6月4日(水) パラス・デ・レイ~アルスーア(28.9km)

パラス・デ・レイ~アルスーア
パラス・デ・レイ~アルスーア

 朝6:00起床。朝食をとり、7:00出発。空は曇っていて、今にも雨が降りそうな気配だ。
 昨日会った江川さんが玄関で待っていてくれたので、彼と一緒に歩くことにした。彼はチェック模様のカラフルなリュックを背負い、途中で拾ったという木を杖の代わりにして、テニスシューズを履いていた。寝袋はリュックに入りきらないので、紐にくくりつけ、それをぐるりと腰のあたりで巻いて固定していた。

町の出口にあったモザイク画
町の出口にあったモザイク画
聖ヤコブの像
聖ヤコブの像

 しばらく歩くと、パラス・デ・レイの町の出口でスペイン人の女性と合流した。年齢は20代後半くらいだろうか。彼女はパーマをかけた黒髪を後ろでまとめており、細身の体で気の強そうな女性という印象を受けた。彼女は江川さんと一緒に歩いていて、昨日は別のアルベルゲに泊まったそうだ。彼女の名前はエステルさんで、名前の由来はスペイン語の「星」という言葉に基づいている。「エストレージャ」が「星」という意味なので、そこから派生した名前だ。
 その後は僕と江川さんとエステルさんの三人で歩いた。途中から雨が降り出したので、雨具を着る。パラス・デ・レイの町を抜け、森の中に入る。
 エステルさんは英語があまり得意ではないようだ。僕は英語でいくつか質問したがあまり理解してもらえなかったので、通訳は江川さんにやってもらった。彼女は新聞記者をする傍らでマラソンを趣味としており、主に山の中を走っているらしい。日本でもトレイルランという山の中を走る競技があるけれど、それに近いのかもしれない。彼女は去年もカミーノを歩いたけれど、それで満足しなかったらしく、今年はもっと距離を伸ばすためレオンから出発したそうだ。しかしもうすぐ休暇が終わってしまうので、あまりゆっくりしてはいられないらしい。
 彼女がかぶっていた帽子は巡礼路の途中で拾ってきたものだと言う。しかし彼女は「もういらないわ」と言って、近くの十字架の先に帽子を置いていた。しばらくすると、エステルさんは歩くのが早いので、僕たちを置いてさっさと先に行ってしまった。
 その後は江川さんとスペイン語について話しながら歩いた。彼のほうが年下だけど、彼が先生役で、僕は生徒役だった。
 彼はスペイン語の動詞は活用が多いので覚えるのがとても大変だと言っていた。僕もそのことについてはスペイン語の会話集の本でうっすらと知っていたが、まず現在形だけでも主語が変わると6種類に活用し、しかもそれが時制でさらに複雑に変化すると言う。
 江川さんはそれを一つ一つ言ってくれたが、途中で僕は「ちょっと待ってくれ!さすがに覚えきれない!」という気分になった。しかも規則的に変化するだけではなく、不規則変化の動詞もあると言う。大学一年生のときはまるで呪文のようにひたすら暗誦して覚えるのだそうだ。
 あとスペイン語で難しいのは巻き舌だ。これが日本人にはできない人が多いらしい。先頭にRが来るときは必ず巻くことと、Rが二つ付くと必ず巻くルールがあるそうだ。例えば、カタカナで表記すると全て「ペロ」になるけれど、「pero」が「でも・しかし」、「pelo」が「髪」、「perro」が「犬」という意味になってしまう。「犬」と言ったつもりでも、巻き舌ができないと「髪」に聞こえてしまうそうだ。僕も何回か練習したけれどできなかった。

集落の中心にあった十字架
集落の中心にあった十字架
黒猫はみんな目つきが悪い
黒猫はみんな目つきが悪い

 そんなことを話しながら歩き、途中にあるバルで休憩。エステルさんはもうすでにそこにいて、「遅かったじゃない!」と言っていた。いや、あなたが歩くのが速いんだけど。一通り話すと、エステルさんはまた先に行ってしまった。僕たちはそのバルでしばらく休憩。
 その後また歩きながら江川さんと話をした。僕も胃腸炎になった話とか、お金を盗まれた話をしたが、基本的には聞き役だった。
 スペイン語には男性名詞と女性名詞があり、それぞれ定冠詞が異なるそうだ。基本的に「O」で終われば男性名詞、「A」で終われば女性名詞だが、一部例外もあると言う。例えば、スペイン語で「手」は「mano(マノ)」だが、これは女性名詞だそうだ。でもそれは一体どうやって決めるのだろう。感覚的なものなのだろうか。僕は男性名詞と女性名詞との違いを知らなくて、以前トサントスのアルベルゲで男子トイレと女子トイレの区別がわからなかったことを話した。

