4月26日(土) サン・ジャン・ピエ・ド・ポー~ロンセスバージェス(25.1km)

サン・ジャン・ピエ・ド・ポー~ロンセスバージェス(※地図上のルートと巡礼路は一部異なります)
サン・ジャン・ピエ・ド・ポー~ロンセスバージェス(※地図上のルートと巡礼路は一部異なります)

 朝6:30起床。室内は少し寒かった。
 出発の準備を整え、7:00頃寝室を出る。一階のダイニングに降りていくと、そこはすでに出発前の人でごった返していた。テーブルにはパンとジャム、シリアル食品や牛乳、コーヒーなどが用意され、昨日朝食代を払った人は自由に取って食べることができた。最近炭水化物や肉ばかりしか食べていないので、そろそろ野菜がほしいな・・・。
 ロビーには記帳のノートがあり、そこにはいろんな国の言葉で巡礼者たちのメッセージが書かれていた。僕もそのノートに「日本から来ました。がんばって歩きます」と日本語で書いた。
 日本を発ってからあまり良く眠れていなかったが、頭はすっきりしていたし、体調も特に問題はなかった。長旅で疲れているようなら、今日はサン・ジャン・ピエ・ド・ポーの町に滞在して別のアルベルゲに泊まろうと思っていたが、この調子なら25km先のロンセスバージェスまで何とか行けそうだった。巡礼一日目ということで、多少気持ちが高ぶっているのかもしれない。

サン・ジャン・ピエ・ド・ポーの町並み
サン・ジャン・ピエ・ド・ポーの町並み

 7:30に宿を出発。途中には売店などがほとんどないことをあらかじめ知っていたので、昼食用の食べ物を買うためにしばらく町内をうろうろする。町の出口には「スペインの門」というものがあり、そこには巡礼者たちがいて、「写真を撮ってくれ」と言われたので写真を撮った。そのとき僕は「どこか食料を売っているところはないですか?」と聞いてみたが、彼らは知らない様子だった。
 町内に戻ると一軒のパン屋が開いていたので入り、菓子パンと水を買った。ただでさえ40リットルのリュックが一杯なところに、無理やりそれらを詰め込んだので、リュックの留め金のひとつが壊れてしまった。そのため、この後は無理やり別の留め金から引っ張ってきて固定することになった。
 食料が手に入ったので僕もスペインの門をくぐり、いよいよカミーノ出発だ。天気は曇りで、雨が降りそうな気配だ。少し肌寒い。
 さて、今日のサン・ジャン・ピエ・ド・ポーからロンセスバージェスまでは二つの道がある。ひとつは「ナポレオンの道」という山越えの道で、もうひとつは国道沿いの舗装された道だ。
 ナポレオンの道はナポレオンがスペイン遠征のときに通った道として知られている。ピレネー山脈を越えて、フランスからスペインに至る道だ。こちらのほうが国道沿いの道と比べると勾配がきつく、一度山に登った後で降りないといけない。悪天候のときは危険なルートでもあり、下手をすると遭難して死亡する可能性もある。昨日ダニエルさんも列車の中でこのことについて話していたし、僕がオスピタレロに天気について聞いたのもそのためだった。しかし雨は降りそうでもそれほど悪化することもないだろうと思い、ナポレオンの道を進むことにした。
 しばらく行くと早速登りが始まった。まだこのあたりの道は舗装されている。水や食料も含めるとリュックが10kg以上あるので結構重い。これだけの重量の荷物を背負って歩いたことは今まで経験がなかったので、かなりしんどく感じてしまう。リュックが肩に食い込むので、1時間に一度くらいはリュックを下ろして腕をぐるぐる回したり、伸びをしたりしないといけなかった。
 ただし景色は田舎道でいい感じ。見渡す限り緑色の木々と草原が広がっている。いたるところで羊が草を食んでいて、のどかな雰囲気だった。

さっそくの登り坂
さっそくの登り坂
ヤギ?羊?
ヤギ?羊?

