアルベルゲにしているらしい。もちろん宿泊可能で、オスピタレロは入り口の前の椅子に座っていた。
 僕はこの建物の崩れ方がとても好きになったので、「泊まらないけれど、写真を撮っていいですか?」とオスピタレロに許可を取って、たくさん写真を撮った。まるで「天空の城ラピュタ」の廃墟のようだった。

サン・アントン修道院跡
サン・アントン修道院跡
たくさんの人物が彫られている
たくさんの人物が彫られている
彫刻は半分溶けかけていた
彫刻は半分溶けかけていた
車道をまたぐアーチ
車道をまたぐアーチ
最上部は植物が茂っている
最上部は植物が茂っている
廃墟と一体となっているアルベルゲ
廃墟と一体となっているアルベルゲ
窪みには聖ヤコブ像(多分…)
窪みには聖ヤコブ像(多分…)
入り口
入り口

 そうしていると、「ただ撮っているだけでは悪いなぁ」という思いが浮かんできた。予定を変更してここに泊まろうかとも思ったが、今日の目的地のカストロへリスはもう少し先なので、やっぱり先に進むことにした。
 そのまま舗装路を歩き、カストロへリスの町に入る。巡礼路から少し離れた小高い丘の上には城跡があり、遠くからでも良く目立った。「あそこに行けば景色は良さそうだなぁ」と思ったが、さすがにそこまで登る気力も時間もなかったのでスルーした。

丘の上の城跡
丘の上の城跡
巡礼路は右!わかりにくい…
巡礼路は右!わかりにくい…

 14:30頃、カストロへリスの町の中心部に到着した。最初は巡礼路の左手にある公営のアルベルゲに泊まろうとしたが、チェックインの受付が15:00からだと言われたので、それまで待っているのがもったいなく感じた僕は、巡礼路の右手の少し高台にある別のアルベルゲに泊まることにした。
 チェックインをしようと思いアルベルゲの中に入ったが、ロビーにはオスピタレロの姿が見えなかった。そこでお昼を食べていた巡礼者の女性たちに話を聞くと、「オスピタレロは今近くのバルで休んでいるのかもしれない」と言って、そのバルを案内してくれた。
 そのバルで「オスピタレロの人を探しているんですが」と休んでいた巡礼者に聞くと、彼らは店の奥にいたオスピタレロを呼んできてくれた。しばらくすると店の奥からオスピタレロのおじいさんがぬっと現れた。彼は白いあごひげを胸まで伸ばしていたので、サンタの衣装が似合いそうだった。
 僕は彼に説明して、二人でアルベルゲまで戻る。それからチェックインをし、その際いろいろアルベルゲの説明を受けた。おじいさんが話していたのはスペイン語だったので言葉はわからなかったが、宿泊の際の説明される内容はだいたいどこのアルベルゲでも決まっているので、なんとなくは理解できた。夕食はなく、朝食は寄付制でクラッカーなどを用意しているようだ。おじいさんは「ハポネス(日本人)」と言っていたので、なんのことだろうと思っていたら、近くの巡礼者が「日本のテレビが数ヵ月後取材に来るんだって」と教えてくれた。
 宿泊場所はひとつの大部屋にたくさんの人が寝るようなタイプのアルベルゲだった。部屋には巡礼路の大きな写真のパネルがたくさん壁に飾られていて、「あ、ここにはもう行ったな」「ここはまだだな」と思いながら順にそれを見ていった。
 宿には今まで泊まった人が書く宿帳があり、そこには数ヶ国語の中に混ざって日本語も書かれていた。それを書いた日本人は女性で、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーのはるか手前、フランスのアルレというところから歩いてきたのだという。彼女はボーイッシュな人で、男性と間違えられたこともあったらしい。すごいエネルギーを持った人だと思った。
 それからシャワーを浴び、洗濯をしてから一眠りし、町の中を散歩。そこにはトサントスで会った「イタダキマスのおばちゃん」がいて、二人で「いただきます」と挨拶した。どれだけあの人はこの挨拶を気に入っているのだろう。
 アルベルゲの近くには小さな雑貨屋があったので立ち寄ってみることにした。店内にはカミーノを歩く上で必要なものが一通りそろっていた。その中についに念願の帽子を発見する。いろいろなタイプの帽子があったが、その中でもつば付きの帽子が僕の目に留まった。
 その帽子は少し色あせたようなグレーの色で、頭を通すところはゴムになっている。後ろには日よけの布が付いており、首の後ろの日焼けを防止することが出来る。実際にかぶってみると頭のゴムが少しきつく感じたが、もっと大きいサイズを探しても置いていなかった。でも多少きついくらいのほうが、かえって風に飛ばされにくいかもしれない。
 帽子を見ていると、僕と同じでなんとなく疲れているように見えた。僕はその「くたっ」とした感じが気に入って、購入することにした。値段は8ユーロくらいだったはず。かぶった自分の姿を鏡で見てみると、一気に老けて見えてしまったけれど。
 アルベルゲにはキッチンがあったので、今日の夕食は自分で作ることにした。坂を下りた先にある商店に行き、食材を探す。パスタにも飽きてしまったので、何か他のものがないか探していたところ、「レンジで暖めるだけで簡単にパエリアが作れる!」という触れ込みのレトルト食品があったので購入する。それと一緒にパンとスープ、トマトを購入し、アルベルゲに戻る。
 その後キッチンで料理を作り、夕食をとる。パエリアの味は・・・まあ普通のレトルト食品だった。まずくはないけど。それからブルゴスで描いた線画の絵に色を塗った。

狭い階段を下って商店へ
狭い階段を下って商店へ
自前で用意した夕食
自前で用意した夕食

 就寝21:30。今日は眠れるといいなぁ。

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