牛とご対面
牛とご対面
牛の写真を取る江川さん
牛の写真を取る江川さん
集落の教会
集落の教会
黒い馬
黒い馬

 メリデという町の入り口にあったバルで休憩し、トイレを借りる。江川さんはカフェ・コン・レチェを頼み、僕は余っていたパンを取り出し、ジャムをつけて食べた。それからメリデの町の中で、江川さんは町の中にある看板を指して、それがどういう意味か解説してくれた。
 日本でも本屋さん、パン屋さんというのと同じように、スペイン語でも名詞の最後に「~ria」(正確にはiにアクセント記号)がつくと「~屋さん」という意味になるらしい。
 例えばスペイン語では「libro」が「本」なので、「libreria」は「本屋さん」になる。それと同様に「panaderia」が「パン屋さん」、「cafeteria」が「カフェ」。また、「pasteria」は「ケーキ屋さん」という意味だ。画材でもパステルというものがあり、粉を練り固めて棒のように成形するので、ケーキも同じように「練り固める」という同じ語源から来ているのかもしれない。
 ガリシア州はタコ料理が有名だ。とあるタコ料理屋では、店の前でタコをさばいていた店員が一切れ試食させてくれた。日本のタコよりもやわらかく、非常においしかった。ちなみにタコはスペイン語で「pulpo(プルポ)」なので、タコ料理屋さんは「pulperia(プルペリア)」だ。
 通りがかった肉屋にはショーウィンドーにサングラスをかけた豚の頭が置かれ、ソーセージをくわえていた。とてもユニークで笑ってしまったけれど、日本で同じようなことをしたら批判が来るのではないだろうか。
 メリデの町を通過する頃から晴れてきた。町を出るところに、残り50kmを示す石碑があったので写真を撮った。

橋を渡ってメリデの町へ
橋を渡ってメリデの町へ
メリデの教会
メリデの教会
サングラスをかけた豚の頭
サングラスをかけた豚の頭
サンティアゴまであと50km!
サンティアゴまであと50km!
町の出口の十字架
町の出口の十字架
「どにゃぁ!」
「どにゃぁ!」

 それから山道を歩きながらまたいろいろ話をした。彼はスペインに滞在中、いろいろなところを旅行していたようだ。闘牛を見に行ったことがあるけれど、残酷に感じたので一度見たらもう見なくていいという話とか、ブニョールという町で行われるトマト祭りに参加した話とか、3月にバレンシアで行われる火祭りのことを紹介してくれた。
 彼は特にバレンシアの火祭りが印象に残っているようだ。この日に備えて職人さんたちは見上げるほど大きな人形をこしらえるが、祭りの最後には燃やしてしまうのだと言う。一年をかけて精魂をこめて作った人形なのに、燃やすときはあっという間に燃え尽きてしまう。そのはかなさが感動的なのだそうだ。
 とは言っても彼はずっと遊んでいたわけではなく、ちゃんと大学の授業も受けていた。スペインの大学では世界遺産の講座を選択したが、その内容は高度で、しかも全てスペイン語だったので、付いていくのが非常に大変だったそうだ。友達にノートを借りて、ようやく単位を取得できたらしい。

