4月24日(木) 成田~マドリッド(飛行機移動)

 昨日は結局あまりよく眠れず、明け方に少しうとうとしただけだった。朝食を済ませ、再度荷物の確認をする。直前まで荷物の入れ替えをしていたため、何か足りないものがないか心配。まあいいや、何か足りなかったら現地で買えばいいことだし・・・。
 行く前に試しにリュックを担いでみたら、とても重い!思わず後ろにのけぞりそうになった。体重計で測ってみたら、荷物の重量だけで10kgもある。日本語のガイドブックには「荷物は10kg以内にすること」と書かれていたので、一応大丈夫だと思うけれど、こんなので本当にスペインに行って長い距離を歩けるのだろうか。事前に重いリュックを背負って実際に歩いてみるべきだったのかもしれない。しかし後悔しても遅いので、後は成り行きに任せるしかないと思った。
 考えてみるとこれだけリュックが重いのは、普通の荷物に加えてスケッチ用品が入っているからかもしれない。スケッチブック二冊と筆と水彩絵の具を固めたパレット、耐水性の太さが異なる二種類のミリペン(筆洗は空のペットボトルに水を入れて使うので現地調達)。でもこれはどうしても外すわけにはいかないわけだし、多少重いのは我慢するしかないのかも。
 朝早く出発し、成田エクスプレスで空港に向かう。9:00に成田空港着。海外で使える携帯電話のレンタル(いわゆるガラケーというやつだ)とユーロの両替の手続きを済ませ、航空会社のカウンターでチェックインをする。出国審査を終え、搭乗ゲートに向かう。僕が子供の頃に家族でブラジルとフランスに行ったことがあるが、一人旅は今回が初めてだ。そのため手続きがうまくいくかどうか心配だったが、割とあっさり終わり、一安心。
 利用する航空会社はロシアのアエロフロート航空だ。成田からモスクワのシェレメチボ空港に行き、そこで乗り換えてマドリッドまで行く予定。この航空会社を選んだ理由はここが一番格安だったからだ。とはいえチケットの取得が出発日ぎりぎりになってしまったため、あまり割安ではなくなってしまったけれど。
 10:30頃に手続きを全て終え、搭乗ゲート前のロビーで待機。まだ出発まで1時間半あるので、しばらくロビーのベンチでボーっとする。そこでプリントアウトして持ってきていた旅行の計画を改めて見てみると、行きはロシアの空港の乗り継ぎ時間が2時間5分あるけれど、帰りの乗り継ぎ時間が1時間10分しかないのが不安になる。もし帰りのマドリッドからの飛行機が遅れた場合はどうなるのだろう?まさか置いていかれるのだろうか?でも飛行機が遅れるのは良くある話だし、ちゃんと航空会社のほうで何かしら対策を立てているはずだ。
 そんなことを考えているうちに搭乗時間になり、飛行機に乗り込む。12:00に時間通り出発。飛行機には何度か乗ったことはあったけれど、やっぱり離陸のときに急加速するのは一番緊張する。滑走路をこれだけの猛スピードで走ると、この華奢な機体ではばらばらになってしまうような気がするからだ。しかし飛行機は僕のそんな心配をよそに、無事に離陸を果たした。左の窓側の席に座っていたので、眼下には日本アルプスが雪をかぶっているのが見えた。格安航空会社のエコノミークラスだが、乗り心地はそれほど悪くなかった(良くもないけど)。
 機内にはロシア語で書かれていた航空会社の雑誌があったのでぱらぱらとめくっていると、最後のほうにシェレメチボ空港の見取り図が載っていた。僕は「これを写真にとっていいですか」と真っ赤な制服を着たフライトアテンダントに聞くと、彼女は「OKよ、なんなら持っていっていいわ」とのこと。持ち運ぶのは荷物になるので、とりあえず写真だけ撮っておき、見取り図を頭の中に入れる。ちなみにこの会話は英語だったけれど、僕の英語では通じなくて、隣の外国の男性に通訳してもらった。
 隣の人は機内で映画をずっと見ていたが、僕は寝たり起きたりしていた。睡眠不足だったので眠いのだけれど、しっかりと眠れない。少しうとうとして、目が覚めて、またうとうとしての繰り返しだった。
 17:10に時間通りにロシアのシェレメチボ空港に着いた。まだ外は依然として明るい。東京とモスクワでは時差が5時間だったので、10時間ほど飛行機に乗っていたことになる。そのせいでお尻が痛かった。乗り継ぎは同じターミナル(D→D)だったので30分くらいですんだ。これなら帰りも順調に行けば間に合うかな。
 その後サービスカウンターで「帰りの便の乗り継ぎ時間の1時間10分は短いのでは?」と聞いたところ、サービスカウンターにいた女性はどこかに電話し、「ジャパニーズ」と言って携帯電話を渡してくれた。彼女は航空会社に電話してくれたようで、電話先は日本語で応対してくれたので助かった。それによると、帰りにここのサービスカウンターに寄れば案内するし、もし飛行機が遅れたときは替えの飛行機に乗れるとのこと。それを聞いて僕は少し安心して、搭乗ゲートに戻った。
