4月25日(金) マドリッド~サン・ジャン・ピエ・ド・ポー

 朝6:00起床。まだ外は暗かった。
今日は地下鉄でバラハス駅からマドリッド・チャマルティン駅に行き、そこから高速鉄道に乗り、列車を乗り継いで、カミーノのスタート地点のサン・ジャン・ピエ・ド・ポーまで向かう予定だ。
 荷物をまとめてロビーに向かうと、もうすでにそこには数人の宿泊客が待機していた。宿の外には昨日送ってもらったバスが停車しており、しばらくすると運転手が姿を見せた。僕は彼らと一緒にバスに乗り込み、最寄りの地下鉄の駅(バラハス駅)まで送ってもらう。僕と一緒に乗っている人はみんな空港に行くようで、地下鉄の駅に行くのは僕だけだった。地下鉄の駅まで案内され、運転手に「グラシアス(ありがとう)!」と言ってバスを降りる。
 地下鉄の構内は人がほとんどおらず、がらんとしていて少し冷えるようだった。駅には自動券売機があったが切符の買い方は全くわからなかったので、窓口の女性に英語話しかけて、マドリッド・チャマルティン駅までの切符を発行してもらった。

地下鉄
地下鉄

 マドリッドは日本の大都市圏と同じように地下鉄が発達しており、まるで網の目のように張り巡らされているのが特徴的だ。行き先を間違えないように注意しながら地下鉄に乗りこむ。数駅行ったところのヌエボス・ミニステリオス(新省庁)という駅で下車し、そこで乗り換える。
 しかしこの駅はホームが多く、何番線に行けばいいのかわからなかった。駅員も見当たらなかったので、ホームのベンチに座っていたおばちゃんたち3人に聞くことにした。僕は英語で話しかけたが、彼女たちの返事はスペイン語だったので、僕にはさっぱり理解できなかった。しかし彼女の中の一人は両手の指を広げて「デス」と言っていたので、どうやら10番線に乗れば良いらしい。僕は念のため「10」とメモ帳に書いて彼女たちに見せ、確認する。僕はおばちゃんたちに感謝し、その後散々迷ったものの、どうにか10番線のホームにたどり着いた。乗る前に近くにいたサラリーマン風の男性に行き先を確認して、地下鉄に乗り込む。
車両の窓には何か鋭いもので引っかいたような大きな落書きが描かれていた。やっぱりスペインは日本より治安が悪いのだろうか。
 マドリッド・チャマルティン駅で地下鉄を降りる。改札を出たところの駅員さんに聞き、階段を登ってレンフェという高速鉄道が出ているホームに向かう。乗り換えのため一度外に出たけれど、この時間帯だと屋外は特に寒かった。あらかじめフリースを着ておいてよかった。スペインというと暑いイメージがあったので、こんなに寒いのは意外だった。
 ホームに向かう途中の売店で朝食用にトマトのサンドイッチと水を買う。サンドイッチといっても我々がよくイメージするような三角形のものではなく、フランスパンを切ってその中に具材をはさんだものだ。スペインではこのタイプのサンドイッチを「ボカディージョ」という。売り子の女性は僕におつりを渡すときに「よい旅を!」と言ってくれたので、とても嬉しかった。
 駅は多くの人たちでごった返していた。チャマルティン駅にはたくさんのホームがあり、いろいろな場所に高速鉄道が出ている。電光掲示板で行き先を確認し、目的のホームに向かう。ちなみにレンフェのチケットはすでに日本で取ってきてある。
 ホームにはすでにこれから乗るレンフェが停車していた。そこでチケットを駅員に確認されて、レンフェの車内に乗り込むと、既にそこには僕の番号の座席に座っている老夫婦がいた。僕は「間違えたか?」と思ってチケットを確認したが、この座席で合っているようなので、彼らに声をかけると、彼らも間違っていたことに気づいて席を代わってくれた。
 僕はその座席に腰を下ろし、ようやく気持ちを落ち着かせることができた。列車の出発の時間に遅れずここまでたどり着けたので、とりあえずは一安心する。
 8:00にチャマルティン駅を出発。ここから巡礼路のスタート地点のサン・ジャン・ピエ・ド・ポーまで電車で向かう。
 早速車内で朝食として先ほど買ったボカディージョを食べることにした。トマトがとてもおいしかった!とても眠かったので食べた後はすぐにうとうとしてしまった。