振り返ってみた
振り返ってみた
これは花なのだろうか
これは花なのだろうか


 僕は歩くスピードは若干速いほうなので、他の巡礼者を追い抜くことが多かった。その時には巡礼者同士「ブエン・カミーノ!」と挨拶をするのがお決まりである。直訳すると「良い道」という意味だが、ここでは「良き巡礼を!」というニュアンスだろうか。
 もっと歩いている人はまばらだと思っていたので、予想外に人が多くて驚いた。男女比は男6、女4くらいの割合だった。また、若い人が多いと思っていたら意外と高齢の人も元気に歩いている。
 登り道の途中で昨日会ったジョージさんと出会う(すれ違ったときには全然気づかなかった・・・)。彼はこの時点で結構体力的にきつそうな感じだったが、大丈夫だったのだろうか。
 スタートしてから8km行った先のオリソンというところで少し休憩。ここにはバルがあり、アルベルゲも併設されている。そのため一日で山越えにチャレンジせずに、ここに泊まる人も多い。ちなみにバル(bar)というのは英語ではバーのことだが、お酒を飲むのがメインと言うわけではなく、喫茶店と居酒屋と食堂が一緒になったような飲食店のことを指す。カミーノを歩く巡礼者にとっては良い休息場所だ。

オリソンのバル
オリソンのバル

 バルの中入ると、室内は暖房が効いていたので暖かかった。そこにはたくさんの巡礼者たちが集まり、ごった返していた。そこでスーさんたちと再会する。彼女は木の椅子に座って休んでいたので、僕が「ここに泊まるんですか?」と聞いたところ、彼女は「ロンセスバージェスのアルベルゲに予約しているので、今日中に行かなくちゃいけないわ」と言っていた。
 僕はトイレを借りた後、バルの外にあったベンチに座って家に電話を入れ、無事にスタート地点のサン・ジャン・ピエ・ド・ポーに着いたことと、今日から歩き始めたことを伝えた。母親からは「毎日メールしてね」とのことだった。
 日本とスペインでは7時間時差がある(通常は8時間だが、このときはサマータイムのため1時間短くなっていた)ので、現在日本はもう夕方のはずだった。しかし日本とスペインは遠く離れているのに、携帯電話で簡単に連絡が取れてしまう現代では、その距離というものをほとんど感じなかった。
 その後雨が降ってきたので、出発前にウインドブレーカーを着ようと思ってリュックの中を探す。しかしリュックの一番下に入れてしまっていたので、取り出すのに苦労した。
 周りはポンチョを着ている人が多かった。ポンチョとは、リュックと一緒にすっぽり上からかぶれるタイプの雨具のことだ。これは体に密着したカッパやウインドブレーカーだと、汗をかいたときに中で冷えてしまって体温が低下してしまうからだ。ただしポンチョは風に弱く、足元がぬれやすいという欠点もある。
 しかし僕はゴアテックスという、中で蒸れない特殊な素材のウインドブレーカーを持ってきていた。モンベルのストームクルーザーというものだ。これは以前山に登っていたときに購入していたもので、低価格なのに高性能(それでも上下3万円くらいするけど)という評判の良いウインドブレーカーだ。通気性が良く、それでいて雨が当たってもつるつると弾いてしまうような、ちょっと自慢したくなるほどの性能を持っていた。しかし日本の山では多くの人が着ているので、ベタな選択でもある。僕が着ていたのはオレンジの目立つ色だ。どうにかそれをリュックから取り出して着込み、そこからまた歩き始める。
 ひたすら牧草地の中の舗装された道を進む。周りの景色はずっと遠くまで見渡すことができて、馬もあちこちに放牧されていた。景色だけ見たらのどかな風景だが、だらだらした登りが続き、結構きつい。さらに標高が上がるにつれてだんだん風が強くなっていき、寒くなってきた。雨は時々強くなったり、弱くなったりを繰り返していた。
  ちなみに巡礼路沿いには、黄色い矢印やホタテ貝のマークが付いた石碑がいたるところにあり、迷いそうなポイントには必ず描かれているので、それを見落とさない限りは巡礼路を外れることはない。近くに歩いている人は大勢いることだし。・・・とは言ったものの、後で何度か迷ってしまうことになるのだが。

