6:00起床。出発の準備をして一階のバルに降りていき、朝食をとる。メニューはパンとジュース、カフェ・コン・レチェだった。これは一般的なスペインの朝食だけど、毎日歩いているとやっぱりこれだけでは少し物足りない。
6:50にアルベルゲを出発。今日はブルゴスという大きな街まで行く予定だ。天気は曇っていて、肌寒い。雨が降りそうな気配だ。
アヘスの町を出てからは、しばらくアスファルトで舗装された車道の脇を歩く。2.5kmほど行った先のアタプエルカという町では、ここでヨーロッパ最古のアタプエルカ原人が発掘されたことが知られている。巡礼路の脇の草原には巨大な岩があり、無数のナイフのようなもので引っかかれたような跡があった。岩には説明板のプレートが取り付けられていたが、スペイン語だったので僕には読めなかった。これも原人の痕跡の一部なのだろうか。
水を町のバルで買い、それからはクルセイロという山を越える道になる。それほど距離はないが、道は砂利道になり、傾斜も若干きつい。山の上は霧がかかっていて、そこには巨大な十字架があった。
途中で後ろから歩いてきた若い男性に声をかけられ、その友人とともに僕も含めて3人で一緒に歩く。声をかけてくれた男性はフランス人のポーさん(だったはず・・・)という人だ。地名は忘れてしまったが、フランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーよりさらに遠くから歩いてきたという。彼は一眼レフを首からぶら下げ、いたるところで写真を撮っていた。
彼は日本にも二ヶ月ほど旅をしたことがあるらしい。新幹線にも乗ったと言っていた。その中でも特に歌舞伎を見たことが印象に残っているらしい。僕はまだ歌舞伎を見に行ったことがない、と言ったら驚かれた。日本の伝統芸能は、身近にありすぎることによって、かえって足を運びにくいのかもしれない。
ポーさんのメガネをかけた友人は途中体調を崩して、しばらくアルベルゲで休んでいたらしい。何度か吐いてしまったようだ。「でもまたこうして歩いている。彼は強いよ」とポーさんは言っていた。僕は彼の友人のことを「大変だなぁ」と思いつつも、どこか人ごとのように感じてしまっていた。しかし、この後自分の身に降りかかってしまうとは、このときは知る由もなかったのだが・・・。
僕も数日前風邪を引いたので、アルベルゲでしばらく休んでいたことを伝えた。ポーさんは「長い距離を歩いているので、必ずみんなどこかで体調を崩すよ」と言ってくれた。
途中から雨が降り始めたので雨具を着る。そこからしばらく歩いたところのオルバネハという町のバルに入ってトイレを借りる。僕が戻ってくると、二人は席に座っていて「君の席はここだよ」というように椅子を引いてくれた。しかし僕はここで休憩せずに先に進みたかったので、そのことを伝えてここでお別れすることにした。でも店を出たところで少し胸が痛んだ。特に急ぐ理由もないし、もしかしたらせっかくの彼らの好意を無駄にしてしまったのかもしれない。
ガイドブックによると、ここから道は左右に二つに分岐する。右はビジャフリアという町を経由する国道1号線沿いの舗装された道を通るルートで、左はカスターニャレスという町を経由するルートだ。カスターニャレスからはさらに二つに分岐し、ひとつは国道120号線沿いを通るルートで、もうひとつは少し遠回りになるがアリランソン川沿いを進むルートだ。3つのルートのどれを通っても、ブルゴスの街で合流する。
僕は川沿いの道がなんとなく歩いている途中の景色が良さそうだと思ったので、そちらの道を進むことにした。まずはカスティーニャレスの町を目指す。しばらくすると雨が上がった。ブルゴス空港を右手にフェンスに沿って歩く。もうブルゴスの街も近い。