車窓から
車窓から
ボカディージョ
ボカディージョ

 一時間ほどしてからふと目を覚まして窓の外を見ると、牧草地帯の「これぞヨーロッパ!」という景色が車窓一面に広がっていた。遠くには風力発電の風車が回っているのも見えた。僕はそれを見て「ようやくヨーロッパに着いたんだなぁ」と実感する。なんだかこれから始まる旅にわくわくしてきた。右の窓側の席に座っていたので、それからはずっと窓の外の景色を眺めていた。
 途中で舗装されていない道を大きなリュックを背負って歩いている人たちを見かける。「あれ、この道ってもしかしたら巡礼路なのかも?」と思ったが、確信は持てなかった。
 スペインとフランスとの国境付近のアンダイエという駅で乗り換え。駅の待合室に隣接していたキヨスクで昼食のサンドイッチを買って食べる。
 待合室には大きなバックパックを持った人が数人集まり、彼ら同士でなにやら話をしていた。彼らはカミーノに行く人たちなのかもしれない。僕はどうしようか躊躇したが、思い切って声をかけてみると、彼らは素直に応じてくれた。やっぱり全員カミーノに行くようだ。僕は彼らと握手をしながら自己紹介をした。  そこで話していたのは4人の巡礼者たちだった。
 一人はロサンゼルス在住のダニエルさんで、今29歳だそうだ。彼は写真を撮るのが趣味で、リュックに加えて重そうな一眼レフを首から提げていた。アニメーションの会社で映画の特殊効果の仕事をしていたが、会社を辞めてきた(会社が潰れてしまった、だったかも)らしい。彼は「この旅のことをブログに載せて、最終的には本を作りたいんだ」と話してくれた。
 次にやや高齢の女性が二人いた。一人はスーさんという方だが、もう一人は名前を忘れてしまった。ごめんなさい。
 残りの一人はジョージさんというマサチューセッツ州出身のおじいちゃんだ。白い口ひげを生やし、テンガロンハットが似合う人だった。彼はハイキングが好きで、年齢的にも最後のチャンスなのでここに来たらしい。彼は僕の名前を聞くと、持っていたメモ帳に僕の名前を書き込んでいた。彼はカミーノで会った人たちの名前を書き込んでいるらしく、そこにはすでにたくさんの人の名前が書かれていた。
 彼らと話をしているうちにバイヨンヌ行きのレンフェが来たのでそれに乗り込む。ダニエルさんと席が隣同士だったので、いろいろ話をした。彼のブログのアドレスも教えてもらった。 彼にカミーノに来た理由を聞かれたので、僕は機械の設計の会社で働いていたが、仕事をやめてここに来たことと、カミーノで自分自身が何者か確かめたい、と説明した。しかし本当にそれで説明ができたのか、自分自身納得のいかないところがあった。それは語学力が足りないのもあったけれど、改めて考えてみると、自分でもなぜここに来たのかちゃんと頭の中でまとまっていなかったからだ。
 15:22にフランスのバイヨンヌという町に到着。列車を降りて駅の外に出てみると、よく晴れていて暑いくらいだった。サン・ジャン・ピエ・ド・ポーに向かう電車の乗換えの待ち時間が3時間くらいあったので、その間ダニエルさんとスーさんたち女性二人とおしゃべりをする。
彼らは英語でいろいろ話をしていたが、彼ら同士の話だとスピードが早すぎてほとんどわからなかった。自分に話しかけられているときはゆっくり話してくれるけれど、それでもちゃんと理解できたかどうかは怪しかった。かろうじてわかったことは、「日本製のトイレは最高」ということと、「虫が出る宿もあるので注意しないといけない」というくらいだった。それも「B・U・G、バグのことよ」とスーさんに言われてようやく理解できたのだけど。
 僕が話題にあまり加わらないのを気にしたのか、スーさんは「話はわかる?」と気遣ってくれた。僕が「少しだけ」と答えると、彼女は「これからたくさん会話すれば上達するわよ」と言ってくれた。

