6月5日(木) アルスーア~モンテ・ド・ゴソ(34.4km)

アルスーア~モンテ・ド・ゴソ
アルスーア~モンテ・ド・ゴソ

 5:50頃起床。あまり良く眠れなかったので、若干寝不足気味だ。朝食をとって、7:10頃出発。今日も江川さんと一緒に歩くことにした。
 江川さんは昨日の夜中寝ているときにベッドでうなされていた。僕が「昨日良く眠れなかったんですか?」と聞くと、彼は「お酒を飲んだ日はうなされてしまうんです」と言っていた。彼はそれで周りの人に迷惑をかけるのが申し訳ないと言っていたけれど、僕は「うるさいいびきよりはずっと気にならないので大丈夫ですよ」と伝えておいた。
 今日は34.4km先のモンテ・ド・ゴソまで歩く予定なので、少々ハードなスケジュールだ。今日も山道を歩く。出発したときは少し雨が降っていたが、途中から晴れてきた。その後は晴れたり曇ったりだった。

早朝のアルベルゲ
早朝のアルベルゲ
日が差してきた
日が差してきた
牛に注意の看板
牛に注意の看板
朝日の中を歩く
朝日の中を歩く

 道端にタバコの箱が捨ててあって、それには「Fumar mata(フマール・マタ)」と書かれてあった。それを見た僕は江川さんに「あ、昨日言っていたのはこれですね!」と伝えた。これは昨日彼に、「スペインのタバコのパッケージを見たことがありますか?」と聞かれたことを思い出したからだ。
 彼によると、タバコのパッケージの「Fumar mata」とは「喫煙は殺す」という意味になるらしい。なんともストレートなメッセージだ。日本だったら問題になってしまう気がする。しかし江川さんは「スペイン人はそれを見ても気にせずパカパカ吸っているんでるけどね」と言っていた。
 ちなみにスペイン語の最後に「~dor(ドール)」が付くと「~する人」という意味になるそうだ。「mata」の後ろに「dor」が付くと「matador(マタドール)」になり、闘牛士を指す言葉になる。「マタドール」を直訳すると「殺す人」になるのは知らなかった。
 途中の村にはまだ色づいていないアジサイが咲いていた。ブドウもこの辺りではラ・リオハ州で見たような背の低いものではなく、ちゃんと棚になっている。ミズバショウのような花も咲いていて、ますます雰囲気が日本に近い感じだ。

ブドウ棚の下をくぐる
ブドウ棚の下をくぐる
アジサイの花
アジサイの花
犬
用水路の横を通る
用水路の横を通る
ピンク色の花
ピンク色の花
ミズバショウに似ている
ミズバショウに似ている

 その後も江川さんといろいろ話しながら歩いた。
 スペイン語には公式に認められている言語が4つあって、それは
 1.標準スペイン語(カスティージャ語)2.カタルーニャ語 3.ガリシア語 4.バスク語であるらしい。(ちなみにWikipediaを見るともう一つアラン語というのが公用語であるようだ。)
 1.2.3は少しだけ違うだけで方言のようなものだが、フランスの国境付近で話されている4のバスク語は全く別のものであり、どこから来た言語なのかもわかっていないらしい。
 ここガリシア地方で使われているガリシア語はポルトガル語と少し似ているらしい。江川さんが以前集中講義をとったときに、スペイン語とポルトガル語でわかる人が半々だと言っていた。ガリシア語は標準スペイン語では使われない「x」のアルファベットを多用する。他にも定冠詞の「el」が「o」になったり、「mayo(五月)」が「maio」になったりするなど、標準スペイン語とは微妙な違いがある。「オ・セブレイロ」の「オ」もガリシア語の定冠詞のことだ。
 僕たちがそんなことを話しながら歩いていると、僕の前にいた女性の巡礼者は「ノ・プエド!」と言っていた。江川さんは彼女は「もう歩けないわ!」という意味だと教えてくれた。でもその割には彼女が背負っていたのは小さい荷物だったけれど。
 僕は江川さんに「今のはプエドって言っていたんですか?」と聞くと、彼は「そうです、英語だとcanの意味です」と説明してくれた。僕はトイレを借りるときに「プエド・ウサル・セルビシオ?(トイレを借りてもいいですか)」と聞いていたので、その単語を知っていたことを話した。江川さんは「だんだんスペイン語をわかってきたじゃないですか」と言ってくれた。
 10:00頃にサルセーダの町で休憩。バルに立ち寄ってトイレを借り、外のテーブルの椅子に座ってバナナと朝の残りのパンを食べる。江川さんに「これまずいのでよかったらあげます」とお菓子をもらった。それはグミのようなお菓子で、表面にはキャラクターの顔が描かれていた。確かにあまりおいしくはなかったが、食べられないほどではなかったので貰うことにした。
 それからしばらく歩くと、江川さんの歩くペースがだんだん遅くなってきてしまった。足にできている豆が痛くなっているとのこと。登り坂ではまだそれほどでもないが、下り坂では靴に当たって特に痛く感じてしまうらしい。僕が少し先に行ってはそこで待つということを繰り返していたが、彼は僕に追いついたときに「先に行っていいですよ」と言ってくれた。
 僕はまだ多少余力があったし、スペイン語を教えてくれたお礼もしたかったので、彼に「荷物を持ちましょうか?」と何度か聞いたけれど、「自分で荷物をしょって歩くのがカミーノなので」と断られてしまった。あまりしつこく聞くのもうっとうしいと思ったので、11:00頃に何かあったときの連絡先を書いた紙を渡して、「じゃあ悪いけれど、先に行きます」と言って一旦そこで別れる。僕はそういうところでは冷たい人間だな、と思う。