カスターニャレスのバルで休憩し、ツナ入りのトルティージャのボカディージョを頼む。待ち時間にバルに置いてあったスペイン語の新聞を読んでいると、スポーツ欄にはテニスのナダルと錦織の写真が載っていた。その結果に興味があったので、どっちが勝ったのかバルの店員に聞いてみたら、今日これからマドリッドで決勝が行われるようだ(後で親からのメールで知ったことだが、結局その試合は錦織が腰痛のため途中で棄権してしまったらしい)。
トルティージャには普通はジャガイモが入っている代わりにツナが入っていたが、それほど代わり映えのする味ではなかった。会計のときに、そのバルの店員にも川沿いの道が綺麗でお勧めだということを教えてもらった。
バルから川に出るまで巡礼者の姿が見つからず、この道でいいのかと心配になった。しかし、しばらく歩くと大きな川に出たので、この道で良かったんだと安心する。川沿いの道は遊歩道として整備されており、現地の人たちが散歩をしたり自転車に乗ったりしていた。今日は日曜日なので特に人出が多いのかもしれない。他の巡礼者たちの姿は見かけなかったが、歩いていてとても気持ちのいい道だった。
この川沿いを進めばブルゴスの旧市街地の近くまで行くことが出来る。しかしカミーノを表す看板や、黄色い矢印はほとんどないので、どこまで行けばいいのかわからなくなり、現地の人に道を聞いた。たまたま英語が通じたので助かった。もう少し先へ行ってから右に折れるようだ。
そこからさらに進むと、ブルゴスの中心的存在であるカテドラルの特徴的な尖塔が見えてきた。高い建物が並ぶ市街地の中でも、一段とその存在感は大きい。右手に折れて川沿いの道に別れを告げる。橋を渡ってサンタ・マリア門をくぐり、旧市街地の地区に入る。12:40頃カテドラルの前に到着。
デカァァァァァいッ説明不要!!
いや、やっぱり説明はいるか・・・。このカテドラルは1221年に建築がスタートし、13世紀後半に中央の建物が完成した。ゴシック様式の教会であり、透かし彫りなど高度な技術が使われている。シンボル的な尖塔は15世紀にドイツ人の親子によって追加されたものである。まさにブルゴスのシンボルであり、世界遺産にもなっている建物だ。
とにかく僕はその大きさに圧倒された。写真を撮ろうと思っても一枚に収まりきらない。そして外側の装飾も非常に豪華だ。周囲に大きな建物がない昔の頃は、どれだけ存在感があったのだろう。
一通りカテドラルの周りをぐるりと回った後、街で一番大きな公営のアルベルゲに行く。まだ時間は早かったが、すでにアルベルゲの前には長い行列ができていた。一度に4人ずつ呼ばれてチェックインするが、それでも40分くらいかかってしまった。
このアルベルゲは5階建ての建物で、最大150人収容が可能だ。2008年に町外れから町の中心に移転された施設であるため設備はまだ新しく、なんと館内にはエレベーターが付いている。
オスピタレロの一人にエレベーターで案内され、あてがわれたベッドで休んでいると、巡礼者に「やあ、チカ!」と呼ばれている女性を見つける。僕は「あれ、これはトサントスのアルベルゲで名前を聞いていたチカさんじゃないか?」と思って、その人に「日本の方ですか?」と声をかけてみた。まさにその人は日本から来ていたチカさんだった。久しぶりに日本語が使えたので安心し、いろいろ話をした。
その中で「なぜカミーノを歩いているんですか?」という話になった。彼女によると、今は仙台に住んでいるけれど、もともと実家が石巻にあり、東日本大震災では父親が亡くなり、他にも友人や知人たちも何人か亡くしてしまったようだ。そんな中、カミーノに行こうということが突然「降ってきた」らしい。彼女は「その人たちの鎮魂にもなるかなと思って歩いているんです」と言っていた。思いがけず重い理由を聞いてしまったので、どうやって声をかければいいかわからなかった。
