5:40起床。朝食をとり、朝7:00出発。今日はポルトマリンという町まで行く予定だ。空は曇っていて、まだ辺りは薄暗かった。
巡礼路であるマヨール通りを歩いていると、壁面に「BONSAI」と書かれたポスターが貼ってあった。どうやら盆栽の展示会のお知らせらしい。でもスペイン人は一体どういう盆栽を作るのだろう。やっぱり美的な感覚は日本人と異なるものがあるのだろうか。
町の中でシャーリーさんと再会する。彼女と僕とは歩くペースが同じなのか、至る所で会う気がする。少し高台になった十字架の近くで、市街地をバックにして写真を撮ってもらった。
町の出口には中世の救護施設だったマグダレナ修道院があり、その向かい側は墓地になっていた。ここの墓地はまるで団地みたいな構造だった。正面から見ると正方形のブロックが縦に4つ積み重なっていて、それがずらりと横方向に並んでいる。この一つ一つのブロックには遺体が入っているのだろうか。遺体と対面したいときはこのブロックからずるずると引き出す構造になっているのかもしれない。こうすれば確かにあまり場所をとらず、省スペースになる。でもこのタイプの墓地は今まであまり見たことのないものだったので、ガリシア州特有のものなのかもしれない。
その後はサリアを去り、今日も山道を歩く。周囲の巡礼者の数は一層多くなり、サンティアゴが近づいていることを感じさせられる。
天気は曇りがちで、霧がかかっていて視界は良くなかった。霧の中の草原に馬がいて、どことなく神秘的な感じがした。森の中では小川が流れているところを橋で越えたり、一人では抱えられないほどの巨大な木があったりして、歩いていて楽しかった。石垣にはコケがむしていて、その古びた感じが好きだった。
ちなみにガリシア州に入ると、巡礼のマスコットキャラクターをよく見かけるようになる。名前はシャコベオ君というらしい。
途中、民家の前にオレンジなどの果物や、コーヒーとミントティーが入ったポットが置かれていた。寄付をすれば自由に食べることができたみたいだけど、これは有志の人がやってくれているのだろうか。わざわざ手間をかけて巡礼者をもてなしてくれるとは、頭の下がる思いだ。食べ物と一緒に置かれていたプレートには、「Toma lo que quieres, Deja lo que puedes」と書かれていた。日本に帰ってから訳してみると、これは「必要なものは取りなさい、可能なものは置いていきなさい」という意味だろうか。ここで置いていくものといったらお金のことなのかもしれない。
民家の近くには石やレンガで造られた高床式の倉庫が備え付けられていることがあった。これはオレオと呼ばれているもので、ケルト文化の名残であるらしい。どのオレオも作られた素材や大きさ、古さなどが異なっていたので、それらを一つ一つ見て回るのは面白かった。
道の両側には鮮やかなピンク色の花が咲いていた。花のつき方はランに似ていたけれど、花の形状はホタルブクロのようだった。少し不気味で不穏な印象を受けた。後で調べてみると、これはジギタリスの花らしい。
10:00頃、サンティアゴまであと100kmの石碑を見つける。今までここを通った巡礼者もこの石碑には特別な思い入れがあるらしく、たくさんの落書きが書かれ、その上には登山靴も置かれていた。そこで近くの巡礼者に石碑と一緒に僕の写真を撮ってもらった。
モルガデという町のバルで休憩し、トイレを借りる。ここのバルではクレデンシャルにスタンプを押すことができるが、サンティアゴまで残り99.5kmなので、ここから始めても巡礼証明書はもらうことができない。本当はあまり良くないことだけど、寒かったので店内に入り、テーブルの椅子に座って昨日買っておいたバナナとクッキーを食べる。
バルから出た後もひたすら山道を進む。巡礼路沿いに牧場があり、柵の向こう側にダチョウがいて金網越しにこちらに首を伸ばしていた。ガリシア州に入ってからいろいろな動物を見てきたが、ダチョウまでいるとは思わなかった。卵を食べるために飼われているのだろうか。それともいずれは食肉にされてしまう運命なのだろうか。
しばらく進むと、団体で歩いている人たちが僕の前を歩いているのが見えた。どうやら彼らは日本人のようだった。バルの手前で、引率者の人が「○○時まで休憩します!」と言って、みんなバルに入っていった。彼らが全員入ってしまう前に、一人の男性に一言二言だけ話を聞くことができた。彼らは個人ツアーで来ているらしい。僕はそのバルでは休憩せず、先に進むことにした。
巡礼路の途中に木でできた十字架が立っており、その足元は巡礼者たちが置いていった石で覆われていた。そこには松ぼっくりや書置き、写真などに加えて、巡礼者たちの衣服などが掛けられていた。その量があまりにもたくさんだったため、まるで洗濯物が干してあるように見えた。祈りを捧げる場所ではあるのだけど、少し雑然として汚らしい印象を受けてしまった。
その後もいくつかの集落を抜け、山の中を進む。天気は回復し、晴れ間が見えてきた。しばらく歩くと、眼下にポルトマリンの町が見えてきた。
その下り坂でシャーリーさんと再会。朝会ったばかりなので、僕と同じペースで歩いていることになる。それは彼女の年齢を考えるとすごいことだと思った。しばらく話しながら一緒に歩いた。彼女に「日本語だとハローは何ていうの?」と聞かれたので、僕は「『こんにちは』です」と教えた。