石でできた橋を渡る
石でできた橋を渡る
木漏れ日の中を歩く
木漏れ日の中を歩く

 その後しばらく歩いたところにあるバルで休憩する。外に置かれているテーブルの椅子で休んでいると、3人の日本人らしき男性を発見した。彼らのうち一人の五分刈りの男性は普通の黒いTシャツを着ていたが、残りの二人は特徴的な服を着ていた。僕はコーラを飲んでいた江川さんを席に残して、話を聞きに言った。
 一番高齢の男性に聞いたところによると、彼らは「山伏」なのだという。カミーノを歩いているのはこれが4回目で、今までいろいろなコースをたどってきたようだ。サンティアゴの教会でミサのときに般若心経を流し、西洋と東洋の融合を図るという。しかし厳粛な場でそんなことができるのだろうか。彼らも6月6日にサンティアゴに着くそうなので、このままだと僕も彼らと一緒になりそうだった。
 また彼によると、最初はみんな重い荷物を持ってカミーノをスタートするけれど、だんだん不要なものを捨てていって荷物が軽くなるのだという。その荷物の重さは悩みの多さと比例して、荷物が軽くなるにつれてどんどん悩みも少なくなっていくのだそうだ。
 しかし僕はスタートしてから旅の途中でいろいろなものを買い込んでいて(ブルゴスでなくしたジャージを除く)、不要な物でも捨てられないので、リュックは軽くなるどころかますます重くなっていた。彼らの話をそのまま受け取ってしまうと、僕の悩みは増えることはあっても、少なくなることはないのだろうか。
 他にも、日本食は持参をして一日一食は必ず食べることにしているとか、高い宿ではなくちゃんとアルベルゲに泊まらないとカミーノを歩いている意味がないと言っていた。
 僕としてはちょっと話すつもりが、長話になってしまった。山伏の人も「久しぶりに若い人に出会ったので、いろいろ話しすぎたよ」と言っていた。
 バルを出てしばらく歩き、カスタニェーダの町でお昼にする。僕は生ハムが入ったボカディージョを食べた。そこから歩いている途中でエステルさんがバルで食事をとっているのを見かけた。彼女は数人のスペイン人たちと一緒だった。僕たちは挨拶をして、彼らを追い抜いて先に進んだ。
 リバディソのという町では牛が自由に放し飼いされ、川で水浴びをしていた!驚き。柵もなかったのですこし危ない気がした。彼らが突っ込んできたらどうやってよければいいんだろう。

ボカディージョの昼食
ボカディージョの昼食
牛が水浴びをしていた
牛が水浴びをしていた

 それからも歩きながら話をした。江川さんは日本に帰ったら就職活動をしないといけないとのこと。友達に比べると一年遅れているので、彼は少し焦りを感じているのかもしれない。彼はスペイン語を習ってもビジネスで使うレベルには至らないらしく、あまりスペイン語を習ってもあまり意味がないな、と思った時期もあったようだ。でもこの留学の経験は必ずプラスに働くのではないか、と思う。
 15:00頃に本日宿泊予定地のアルスーアの町に到着した。公営のアルベルゲにチェックインし、シャワーを浴び、洗濯をして一眠りする。母親から届いたメールをチェックしていると、父親が心臓の検査を受けるために遠くの病院に行くので、母親もそれに付き添うらしい。後日手術が必要になると書かれていた。これまであまり病気らしい病気をしない人だったし、そんなことは今まで知らなかったので驚いた。
 それから宿の人に頼んで、明後日のサンティアゴのアルベルゲの予約を取ってもらった。サンティアゴには巡礼者が集まるので、もしかしたらどこの宿も一杯かもしれないと思ったからだ。15ユーロで個室があるそうなのでそれを二部屋取ってもらうことにした。当日の15時までには到着していてくれとのことだった。
 その後江川さん宛にエステルさんから連絡があり、一緒にタコ料理を食べに行こうとのこと。彼女はスペイン人の仲間と一緒に別の私営のアルベルゲに泊まっているそうだ。彼女たちのいるアルベルゲの場所を教えてもらう。

アルスーアの町の地図
アルスーアの町の地図

 彼らが泊まっているアルベルゲには10分ほどで到着した。ここはバルと宿泊施設が一体になっていたので、僕たちは入り口を入ったところにあるバルで待機することにした。
 しばらくしたらエステルさんは現れて出迎えてくれた。エステルさんは江川さんと僕に対して、ハグしながら頬にキスをしてくれた。僕は思わず照れてしまった。それから彼女は「まだシャワーを浴びていないからしばらく待ってて。お腹が空いていたら何かタパス(おつまみ)を注文して、つまんでもいいわ」と言い残すと、宿泊施設の中に戻っていった。
 僕はこのときはすでにかなりお腹が空いていたが、夕食前だし、ここで何か食べてお腹が一杯になるのも良くないと思って我慢する。僕はスケッチブックを持ってきていたので、待っている間に江川さんにそれを見せた。彼はログローニョで描いた橋のスケッチが、絵葉書のようで好きだと言っていた。
 一時間ほど待たされた後、ようやくシャワーを浴びたエステルさんたちが現れた。彼女は4~5人のスペイン人たちと一緒だった。それからみんなでタコ料理屋に移動するが、彼らはだらだらと歩き、すぐ立ち止まって話をするので全然前に進まなかった。しかも通行人に「この辺でおいしいタコ料理屋はどこ?」と聞いていた。事前に調べているんじゃないのだろうか。江川さんは「スペイン人と行動を共にすると、待たされるのは日常茶飯事ですから」と話してくれたが、日本人とスペイン人とはこの辺の時間感覚が違うのかもしれない。
 ようやく店の前に近づいたと思ったら数名がタバコを買いに商店まで出かけてしまった。「そんなこと後でいいじゃん!」と思う。店の前で待機するが、この時はお腹が空きすぎたのと待たされたので、かなりイライラが頂点に達してきた。僕は思わず江川さんに「スペインの人と一緒に行動したくないです」と言ってしまった。
 とはいえ、彼らが遅いのには理由がある。それはスペインの食習慣によるものだ。彼らは基本的に一日に4回食事をとる。朝食と昼食の間に間食を挟み、昼食は14:00頃にとるので、必然的に夕食もその分遅く、21:00以降にとるのが一般的だ。19:00頃に夕食をとり、22:00前に寝るというカミーノの時間割は、スペイン人の生活リズムからすると早すぎるのだ。 そんなこんなでようやく店内に入り、席に着いたのが20:30頃。僕と江川さんはカニャ・コン・リモンを頼み、他のみんなはビノ・ブランコ(白ワイン)を頼んで乾杯。タコと同様、白ワインもガリシア地方の特産品であるらしい。
 出てきたタコ料理はとてもおいしかった!ゆでたタコにオリーブオイルがかけられ、唐辛子のような赤い粉がかかっている。タコは歯ごたえがありながらもやわらかく、思わず箸(フォークだけど)が進む。これはガリシア語で「ポルボ・ア・フェイラ」という料理らしい。