真ん中の道を通る
真ん中の道を通る
木の十字架
木の十字架

 その後は一人でペースを上げて先に進む。途中でスペイン人のおじさんが道端の野草を摘んでいた。彼は「メンタ」と言っていたので、おそらくこれはミントのことだと思った。匂いをかいで見ると確かにミントのいい香りがした。おじさんは僕に一本くれたので、しばらく胸に挿して歩いた。
 12:00頃、オ・ペドロウソという町のバルで休憩。ここに来る前に標識を見落としてしまったので、店員に現在地の町の名前を確認する。それからボカディージョ・トルティージャ・フランセサを頼んだ。フランセサというのは「フランス風」という意味だ。これにはジャガイモが入っておらず、ただのプレーンの卵焼きだ。
 注文したら店員に「ウン・モメント(ちょっと待って)」と言われたので、店内のテーブルの椅子に座り10分くらい待っていると、店の外に食材を買ってきたらしい車が到着した。僕は「今から作るんかーい!」と心の中で突っ込みを入れる。さらに10分経過した後ようやくボカディージョが出てきた。その割には至って普通の味だった。
 でも僕の後に店に入った女性の巡礼者は、僕が食べているのがおいしそうに思ったらしく、「これはメニューの中でどの料理なの?」と聞いてきた。僕はカウンターに置かれてあったメニューを指差して教えてあげた。

ミントの葉
ミントの葉
昼食のボカディージョ
昼食のボカディージョ

 バルを出た後はまた山道を進む。途中までは「サンティアゴまであと○○km」と書かれた石の標識があったけれど、サンティアゴに近づくにつれていつの間にかなくなっていた。しばらく行くと巡礼路の近くに空港があり、飛行機が間近で着陸しようとしていたのが見えた。

サンティアゴの入り口を示す石碑
サンティアゴの入り口を示す石碑
空港の横を通る
空港の横を通る
左手には大きなユーカリの木々
左手には大きなユーカリの木々
サッカー場があるらしい
サッカー場があるらしい

 モンテ・ド・ゴソの手前は登り坂になっており、疲れた体には結構きつい。舗装された道を丘の頂上まで登り、少し下ったところにアルベルゲはあった。15:40頃、ようやくアルベルゲに到着。
 モンテ・ド・ゴソとは「歓喜の丘」という意味だ。それはここからサンティアゴの市内が初めて一望でき、カテドラルの尖塔を見た巡礼者たちが歓喜の声をあげたことに由来する。アルベルゲ前の丘にはヨハネ・パウロ二世の訪問を記念した巨大なモニュメントがあった。しかし僕は結局カテドラルの尖塔を見ることはできなかった。場所が悪かったのかもしれない。