黄色の矢印
黄色の矢印
登り坂は続く
登り坂は続く
馬が放牧されていた
馬が放牧されていた
見晴らしの良いポイント
見晴らしの良いポイント

 しばらくすると雨が止んで、雲の切れ目から晴れ間も見えるようになってきた。
 12:00頃にお腹が空いてきたので牧草地の中に入り、岩に腰掛けて朝買っていた菓子パンを食べる。リュックに押し込まれていたせいで、もともと二つだったパンが一つになり、形も原形をとどめないほどぐちゃぐちゃになっていたが、味はおいしかった。
 食べていると巡礼者のおばちゃんにスペイン語で「ボナペティート!」と話しかけられたが、僕にはそれがどういう意味なのかはわからなかった。僕はその人の元に寄っていって、パンを指差してみたけれど、その人は申し訳なさそうに手を振っていた。なんだか悪いことをしてしまったかもしれない。(本当に意味がわかるのはカミーノも終盤になってからの話だった。正確には「Buen apetito(ブエン・アペティート)」で、直訳すると「よい食欲」になる。こちらでは「召し上がれ」の意味で使われることが多い言葉だ。)
  昼食後しばらく歩くと、巡礼路は舗装路から山道なるポイントにぶつかった。そこにはここから先はさらに危険だということを示す案内板があり、近くには石で作られた十字架も置かれていた。しかし今更引き返すわけにはいかないので、先に進むことにした。

さらに登ります
さらに登ります
山頂の入り口には十字架
山頂の入り口には十字架

 山道はさらに登りもきつくなり、これはもうほとんど登山じゃないか、と思う。道の両側の林の中には、ところどころにまだ雪が残っていた。途中から霧が発生し視界も悪くなってきた。昨日エリックさんが言っていたように、山道は天気がころころ変わってしまう。「ピレネー山脈越えで遭難する人がいる」という噂は、話を聞いている時点では半信半疑だったが、実際に僕の目で見てみてようやく納得がいった。道の途中には水溜りやぬかるんでいる箇所があったので足元がどろどろになる。荷物も重いし、精神的にも体力的にもかなりハードだ。
 しかし辛い気持ちばかりだけではなく、その一方ではある種の楽しみや高揚感も感じていた。仕事や日常生活ではあまり味わったことのないような、わくわくするような感じだ。
 その一方で、日本を遠く離れてスペインのカミーノを歩いているという実感がまだうまく持てなかった。頭の片隅で「今自分の見ている風景は本当に現実なのだろうか」と考えると、なんだか足元がふわふわしてくるようだった。
 しばらく歩いていると、いつの間にかフランスとスペインの国境を越えたようだ。国境近くにはスペインのナバラ州に入ったことを示す石碑が置かれていた。ようやく標高1430mのレポエデール峠を越え、今度は急勾配の下りが始まる。

「ローランの泉」
「ローランの泉」
ここからスペインのナバラ州
ここからスペインのナバラ州
霧のかかった山道
霧のかかった山道
ようやく下り坂
ようやく下り坂

 ロンセスバージェスの町まであと少し、といったところで前を歩いていた若い男性が足元を滑らせて転んでしまった。どうやら彼はその時に怪我をしてしまったらしく、しばらく立ち上がれない様子だった。僕はその人に声をかけ、彼が叫んでいると、近くにいた数人の巡礼者たちが集まってきた。滑った本人はそのについて相当腹を立てていて、何度か大声を出していた。それに対して一人の巡礼者が「とにかく落ち着け」と諭すように話していた。
 彼はしばらく道端で寝転んでいたが、幸い大きな怪我はしていなかったようで、しばらくすると立ち上がることができた。彼の服はべったりと土で汚れていたが、どうやら自分で歩けそうだったので、数人で彼の荷物を持ち、僕も彼らと一緒に後をついていった。僕も彼のために何かしようと思ったが、声をかけるくらいしか出来なかったのが残念だった。
 15:00頃、ようやくロンセスバージェスの町に到着。この町は標高950mの高原にあり、人口は30人ほどでしかない。巡礼者が宿泊するのに特化した町だ。教会と宿泊施設が一体化しており、最大183人が泊まれる大規模なアルベルゲが存在する。