タコ料理
タコ料理

 他にもイカリングや、ジャガイモの煮込んだ料理が出されたが、どれもおいしかった。僕はすっかりいい気分になって、店に入る前のイライラした感情はすっかり忘れてしまっていた。
 江川さんの下の名前は「たすく」というが、みんなからは「タスコ」と呼ばれていた。これは最後が「u」で終わる発音がスペイン人にとって難しいからだ。彼は僕に対して「名前は何と呼ばれたいですか?」と聞いてきたので、覚えにくいかもしれないけれど、そのままの「ケイスケ」で通すことにした。
 「好きなサッカーチームは?」と聞かれたので、レアル・マドリードと言うのもバルセロナと言うのも面白くないなぁと思って、スビリで会ったホアンさんとの会話を思い出して、「アトレティコ・ビルバオ」と答えてしまった。メンバーは一人も知っていないけれど。
 スペイン人の中には江川さんが「うそつきおじさん」と呼んでいる人もいた。江川さんがアルベルゲにチェックインしようとした時、おじさんに冗談で「一杯だよ」と言われてしまったことによる。江川さんは彼の本名は知らないらしい。
 そんなうそつきおじさんは僕に対して「君の事は何度か見かけていたよ」と言ってくれた。僕は覚えていなかったが、そういえばこの人には「体調はどうだ?足は痛くないか?」と歩いているときによく声をかけられたことを思い出した。自分の思い込みかもしれないけれど、エステージャの町で僕の手を冷たいと言って抱きしめてくれたのも、もしかしたらこのおじさんだったのかもしれない。
 僕の前には赤いTシャツを着た若い短髪の男性が座っていた。彼は腕に刺青を入れており、少し怖い印象を受けた。僕は彼とはあまり話す機会はなかった。
 その後、僕はバッグからスケッチブックを取り出し、行く先々でスケッチを描いているということを江川さんの通訳を通してみんなに伝えた。エステルさんにスケッチを見せてみると、とても驚いてくれた。ここまでストレートな反応をもらえるとは思っていなかったので、びっくりした。
 エステルさんは店員さんにも僕の絵を見せて、まるで自分のことのように自慢していた。他の人が「え、ちょっと見せて!」と手を伸ばすと、彼女は「だーめ!今私が見ているんだから!」と拒絶していた。江川さんによると、彼女はなぜか「死にたいわ」と言っていたらしい。これはスペイン語独特の感情表現なのかもしれない。彼女は僕に対して英語で「あなたはピカソだわ!ダリよ!」と言ってくれた。
 いつの間にかスケッチブックの取り合いになっていたので、スケッチが破れてしまったり、汚れたりしてしまわないかはらはらした。でももし汚れてしまっても、思い出になるのでかまわないとも思った。
 このままだといつまでも飲んでいそうなので、21:30頃、あと30分でアルベルゲの門限になるということを伝えて、江川さんと僕は先に15ユーロ(約2100円)支払って退席をした。値段は少し高めだったが、これだけの経験ができたのだから安いものだった。僕は大人数で盛り上がるのはあまり好きではなかったけれど、たまにはこういうのもいいかもしれない。
 その後宿に戻る。もう周りの巡礼者たちは寝静まっていた。22:00頃ベッドに入ったけれど、この夜の喧騒を思い出して、興奮してなかなか寝付けなった。

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