5月26日(月) オスピタル・デ・オルビゴ~アストルガ(15.8km)

オスピタル・デ・オルビゴ~アストルガ
オスピタル・デ・オルビゴ~アストルガ

 6:00頃起床し、6:30頃朝食をとる。一夜明けても、まだ気分は憂鬱なままだった。
 僕が朝食をとって寝室に戻ると、急に一人の男性に声をかけられた。驚いてそちらを見ると、彼は以前トサントスでオスピタレロをしていた丸顔のメガネの人だった。彼は部屋の入り口の近くのベッドに座っていた。なぜオスピタレロがここに泊まっているんだろうと疑問になったが、話す気力がなかったので、僕は挨拶しただけですぐに部屋の奥に引っ込んでしまった。今思うと、かなり失礼なことをしてしまったかもしれない。
 他の巡礼者たちは準備が出来次第ばたばたと出かけていったが、僕は9:00に大使館が開くまで何もすることが出来ず、ずっとベッドで横になっていた。みんなが出て行ったあとのアルベルゲはとても静かだった。
 8:30頃、男性のオスピタレロに「掃除するからどいてくれ」と言われたので、キッチンに場所を移動する。そこで親に弱音を吐いたメールを打った。正直な話をすると、僕はここでカミーノを投げ出して、日本に帰りたい気分になっていた。帰りの航空券のチケットはもう取ってしまっていたし、簡単には日付を変更できなかったけれど。
 そんな僕の姿を見ていた女性のオスピタレロが「あなた何歳なの?」と聞いてきたので、僕は「30歳です」と答えた。すると彼女は「もっと若いと思っていたわ」と言っていた。それは僕の行動が年齢相応ではないということを言いたかったのだろうか。それとも顔つきが幼く見えるのだろうか。
 9:00になったので、その時に大使館に電話を十回ほど掛けてみたが、なぜかずっと通話中でつながらなかった。僕は思わずかっとなって、携帯電話を中庭に置かれていた柔らかいソファに投げつけた。昨日オスピタレロが日光浴をしていたソファだ。僕はこの時すっかり腹を立てていたが、携帯電話が壊れないようにわざと柔らかいソファに投げたのは、まだ幾分は冷静さが残っていたからなのかもしれない。しかしこの行動は年齢相応のものではないことは明らかだった。でも僕はそれを止めることができなかった。
 9:30頃、何度掛けてもダメだったので、男性のオスピタレロに電話が繋がらないことを伝えた。すると彼は別の番号を教えてくれて、ついでに電話もかけてくれた。しかしそこはスペイン領カナリア諸島の大使館だったので、職員にここではなくスペイン本土の電話番号に掛けるように言われてしまった。ただオスピタレロさんが発信する前に+ボタンを押していたので、僕も今度はそのボタンを最初に押し、スペイン本土の大使館に掛けてみるとようやく繋がった。
 ただし電話をしてもお金の保証をしてくれるわけでもないので、大使館の職員はどうすることもできなかった。職員に詳しく状況を教えてくださいと言われたが、昨日緊急の連絡先に話したので、これ以上彼らに伝えることはなかった。
 結局昨日から状況は何一つ変わらないままだったので、痺れを切らした僕はアストルガに向けて出発することにした。
 そのことを男性と女性のオスピタレロに伝えると、男性のオスピタレロは紙に「私は500ユーロ盗まれました」というスペイン語の文章を書いてくれた(僕は全く読めなかったけれど)。女性のオスピタレロは「この紙を持ってアストルガのアルベルゲに泊まりなさい。必ず公営のアルベルゲに泊まること。そこのオスピタレロと一緒に警察署に行きなさい」と言ってくれた。

渡された紙
渡された紙

 また、彼女は「オスピタル・デ・オルビゴからアストルガまでは二通りの道があるけれど、山道ではなく国道沿いの道を行きなさい」とのこと。そちらのほうが近道なのだそうだ。僕は山道のほうが景色はいいのでそちらを通るつもりだったが、そう言っていられないような状況だった。
 最後に彼女は、「これは大変なことだったけど、あなたのこれからのカミーノが良いものであることを祈っているわ」と励ましてくれた。僕は彼らにお礼を言った。
 それからアストルガの町に向けて10:00頃出発。言われたとおり国道120号線に沿って歩いた。今日も良く晴れて、日差しが強かった。周りには歩いている人はほとんどいなかった。多くの人たちは国道沿いの道ではなく、もう一方の山道を歩いているのかもしれない。