バイヨンヌ駅
バイヨンヌ駅

 その後まだ時間があったので、彼らと一緒に駅の向かい側にある古い教会を見に行くことになった。こういう建造物が町中に当たり前に存在しているのは、さすがヨーロッパだなぁと思う。
 教会の重い扉を開けて中に入ると、そこはしんと静まり返っていて少し肌寒かった。まるで外部から隔絶された空間にいるようだった。正面には十字架に磔(はりつけ)にされたキリスト像が掲げられていた。僕はクリスチャンではないが、自然と敬虔な気持ちになる。
 教会の内側の周りの壁には12枚の絵がぐるりと飾られていて、セリフのない漫画のように絵でキリストが磔にされる場面が描かれていた。文字が読めない人でも内容がわかるように工夫した結果なのかもしれない。
 スーさんに教会の一角にあったガラスケースを指差されたので、中を覗いてみると、なんとそこには女性の死体が横たわっているではないか!僕は思わず息を飲んだ。でも近づいてよく見てみると、実際にはそれはただの等身大の人形だった。彼女はマリア像なのかもしれない。
 一通り教会を見た後に駅に戻る。ここからサン・ジャン・ピエ・ド・ポーまでは電車で行く予定だったが、駅の電光掲示板によると、この日は代替として電車ではなくバスが出ているようだった。
 バスが発車する時間近くなると、待合室では大きなリュックを持った人がたくさん集まってきた。僕は「すごいな、この人たちは全員カミーノに行くのか…」と、予想外の巡礼者の多さに驚いた。ダニエルさんたちとバスターミナルに移動すると、そこにもすでにたくさんの巡礼者たちが並んでおり、はじめに来たバスはすぐに満員になってしまい乗れなかった。係員によると後からもう一台バスが来るとのこと。
 そのバスを待っている途中、近くに並んでいた韓国人の初老の夫妻と話をした。その男性は「ここに来る前は一ヶ月間毎日10kgの荷物を背負って10km歩いていたんだ。足腰のトレーニングのためにね」と英語で話していた。
 彼に「君は何かトレーニングをしていたのか?」と聞かれたので、僕は「一応ここに来る前は山に登ったりしていました」と答えると、「山と言っても毎日歩くわけじゃないだろう、ここでは毎日歩くんだ。山とカミーノは全然違う」「ところで君はストックは持っているのか?なくて平気なのか?」といろいろ言われてしまった。僕のことを心配してくれているのはわかるけれど、多少うっとうしく感じてしまった。ちなみに杖やストックは荷物になるので持ってきていなかった。普段近くの山に登っているときにも使っていなかったので、別になくても平気かなと思ったからだ。けれどそう言われると、本当に大丈夫だったのかな、と少し不安になる。
 1時間ほど待たされて、ようやく来た次のバスに乗り込む。先ほど一緒になったジョージさんと隣同士になったので話をした。
 バスに揺られて1時間ほどでサン・ジャン・ピエ・ド・ポーの町に到着。バスターミナルから坂を上り、町の中心に向かう。多くの人は公営のアルベルゲに宿泊するため、宿の前には列が出来ていたが、僕はあらかじめ予約しておいた私営のアルベルゲに行った。
 アルベルゲというのは、カミーノの途中に点在する格安の宿泊施設だ。一泊5~10ユーロ(700円~1400円程度)ほどで、中には寄付だけで泊まることが出来る。旅行費を安く抑えようと思ったらとても助かる施設だ。しかしそのほとんどがドミトリー(大部屋)なので、他人の会話が気になったり、いびきがうるさくて眠れなかったりといったトラブルもある。また毛布などは置いていないことが多いので、寝袋を持参する必要がある。
 アルベルゲには公営と私営とがある。僕の印象では公営のほうが安く、私営のほうが若干高い印象だ。しかし中には私営でも寄付制のところもあるため、一概にそうだとも言い切れなかった。
 また、アルベルゲは素泊まりの形態が多いが、中には食事を出してくれるところもある。その場合は食事代込みで宿泊費はもう少し高くなる。食事が出ない場合はレストランで食事をするか、スーパーで食材を買ってアルベルゲのキッチンで自炊することになる。予約しておいたアルベルゲは一泊二食付きだったが、到着が遅くなるため夕飯の時間に間に合わず、明日の朝食だけにしてもらっていた。もちろんメールで事前にそのことは伝えてある。
 アルベルゲの中に入ると、廊下にはカミーノの道の地図が壁に描かれていた。突き当たりのチェックインのカウンターには誰もいなかったので、「誰かいませんか?」と呼ぶと、上の階から男性のオスピタレロが降りてきた。アルベルゲを経営している人は「オスピタレロ」という(女性は「オスピタレラ」というが、ここではオスピタレロで統一する)。ここのオスピタレロはエリックさんという名前だった。
 チェックインの際に、エリックさんに「クレデンシャルを見せて」と言われたので、僕はポーチからそれを取り出して彼に渡した。