丘に立つモニュメント
丘に立つモニュメント

 ここのアルベルゲは最大800人収容できる巨大な施設だ。広い下り坂になっている道が施設内を貫いており、それに沿う形で宿泊施設が団地のように並んでいる。しかし明らかにオーバースペックで、建物の中を覗いてもほとんど電気がついておらず、宿泊客も少なかった。巡礼する学生たちが増える夏休みの期間中は、ここの施設も一杯になるのだろうか。
 僕は受付の場所を探して、一度坂の下の広場まで降りてしまったが、受付の場所を見つけることができなかった。そのため周囲にいた巡礼者に聞いてみると、受付は坂の一番上にあるそうだ。そのため再度坂を登り直すことになり、かなり面倒だった。
 16:00頃ようやくチェックイン。そこには昨日会った山伏の人たちが列に並んでいた。彼らの到着がやたら早いと思ったら、年長者の人は「さっきそこに空港があったでしょ?実は途中で飛行機を使ったんだ」と話していた。えぇと・・・突っ込むのは野暮なのでやめておこう。
 ここにはたくさんの建物があるが、受付と同じ建物の中の一室に部屋をあてがわれた。建物の中は、入り口の近くにはリビングルームやダイニング、キッチンなどがあり、正面には長い廊下があった。廊下は先に進むにつれて少しずつ下っていた。部屋がその両側にずらりと並んでいて、僕はその中の一室に入った。中は4人部屋だった。
 そこにはもうすでに一人男性の先客がいて、彼は「ホラント」から来た、と言っていた。僕は「えーっと、ホラント、ホラントってどこだっけ・・・確かオランダだったはず」と考えた。それから彼は名前を教えてくれたけれど、申し訳ないが忘れてしまった。彼は5月12日にサン・ジャン・ピエ・ド・ポーを出発したらしい。あまりにもペースが速すぎる。彼はいつも16:00まで歩き、その時間になったら近くのアルベルゲにチェックインしたようだ。
 それから僕は英語で、「奇妙な衣装を着た日本人たちに出会いましたか?」と聞いてみた。彼は「ああ、伝統的な衣装を着ていた人たちのことか?確か三人いたはずだけど」と答えてくれたので、僕は「彼らは山伏と呼ばれている仏教徒で、強い体を持ち、仏教を歩いて広めているんです」と説明してみた。すると彼は「君は彼らの言葉がわかるのか?」と驚いてくれた。事前に頭の中で考えていたことだからこんなにすらすら言えたのだけど。
 その後シャワーを浴び、洗濯をする。今日はもう時間が遅いので、眠いけれど昼寝はしない。17:00頃江川さんも到着。彼はかなりお疲れの様子だったが、無事再会できて一安心だった。
 その後廊下でブルゴスで会ったマチルダさんと久しぶりに再会。彼女はシャワーを浴びた後で、髪をタオルで巻いていたので最初気づかなかった。彼女に「ずいぶんペースがゆっくりですね、絵を描いていたからですか」と聞かれた。基本的に会話は英語だったけれど、今の「ゆっくり」だけは日本語を使ってくれた。僕は「それもあるけれど、途中で胃腸炎になったり、お金を盗まれたことがあったりして到着が遅くなってしまったんです」と伝えた。それから一緒に歩いていたチカさんはどうしたのか気になったので聞いてみると、彼女はバスで先にサンティアゴに行って、それからもう日本に帰ったということだった。
 その後坂を降りた先のカフェに向かった。中央の坂を下って階段を降りた先には広場があり、カフェやレストランがある。コインランドリーもあるようだが、電気がついていなかったので果たして使用できたのかわからなかった。
 カフェには部屋で一緒になったオランダ人が座っていたので、相席することにした。彼は「何か飲むか?」とお酒を勧めてくれたが、空きっ腹にお酒と言うのもあまり良くない気がして断ってしまった。僕はカフェの横にあるレストランがいつ開くか知りたかったので、カフェの女性の店員に聞くと、20:00から開くとのこと。それを知ったオランダ人は「スペイン人の夕食の時間は遅すぎるよ」とぼやいていた。
 途中雨がぱらついてきたので、干していた洗濯物を取り込む。まだ乾いていなかったけれど、仕方なかった。部屋の中に持ち込み、ベッドの手すりにまだ乾いていない洗濯物を掛けた。
 19:00頃に夕食をとりにレストランに行く。江川さんは部屋で寝ているので一人で食べに行った。
 アルベルゲの受付の人によると、レストランは近くに二ヶ所あるそうだ。一つは先ほど行った坂を下った先にあるカフェの横にあり、もう一つは巡礼路を少し引き返して坂を登った先にあると言う。僕は坂の下のレストランがオープンする20:00まで待てないので、坂を登った先のレストランに行くことにした。しかし途中で迷ってしまい、またアルベルゲの近くに戻ってしまう。
 アルベルゲの近くには屋台があり、そこでお菓子などを売っていた。そこの女性の店員にレストランの場所を聞くと、彼女はスペイン語で答えてくれたので僕には全くわからなかったが、彼女はメモ帳に丸と三角が二つ刺さったおでんのような絵を描いてくれた。どうやらこの先にあるようなので行ってみると、まさにメモ帳に描いてくれた形の道路標識があった。
 そこでは商店とレストランが併設されていた。商店で朝食を買った後、レストランでボカディージョとサラダを頼んだ。合計8.5ユーロ。しかし少々量が物足りなかった。レストランにはたくさんの巡礼者たちがいて、とても騒がしかった。僕もその人たちと話をしたが、どんな話をしたかは不思議と覚えていない。