国道沿いの道を歩く
国道沿いの道を歩く
国道をまたぐ橋の上から
国道をまたぐ橋の上から

 出発したときは、このことについてはもうこれ以上考えず、頭を切り替えて歩くつもりだったが、簡単にそんなことはできなかった。歩いていてもなんだか体に力が入らなくなってしまったため、休み休み行くことにした。ストレスから来るのかどうかはわからなかったけれど、時折胃の辺りを締め付けられる感じがして、しばらくその場でしゃがみこむことも2、3回あった。しかも国道は交通量が多く、景色もそれほど良くなかったので、はっきり言って歩いていて面白くなかった。
 僕はまだ気持ちは非常に混乱していて、まるで足場がぐちゃぐちゃになったようだった。歩きながら僕は考えた。なぜ僕はこんなに辛い思いをしてまで、カミーノを歩いているんだろう?どうして僕はこういうことになってしまうのだろう?
 食中毒になったのも、お金を盗まれたのも、突き詰めて考えれば同じことが原因だった。それは僕が「不注意」な人間だということだ。生ものにはよく火を通す、貴重品は絶対に外さない。これは当たり前のことなのに、その当たり前が出来ずさまざまなトラブルを起こしてしまう。そんな自分の不注意さが嫌で仕方なかった。
 問題が起これば個別には対処できるが、また別の形でトラブルを起こしてしまう。同じようなことを何度も繰り返すということは、もしかしたらこれは自分の根本的なところに問題があるのかもしれない。そうするとこれは治しようがないだろうか。結局スペインに来ても僕自身は変えられないのだろうか。もしかするとこれがシスール・メノールのアルベルゲで考えたような、僕にとって欠けている部分に該当するのかもしれない。「オズの魔法使い」に登場するキャラクターのように。
 また、何かに集中すると周囲が見えなくなってしまうこともよくあった。ただし、それは見方を変えると高い集中力があるということかもしれない。だからあれほどの細かい絵が描けるのではないだろうか。そう思わないとやっていけないような気がした。
 国道沿いの道は歩いている人がほとんどいなかったが、アストルガの5kmほど手前の「サント・トリビオ山」で二つの道が合流すると、一気に人が増えた。ここには大きな十字架があり、アストルガの町を一望することができる。ベンチも置かれていたので、ここで昼食をとっている巡礼者も多かった。

サント・トリビオ山の十字架
サント・トリビオ山の十字架
山道を下る
山道を下る

 山を下り、サン・フスト・デ・ラ・ベガという町のバルで昼食。ボカティージョを食べる。そこから3.6kmほど歩き、14:00頃にアストルガの町に到着。

アストルガの町が見えてきた
アストルガの町が見えてきた
小さな橋を渡る
小さな橋を渡る
ラウンドアバウト交差点
ラウンドアバウト交差点
アルベルゲの前の巡礼者像
アルベルゲの前の巡礼者像

 城壁に囲まれている旧市街地に入る急な坂を上り、町の入り口にある公営のアルベルゲにチェックインする。ここはベッドが164床ある大きなアルベルゲだ。順番待ちをしている間、受付の横のボードを見てみると、そこには日本から送られてきた「ありがとう」という文字と、赤い富士山の絵が描かれていた色紙が飾られていた。
 僕の順番になったので、チェックインを済ませる。その時に受付の人に事情を話し、オスピタル・デ・オルビゴのオスピタレロに渡された紙を見せると、「それじゃ19:00から一緒に警察署に行こう」と言ってくれた。
 それから別の中年男性のオスピタレロに部屋に案内される。館内には4人部屋がずらりと並んでいて、その中の一室にあてがわれた。
 シャワーを浴び、洗濯を済ませ、一眠りする。起きた後メールをチェックすると、親からの励ましのメールが送られてきていて、それを読んだら少し気が楽になった。どうやら父親はお金を盗まれるのはある程度想定していたことらしい。

日本語で書かれた色紙
日本語で書かれた色紙
アルベルゲの中庭からの眺め
アルベルゲの中庭からの眺め

 その後アストルガの町の中に出かける。アストルガはチョコレートで有名な町だ。それはスペイン南部のセビージャから北部のヒホンまで、スペインを縦断する銀の道がこの町にも通っており、それを通じてカカオが持ち込まれたからである。
 僕は大きな町でよく見かけるカミーノのグッズを取り扱っている店に入ってみた。そこではグッズと一緒にケーキやチョコレートを売っていた。明日から山を越えるルートになるので、そこで寒さ対策に手袋と毛糸の靴下を購入した。そこで食事をしていた巡礼者の男性は、僕の買った手袋を「ちょっと見せてくれ」と言って手触りを確認していた。