クレデンシャル
クレデンシャル

 クレデンシャルというのは巡礼の行程を証明する、スタンプ帳のようなものだ。スタンプは宿泊するアルベルゲや教会で押してもらうことができる。これは現地で買うことも出来るが、僕はすでに日本で「日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会」が発行しているクレデンシャルを事前に用意していた。若干値段は高めだが、日本のクレデンシャルはカラー印刷の上、豊富なイラストや細かな装飾がちりばめられていたため、どのアルベルゲでも評判が良かった。
 そして見事サンティアゴに着いたときは、巡礼事務所で「巡礼証明書」をもらうことができる。しかしそれには徒歩や馬だと最後の100km、自転車だと最後の200kmを踏破する必要がある。その時にたくさんのスタンプの押されたクレデンシャルは、その行程をちゃんと踏破したという証拠にもなるのだ。
 ちなみに巡礼者にとって「三種の神器」と呼ばれているものがある。それはホタテとひょうたんと杖だ。これらは大きい町で売っていることが多く、特にホタテはリュックに取り付けている人も多い。しかし、僕はたとえ貝一枚でも荷物が増えるのは嫌だし、わざわざ取り付ける必要もないかなと思って買わなかった。ひょうたんと杖も最後まで身に付けず歩いたので、結局これらはどれも自分とは縁のないものになってしまった。
 エリックさんは僕のクレデンシャルに一つ目のスタンプを押して、その隣に日付と「ULTREIA(ウルトレイア)!」と書いてくれた。帰国後に調べてみると、「もっと前へ!」という意味らしい。彼は「これから長い道のりになるが、君の体と相談して、決して無理をするな」と言ってくれた。
 その後エリックさんに一通り宿の説明を受け、螺旋階段を登り3階に案内される。寝室に向かう廊下は階段に向かってやや傾斜していたので、彼に「ここを通るときは必ず靴を履くこと、でないと危険だから」と注意された。確かに靴下で歩くと滑ってしまい、最悪階段の下に落ちてしまうかもしれない。
 二段ベッドが並んでいる寝室に案内され、「あとほかに聞きたいことは?」と聞かれたので、「明日の天気はわかりますか?」と聞いたところ、「難しい質問だ、山の天気は変わりやすいからな。おそらく大丈夫だと思うんだけど」と、なんともあやふやな返事が返ってきた。でもそれが事実であって、彼にとってはこれが答えられる限界だったのかもしれない。
 それから夕食をとるために町の中に出かける。もうすでに20:00を回っているが、まだ日が暮れる気配はなく、外は依然として明るかった。
 サン・ジャン・ピエ・ド・ポーはフランス人の道の出発点ということで、人口は1600人ほどの町だが、レストランや巡礼用品を売っている多くの店が軒を連ねている。町の中心部にはインフォメーションセンターもあり、そこでクレデンシャルや地図を手に入れることもできるが、僕が行ったときにはもうすでに閉まっていた。
 食事をしようと最初にピザのお店に入ったが、そこはデリバリーだけだったので店内の食事は断られてしまった。そのため町の中をしばらくうろうろしたが、なかなかいいお店が見つからず、結局適当に選んだ一軒のレストランに入ることにした。
 その店で値段の安いボカティージョを頼んだが、固いパンに塩辛い生ハムが乗っていただけで全然おいしくなかった。口の中がぱさぱさになるので水を飲みながら食べる。これだったら朝に列車の中で食べたボカティージョのほうが格段においしかった。また頼んだ後に気づいたことだが、これはディナー用のメニューではなかったのかもしれない。
 僕は少しがっかりしながら宿に帰り、しばらくしてから寝袋の中にもぐりこんだ。22:00頃就寝。

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