ロンセスバージェスの町
ロンセスバージェスの町
教会
教会

 アルベルゲの中に入り、ようやく一息つくことができた。このアルベルゲは出来てまだ新しく、施設もきれいだった。ロビーでオスピタレロにまず汚れた靴をサンダルに履き替えるよう指示される。それからチェックインしようと隣の部屋に行くと、そこには大きな机を取り囲むように巡礼者の長い行列ができていた。長い時間待ってから、ようやくチェックインすることができた。
 その後、あてがわれた部屋の二段ベッドの上段で一休みする。ちなみにリュックをベッドの上に置くのは汚れてしまうため、必ず床に置くか、ロッカーに入れる必要があった。
 それからシャワーを浴び、どろどろになった靴を外の水道で洗い流す。裾が汚れてしまったジャージのズボンも洗濯したいな、と思っていたところ、洗濯と乾燥のサービスを3ユーロでやっていたのでお願いする。自分で手洗いすることも出来たが、天気が良くないので明日までに乾かないかもしれないと思ったからだ。
 それからアルベルゲを出たところにレストランがあったので、夕食の予約を入れる。そこには巡礼者メニューというのがあるらしい。店員が「ペイ」と言っていたので9ユーロを先払いする。
 アルベルゲに戻りしばらく一眠りする。1時間ほどしてからふと気づいて周りを見渡してみると、施設内にはほとんど人がいなかった。「みんなどこへ行ったんだろう?」と思って、アルベルゲを出て近くの教会を覗いてみると、そこでは巡礼者のためにミサが行われていた。ミサに参加するのはこれが初めてだ。なにやら荘厳な雰囲気で、自然と背筋が伸びたような気持ちになった。途中からしか見られなかったのが残念だった。ミサが終わると巡礼者たちが司教さんの前に集まり、司教さんは何かスペイン語で話していた。
 それから予約していたレストランに行く。ここでは食事の時間が19:00からと決められており、みんなと一緒に食事をとった。「巡礼者メニューってどんなのだろう?」と期待していたが、スープと肉料理、デザートという、スペインでは一般的な料理が出された。一日歩いたのでとても空腹だったし、おいしかったけれど。
 そこで昨日知り合っていたダニエルさんと再会。彼の近くには若い二人の女性がいて、彼に紹介してもらった。一人はキエラさんという名前で黒髪の人。クララをイタリア語読みするとそうなるらしい。もう一人はリリィさん(だった気がする)という名前の茶髪の人だ。僕も名前を名乗ったけれど、ケイスケは覚えるのが難しいらしいようで、何度も聞きなおされてしまった。
 彼女たちは二人ともイタリアから来たらしい。キエラさんは人生をリセットするため、カミーノを歩いているようだ。彼女は日本にも一度来たことがあるらしい。「ぜひイタリアにもおいで!」と言っていた。
 僕の目の前には元気そうなおばあちゃんが座っていて、なぜカミーノを歩いているのか聞かれた。一応英語で説明したけれど、うまく説明できたのかは怪しかった。僕が「日本語と英語は全然違うから習得が難しい」と言ったら、彼女は「歌や映画で覚えるといいわ」と言ってくれた。会話が早くても何とか理解できるように努力しないと。
 その後ダニエルさんたちは「The Way」という映画で盛り上がっていた。これはカミーノを題材にしたロードムービーで、日本では「星の旅人たち」というタイトルで公開されており、DVDにもなっている。その映画がきっかけでこの巡礼路に興味を持つ人も多いらしい。
 「映画では道が平坦なのに、こんなにアップダウンがあるなんて思わなかったわ」とキエラさん。僕はこの映画をまだ見たことがない。日本に帰ったらツタヤでレンタルして見ようかな。
 最後に二人の女性に名前をちゃんと覚えたかテストされた。僕は人の名前がなかなか覚えられないので、あやふやなまま答えてしまい、かなり恥ずかしい思いをした。キエラさんは笑いながらもう一度教えてくれた。そのときに彼女に「忘れないように、寝ているときにずっと名前を繰り返すといいわよ」と言われてしまった。その場では覚えたつもりでも、ちゃんとメモをしておかないと忘れてしまう。
 アルベルゲに戻ったのが20:00。眠い。睡眠不足もあり、今日一日疲れたのであっという間に眠ってしまった。

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