彼女はサン・ジャン・ピエ・ド・ポーから歩いてきて、自分の足でサンティアゴまで歩きたいけれど、マドリッドで寿司屋を経営している友人のところにも行きたいし、日程的に少し厳しいのでペースを上げないといけないということを気にしていた。けれど足に豆が出来てしまって思うように歩けないらしい。「今日は荷物を運んでくれるサービスを利用したんです」と言っていた。そういうサービスもあるのは初耳だった。
そんな話をしていたら、別の男性に日本語で話しかけられた。彼も日本人で、名前はユウタさんという人だった。たまたま同じ部屋で、まさか二人も日本人に会うとはびっくりした。ユウタさんはメガネをかけた30代の男性で、7年前に一度カミーノを歩いたことがあるらしい。今回はカミーノを歩き通すと言うよりも、ブルゴスで友人と待ち合わせしているらしい。
僕はそこでいったん別れ、シャワーを浴びて洗濯をした。その後、チカさんに「友人の韓国のマチルダさんとユウタさんと4人でお茶をしませんか」と誘われる。チカさんとマチルダさんはカミーノの途中で知り合い、そこで意気投合して歩いているようだ。それまで時間があるので、僕は一眠りすることにした。
16:00頃、4人で近くのバルに入り、いろいろな話をする。マチルダさんは才女で、いろいろなメモを書いたノートを持っていた。英語はもちろんのこと、スペイン語や日本語も話せるので、意思疎通には困らなかった。彼女はみんなに飲み物のリクエストを聞くと、バルのカウンターに行ってそれをオーダーしていた。僕はオレンジジュースを頼んだ。しばらくすると飲み物が運ばれてきて、それを飲みながらいろいろな話をする。
僕はマチルダさんに「マチルダって名前はあまり韓国では聞かないですね」と疑問を口にしてみると、彼女は「ああ、これはクリスチャンネームだから」と言っていた。本名は別にあるようで、彼女はそれを教えてくれたが、難しくて覚えることが出来なかった。
ユウタさんは以前雑誌の編集の仕事をしていて、20代の頃にも世界中をバックパックで旅行したことがあるらしい。また、彼は7年前にカミーノを歩いたことを話し、現在の状況との違いを教えてくれた。昔に比べて現在はアルベルゲの数がすごく多くなったということと、宿泊料金も平均して若干上がっているとのことだった。昔は道の脇で寝袋を敷いて寝ている巡礼者もいたのだとか。「最近はそんな無茶をする人もいないんですけどね」と話していた。
また、彼はフィステーラとムシアまで歩き、フィステーラでは下着を燃やしたそうだ。これはフィステーラの地で、身に着けていたものを燃やして、新しい自分に生まれ変わるという儀式であるらしい。フィステーラではあちこち自然発生的にそのイベントが行われているらしく、中には燃やしてしまうと有害な物質が出る衣服も燃やしている人がいたのだとか。僕もフィステーラまで行けたら身に着けていた何かを燃やすつもりでいたけれど、まだ何を燃やすかは決めていなかった。
彼はフランスを歩いているときに、現地の人に英語で話しかけられたけれどフランス語は「H」の音を発音しないので、「ハングリー?」が「アングリー?」に聞こえ、「怒っているのか?」という意味に聞こえてしまった、というエピソードを紹介してくれた。
チカさんは巡礼者に「仏教のことを教えてくれ!」と言われて戸惑ったらしい。日本語で説明するのも難しいのに、英語で説明するのはさらに難しいだろうな、と僕も思った。そもそも仏教は一言で説明するのは無理なのではないだろうか。いろいろな宗派ごとに分かれていて、どれが正しくてどれが間違っているというのも存在しないわけだし。
チカさんはブラジルの女の子とも知り合いになったという。その女の子はサムライが好きで、「サムライになりたい」と言っていたらしい。今日ブルゴスに来ているようだ。
他にもいろいろな話をしたが、日本語をこんなに使ったのは久しぶりな気がする。このときスケッチブックを持ってきていたが、結局話が盛り上がりすぎて見せる機会がなかった。17:00頃お開きになり、アルベルゲに戻る。