市役所
市役所
女の子向けのグッズ販売店
女の子向けのグッズ販売店

 それからレストランに入り、夕食をとる。まだ早い時間だったので店内にはほとんど人がおらず、僕は一人で黙々と食べた。デザートにはスープのようなものが出された。僕は驚いたけれど試しに食べてみると、液体のプリンのような味がして意外とおいしかった。

夕食のサラダ
夕食のサラダ
こっちはデザート
こっちはデザート

 その後アルベルゲに戻り、19:00少し前にロビーに向かう。しばらくそこで待っていると、一人の男性のオスピタレロが現れた。彼は先ほど部屋に案内してくれた人だった。僕は彼と二人で一緒に警察署に向かうことになった。
 彼は自分の名前はアントニオだと名乗った。彼はスペイン人だけど英語も話せる人だったので、二人で話をしながらぶらぶらと歩く。これから警察に行くというのに、彼はあまり緊張感のない歩き方をしていた。しかし彼の気楽さには、ずいぶん助けられたような気がした。
 僕たちは近道のために公園の中を突っ切って歩いた。公園の近くの建物には、この先のイラゴ峠にある鉄の十字架の写真の巨大なタペストリーが飾られていた。僕が「あれが鉄の十字架ですか?」と聞いたところ、彼は「鉄なのは先っぽだけで、あとはほとんど木でできているんだ」とのこと。
 公園を抜け、少し高台になっている城壁の近くの道を北に向かって歩いた。アントニオさんは道行く人たちに挨拶をしながら歩き、たまに「警察署はこの近く?」と聞いていた。
 アルベルゲを出発してから20分くらいで警察署に到着。警察署は城壁で囲まれた旧市街地を少し外れた一番北側にあった。停車しているパトカーには「グアルディア・シビル」と書かれていた。日本語だと「市民警察」といったところだろうか。
 警察署の中に入ってみると、警察官を除くと僕たち以外には誰もいなかった。しばらくするとガタイのいい警察官が奥の部屋から現れ、カウンターの前に座った。僕とアントニオさんはそれに向かい合う形で隣同士に座った。僕は「500ユーロ盗まれました」と書かれた紙を警察官に見せ、アントニオさんが補足する形で状況を説明してくれた。警察官はそれを聞いてパソコンに入力していた。
 警察官は一通り入力が終わると、アントニオさんに対してスペイン語で説明を始めた。僕は会話の内容がさっぱりわからなかったが、警察官が「ラピド、ラピド(速い)」と言うのに対して、アントニオさんが「クラーロ、クラーロ」と相槌を打っていたのだけは理解できた。「クラーロ」というのは「はい」の丁寧語なのだろうか。
 後で知ったことだが、「クラーロ(claro)」には「明確な」とか「はっきりとした」といった意味があるらしい。英語だと「clear」のことだ。相槌で使われると「確かに」とか「もっとも」とかが近いのかもしれない。
 その後警察官はパソコンで入力していたデータを印刷し、調書を作ってくれた。僕はそれに署名をすると、警察官がそれを見て何事かスペイン語でつぶやいていた。彼の口調からすると、「よくこんな難しい文字が書けるな」とか言っていたのだろうか。
 僕は調書のコピーをもらい、二人でアルベルゲに帰路に着いた。アントニオさんによると、アルベルゲの朝はたくさんの人がばたばたと速く出入りするので、犯人を捕まえるのは難しいだろうとのことだった。でも警察にこのことを伝えてくれたのはとても助かるとのこと。同じような事件が起こったときに調べやすくなるからだ。
 僕は少しがっかりしたが、このときは「もう仕方ないかな」という気になっていた。もしかしたらこのトラブルも僕にとっては必要なことだったのかもしれない。そう考えると少しはこの出来事も自分の中で受け入れられるようになってきた。この後もたびたび強い後悔の念に襲われることはあったけれど、その頻度は徐々に減っていった。
 アントニオさんは途中で街路樹に立小便をしながら(アルベルゲに戻るまで我慢できないのか・・・)、行きと同じように二人でぶらぶらとアルベルゲに戻った。
 その後、別のオスピタレロが「小額だけどお金をあげる」と言って奥に引っ込んでいった。でもお金の管理は厳しかったようで、しばらくすると「やっぱり無理だ」と言って戻ってきた。僕は彼にお礼を言って、今日も毛布だけ借りた。
 万が一警察から連絡が来るかもしれないので、携帯の電源は今まで必要なとき以外は省エネのために切っていたが、しばらくは電源を入れっぱなしにしておくことにした。
 22:00頃就寝。

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