現在のポルトマリンの町は、ダム建設のために高台に移転されたという経緯がある。そのため旧市街地は現在巨大な人造湖の下に沈んでしまっている。現在でもダムの水位が低くなっているときは旧市街地の一部を見ることができるらしい(僕が訪れたときには見ることはできなかった)。
人造湖にかかる大きなコンクリートの橋を渡り、ポルトマリンの町に入る。町の入り口には階段があるので登らないといけないが、結構傾斜がきつい。階段の頂上でシャーリーさんに僕の写真を撮ってもらった。
町の中心部に行くにはさらに急な坂を登らないといけないので、疲れた体にはハードだ。中心部には広場があり、レストランやバルなどの店がその周囲を取り囲むように軒を連ねている。広場の中央には12世紀に建てられたサン・ニコラス教会があるが、これもダムに沈む前に移築されたものだ。
13:00頃、広場の近くにある公営のアルベルゲに到着。チェックインした後、リュックをアルベルゲに置き、教会の近くの広場に面したバルで昼食をとることにした。そこでボカディージョ・トルティージャ・パタタを注文する。水はいつもリュックに入れているので、いつも飲み物は断っているが、注文した後に今はリュックをアルベルゲに置いたままにしてしまったことに気づく。そのため一度断った水を再度注文することになってしまった。
僕が申し訳なさそうにすると、オーナーは気さくに「気にするな、マイフレンド!」と言ってくれた。でも後でレシートを見てみると、水は500mlで1.2ユーロ(約168円)もした!こういうところはちゃっかりとしているなと感じた。
ちなみにスペインでは水は日本のようにサービスではなく、きちんと別料金を取られてしまう。バルやレストランで注文するとたいていはペットボトルに入った水とグラスを出されるが、500mlで1ユーロ近くするため、僕は普段は安く手に入るスーパーで購入することにしていた。そうすると安いスーパーでは500mlのペットボトルが0.25ユーロくらいで手に入るため、大幅な節約になる。
その後多少納得のいかない気持ちを抱えながらも、アルベルゲに戻る。シャワーを浴びて、洗濯を済ませ、一眠りしてから再度町に出かける。広場の一角には銀行があり、ATMもあったので、そこでお金を下ろすことにした。昨日は銀行をあれだけ探して見つからなかったのに、今日はあっさり見つかったので、少し拍子抜けだった。
広場の近くで昨日会った日本人の女性二人と、そのガイドさんと再会。彼らはレストランの外のテーブルに座り、昼食とも夕食とも言えない時間に食事をしていた。僕が13:00頃着いたと言ったら「早いですね!」と言ってくれた。
その後スケッチをするため、来るときに登った急な坂を下る。スケッチの場所は湖のほとりにある階段だともう決めていた。これは町に入るときに登った階段とはまた別の、小さな階段のことだ。この階段はそのまま湖の下までずっと続いており、濁った水の中にその行き先が消えてしまっていた。
16:30頃からその階段に座り、湖と橋を見ながらスケッチする。描いているうちに、橋げたの縦と横の比率がどうもおかしいことに気づき、無理やりつじつまを合わせようとしたら、実際の風景とかなり橋げたの数が異なってしまった。風が吹いてさざなみが立っている水面の表現もあまり上手くいかなかった。水面の濃い部分は木が写りこみ、薄い部分は空が映りこんでいるように描いたつもりだったが、なんだか濃い部分だけ油が浮いているように見えてしまう。もっと思い通りに、上手な絵が描けたらいいのに。
スケッチしている最中に、橋の上で数人の女の子たちが話しているのが見えた。すると、突然一人の女の子がいきなり橋から下の湖に飛び込んだ!橋は水面まで20メートルはあろうかという高さなので、着水時には大きな音を立てて水しぶきが上がった。僕は思わず大丈夫かと心配したが、しばらくした後に彼女は浮いてきて、こちらの階段まで平泳ぎで泳いできた。
彼女は目を丸くした僕を見て「オラ(やあ)!」と声をかけてくれたので、僕も挨拶をしたが、その後は何を話していいのかわからなかった。そのうちに橋の上にいた女の子とたちもこちらの階段に集まってきた。橋の上にいた女の子たちは先ほどの飛び込みのシーンを携帯の動画で撮ったらしく、何度も再生をしてスペイン語で何か話していた。飛び込んだ女の子は服がぬれていたので少し寒そうだった。
女の子たちがそこから立ち去ってしまったあと、風が冷たくなってきたので、線画と色を少しだけ塗ったところで18:30頃に切り上げて、町の中に戻ることにした。
商店で明日の朝食を買った後、夕食をとることにした。広場の一角のレストランに、6.8ユーロで夕食が食べられるところがあったので、入ってそのメニューを頼んでみた。出てきた料理は「プラト・コンビナード(一皿料理)」といって、サラダ・フライドポテト・目玉焼き・豚肉がひとつの大皿にドンと乗っていた。結構ボリュームがあったが、今の自分ならいくらでも食べられる自信はあった。しかしここでもやっぱり水は別料金で、合計8.1ユーロ支払うことになってしまった。
その後20:00からのミサに参加しようと思ったが、あまり時間がなかったのでやめてアルベルゲに戻る。日記を書いて、22:00頃就寝。