その後また街の中に出かける。日本から持ってきた風邪薬の残りが少なくなってしまったので、薬局に買いに行く必要があったからだ。広場の近くの薬局に入り、「のどの痛みにきく薬はないですか」と聞いたら、トローチくらいの大きさの薬を出してくれた。これを飲めというわけなのだろうか。
帽子も欲しかったので帽子屋を探したが、広場の近くでやっと見つけた帽子屋は閉まっていた。残念。所持金も少なくなっていたので銀行で貯金を下ろそうと思ったが、今日は日曜日だったので銀行も閉まっていた。明日行こう。
それから明日良さそうな場所があればスケッチしようと思って教会の近くをうろうろしていたけれど、なかなか良い場所が見当たらない。教会が大きすぎてスケッチブックの中に全体を入れることが難しいのだ。装飾も細かいし、ちゃんと描こうと思ったらどれだけの時間がかかるやら。明日の朝、もう一度いい場所を探してみよう。なんでも明日、明日に延期になってしまうなぁ。
カテドラルの近くで、ブラジルの女性と会話をする。「どこから来たの?」と聞かれたので、僕が日本だと伝えると、彼女は「日本のサムライが大好き!」と言っていた。先ほどチカさんが話していたサムライが好きな女の子とはこの人だったのか。
18:00からチカさんの男性の友人と一緒に夕食を食べに行こうとのことだったので、僕はロビーで待っていたが、待ち合わせ時間になってもなかなか姿が現れなかった。仕方がないので一度寝室に戻ると、僕のベッドにチカさんの書き置きが残されていた。それによると友人が見つからず、待たせるのも悪いので先に食べていてくれとのこと。
そのため一人で外に出かけ、広場の近くのレストランでパエリアを食べた。ここのパエリアはチャーハンのようにお皿に盛られていた。テレビではリーガ・エスパニョーラの試合をやっていて、店員さんは結果が気になるようだった。
その後19:30からカテドラルでミサがあったので、それに参加する。一般の人が観光で教会内部に入るには拝観料が必要だが、ミサには無料で参加することが出来た。外観から予想がついたが、教会の内部も非常に豪華絢爛で圧倒された。しかし僕にはその装飾が過剰な印象を受けて、どうも落ち着かなかった。
ミサが終わった後、ユウタさんに「バルで一杯飲みませんか」と誘われた。ユウタさんは明日の宿泊場所も探したいようなので、一緒に街をうろうろする。その途中でチカさんとマチルダさんに会った。どうやら彼女たちも宿泊施設を探しているようだった。明日はここで一泊するらしい。ゆっくり休んで疲れを取り、それから街を観光する予定だそうだ。
なぜみんな今日泊まるアルベルゲとは別の宿泊施設を探しているのかというと、アルベルゲは基本的に連泊禁止だからだ。それはカミーノの目的が「観光」ではなく、「巡礼」だからである。そのため、一日観光したいと思ったり、連泊したいと思ったときには、必然的に別の宿泊施設に泊まることになる。
結局ユウタさんと一緒に探したものの、あまり良い宿泊施設は見つからなかった。僕たちはアルベルゲの近くまで戻り、バルに入って二人分の赤ワインを頼んで乾杯した。彼はwi-fiで宿泊施設を調べた後、夕食をまだとっていなかったので、トルティージャを一切れ食べていた。この量で少なくないんだろうか。
それから彼はカミーノに来る前に世界中を一年半旅していた時のことを話してくれた。ネパールのポカラというところには5ヶ月ほど滞在し、トレッキングなんかをして楽しんだようだ。そこでスマホで撮った写真を見せてくれた。
その後アルベルゲに戻り、チカさんとユウタさんと連絡先を交換する。チカさんは僕の持っていた英語の地図が参考になると考えたらしく、携帯で写真を撮っていた。僕は大きな町にはカミーノ専門の店があるので、そこで地図などを売っているかもしれないと伝えておいた。そこでチカさんにスケッチブックを見せることができた。
22:00頃就寝。