 そうしているうちに搭乗時間になったので機内に乗り込む。19:15シェレメチボ空港発。離陸してからしばらくすると機内食が出たが、まだお腹は空いていなかったので、デザートは残してしまった。それからは猛烈に眠くなり、ずっとうとうとしていた。
 ふと目を覚ますと窓の外は暗くなっていて、そろそろ着陸時間になっていた。飛行機が高度を下げていくにつれて、窓の外の暗闇の中にオレンジ色のマドリッドの灯りがはっきりと見えてきた。着陸の際には機内で英語・ロシア語・スペイン語の三種類のアナウンスが流れていたが、訛っていたせいか英語ですらほとんど聞き取れなかった。
 22:30にマドリッドのバラハス空港に到着。外は雨が降っていた。出国手続きを済ませ、荷物を受け取るためターンテーブルに向かう。ちゃんと荷物が出てくるか心配だったが、無事に水色のバンダナがくくりつけられた僕の赤いリュックが出てきたのでほっとした。
 空港の出口付近のロビーのベンチに座って一休みする。それからレンタルした携帯電話を海外で使えるように設定して、日本であらかじめ予約しておいたオスタル(安い宿泊施設のこと)に電話をかける。このオスタルでは空港または最寄りの地下鉄駅からオスタルまで24時間シャトルバスを運行しており、電話をかければしばらくして迎えに来てくれるとのことだった。
 僕は電話に出たオスタルの受付の人に名前を告げ、「今空港にいるので、バスで迎えに来てください」と英語で言ったものの、相手のシャトルバスのバスが「ブース」に聞こえて、全然聞き取れなかった。僕は「boothのことかな?部屋のことだろうか?」と思って、「ブース?ブース?」と何度か聞くうちに、「あ、バスのことか!」と気がついた。相手もようやくこちらの言いたいことが伝わったようで、今から迎えに来てくれることになった。
 ちなみにスペイン語ではバスのことを「autobus(アウトブス、ブにアクセントがある)」という。相手はバスのつもりで最初から話していたが、スペイン語の訛りがきつかったため、全然聞き取れなかったようだ。僕が相手の話を理解できなかったのは、睡眠不足で僕の頭もあまり働かなかったせいでもあるかもしれない。
 空港のロビーから出たところでしばらく待っていると、オスタルの名前と電話番号の書かれたクリーム色のバスが到着したので乗せてもらう。それはバスと言うよりもワゴン車に近かった。僕が乗り込んだ後、バスは空港の別のターミナルに向かい、そこで待機していた初老の男性と若い女性を乗せた。彼らは親密そうに話をしていたので、もしかしたら親子なのかもしれない。
 オレンジ色の照明が灯っている深夜のマドリッドの街の中を走り、石畳の道を抜けて15分ほどでオスタルに到着した。オスタルはT字路の角にあり、二階と三階は赤と薄い水色でペイントされていたので、暗い中でも良く目立った。バスの運転をしていた男性はそのままカウンターに行き、チェックインの手続きをしてくれた。一緒にバスに乗った人たちに続いて、僕もチェックインをする。一泊素泊まりで40ユーロだった(このとき1ユーロは約140円だったので、40ユーロは約5600円になる)。
 明日は地下鉄でマドリッドのチャマルティン駅まで行き、それから高速鉄道に乗る予定だったので、「明日の朝、地下鉄のバラハス駅までバスで送ってほしい」と英語で宿の人に言ったが、宿の人は「明日どこへ行くんだ?」と聞き返してきた。またもや僕の言いたいことは通じなかったらしい。
 しばらく押し問答していた後、一連のやり取りを見ていた一緒にバスに乗ってきた女性が、「英語は出来る?OK、私が通訳するわ」と買って出てくれた。僕はその女性に英語で説明し、スペイン語で宿の人に伝えてもらった。
 通じなかったのは僕が地下鉄のことを「サブウェイ」と言っていたのが原因だった。しばらくやり取りをしているうちに、宿の人は「メトロのことか?」とようやく理解してくれた。どうやら彼は僕が明日空港に行くものだと思い込んでいたようだ。宿の人は「英語は難しいよ」と言っていたが、僕の英語もかなり怪しいものがあった。慌てていたので、彼にお礼のチップを渡すのを忘れてしまった。
 宿泊の手続きのためにいったん宿の人は奥に引っ込んでいったので、その間に女性に話を聞くことができた。彼らはやはり親子で、父と娘であるようだ。娘さんはベネズエラから父親の住むスペインまで来たらしい。彼女に「スペインのどこに行くの?」と聞かれたので、僕は「カミーノに行く予定です」と答えたら、「あら、それなら知ってるわ。いい場所なので楽しんでらっしゃい」と言ってくれた。感謝。 
 そんなこんなで、0時近くになってようやく部屋を確保することが出来た。室内は広く、シャワーやクーラー、テレビなどが備え付けられていたが、僕に残されていたのはただシャワーを浴びて寝ることだけだった。

部屋の中
部屋の中

 しかしこんな語学力で大丈夫なのだろうか。人に助けられてとりあえずここまではたどり着くことはできたけれど、先行きはかなり不安だった。
 就寝0:30。

←前の日(出発日前日)
→次の日(マドリッド~サン・ジャン・ピエ・ド・ポー)