夕食もボカディージョ
夕食もボカディージョ

 アルベルゲに戻ると、廊下にはエステルさんがいた。「タスコ(江川さん)はどこにいるの?」と英語で聞かれたので、「アキ、アキ(ここ、ここ)」と彼の寝ている部屋を案内した。僕は「でも彼は疲れていて、今は寝ている(から静かにしてほしい)」ということを英語でジェスチャーを交えて伝えると、エステルさんはいきなりガラガラと部屋の扉を開け、「タスコ!」と呼んだ。それで江川さんは起きてしまったので、僕は思わず「うわあぁぁ」と思ったが、江川さんはそれで不機嫌になることもなく、しばらくしたら起きてきた。 その後リビングルームでバナナを食べて、ようやく満腹になった。そこで明日の計画を立てていると、江川さんにレストランの場所を聞かれたので、坂の上のレストランをお勧めしておいた。
 リビングルームには鳥かごに入れられたインコがいて、一人の女性が餌をやっていた。彼女は鳥かごを持ったまま歩いているのだろうか。変わった巡礼者は多いけれど、彼女はその中でも特にユニークだった。

鳥かごのインコ
鳥かごのインコ

 それから今までたまっていた日記を書く。特に昨日と今日はいろんなことがあったので時間がかかった。しばらくすると江川さんが食事を終えて戻ってきた。そこにエステルさんも現れて、僕と江川さんと三人で話をする。エステルさんがスペイン語で喋り、その内容を江川さんに通訳してもらった。彼女たちはアルベルゲにパスポートと財布を忘れてしまい、途中のバルまで車で届けてもらったらしい。それで到着が遅れてしまったようだ。
 エステルさんは仏教に興味があるとのことなので、以前僕が箱根に行ったときに撮ったお寺の写真がカメラの中にデータであったので見せた。仏像が並んでいる写真では、大きい仏像を「グランデ(大きい)」、小さい仏像を「ペケーニョ(小さい)」と言って説明してみせた。エステルさんは写真を見て「奇妙で興味深い」と言っていた。江川さんによると、ここでの「奇妙」とはいい意味で、とのことらしい。
 エステルさんは「日本人は仏教を信仰しているの?」と聞いてきた。それに対しては返答に困ってしまった。仏教を信仰していると言うよりも、お葬式などの生活の一部になっている、ということを伝えた。エステルさんも、それと同じでキリスト教を熱心に信仰しているわけではない、とのことだった。
 それから彼女は「仏教に関する絵は描かないの?」と聞いてきた。そういえばあまり仏閣や神社に出向いて描いたことはなかった。それは身近にありすぎるからかもしれない。
 最後にエステルさんは僕のことを「あなたはアーティストだわ!」と英語で言ってくれた。ここまでストレートにいってくれる人は珍しいので、とても嬉しかった。
 22:00就寝。明日はいよいよサンティアゴだ!

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