5月22日(木) マンシージャ・デ・ラス・ムラス~レオン(18.6km)

マンシージャ・デ・ラス・ムラス~レオン
マンシージャ・デ・ラス・ムラス~レオン

 朝6:00起床。昨日アレックスさんに作ってもらったスープがまだ冷蔵庫に残っていたので、朝食にそれを暖めて食べた。
 アレックスさんはお別れの挨拶をしたかったらしく、昨日「いつも7:30に起きるので、明日は早く起きよう」と言ってくれていた。しかし7:30頃まで待ってみても彼の姿を見つけることが出来なかったので、冷たいようだけど僕は「昨日のうちに挨拶を言ったから、これ以上は言わなくてもいいかな」と思って出発することにした。せめて伝言を残しておきたかったけれど。
 昨日まで降っていた雨は止んでいた。アルベルゲを出ると、灰色の雲で覆われた西の空に虹がかかっていた。思わず足を止めて見入ってしまった。しかしそれは2~3分で消えてしまった。おそらく出発のタイミングがこれより遅かったら見ることが出来なかっただろう。それはまるで僕に向けて「おめでとう!」と言ってくれたようで、何かこの先いい事が起こるかも、と思った。

虹
空はわずかな晴れ間
空はわずかな晴れ間

 それからエスラ川にかかる橋を渡って町を出て、レオンという大きな街に向けて進む。巡礼路は国道601号線に沿う形で西に向かう。レオンまでは18.6kmと距離は短いが、まだ体調がちゃんと回復していないため、今日はあまり長く歩けそうもなかった。かえってこのくらいの距離のほうがちょうど良かったのかもしれない。
 出発したときは東の空には晴れ間が出ていたが、その後空は灰色の雲に覆われ、雨が降り出してしまった。少し肌寒くなったので、道沿いにある建物の屋根のひさしの下でリュックからウインドブレーカーを取り出して着込む。
 体調はまだ完全に良くなっていなかった。足元は少しふらつき、体も少し重く、だるく感じた。ただし歩けなくなるほどではなかったのが幸いだった。

小さな十字架とバラの花束
小さな十字架とバラの花束
橋を渡る
橋を渡る

  1時間半ほど歩いくと、国道沿いのビジャレンテという町に到着した。暖かいものが飲みたかったので、一軒のバルに入って休憩をする。そこでカフェ・コン・レチェを飲むが、牛乳は胃に良くなかったらしく、バルを出て歩き始めると少し気持ち悪くなってしまった。
 その後は雨が止んで、晴れたり曇ったりの繰り返しだった。

鶏たちが放し飼いされていた
鶏たちが放し飼いされていた
水道のあるベンチで一休み
水道のあるベンチで一休み
教会の上にコウノトリの巣
教会の上にコウノトリの巣
振り返ってみた
振り返ってみた

 レオンの街の手前に、歩道橋で高速道路を横切る箇所があった。その上から眺めると、レオンの市街地が一望できた。高速道路の車の交通量も多く、大都市だということを実感させられる。
 それから緩やかな坂を下って、レオンの市街地へ。街の中で日本料理店を発見する。どうやら寿司の専門店のようだ。でも何で名前は「レストラン・バル・北京」なんだろう?やっぱり東アジア文化はヨーロッパ人にとってごっちゃになる運命なのだろうか。

レオンの市街地を一望する
レオンの市街地を一望する
レストラン・バル・北京
レストラン・バル・北京
市街地の中を歩く
市街地の中を歩く
旧市街地を取り囲む城壁
旧市街地を取り囲む城壁

 城壁を越えて、レオンの中心部である旧市街地の中に入っていく。公営のアルベルゲは巡礼路から少し右のほうに入った広場の近くにある。場所が若干わかりにくく、ずっと先のほうへ行ってから引き返してしまった。
 この街のアルベルゲはベッドが132床もある非常に大きな施設だ。しかしブルゴスと同じく、泊まる人が多い大都市のアルベルゲでは行列が出来るのがお約束で、ここでも二階の受付に入るための外付けの階段には、巡礼者たちの列が出来ていた。
 そこでしばらく待機して、12:30頃ようやくチェックインできた。一泊5ユーロ。夕食は出なかったが、朝食は寄付をすればとることができるらしい。受付には門限や消灯時間が書かれたタイムテーブルがあった。数ヶ国語の中に混ざって日本語の書き込みもあったので、メモ代わりに写真を撮った。

タイムテーブル
タイムテーブル

 その後お腹が空いたので昼食をとることにした。ここのアルベルゲにはキッチンはあるが、火を使えないので、医者にもらった「注意書き」に載っているような食材を用意するのはなかなか難しかった。結局スーパーで買ったパンを食べたけれど、まだあまり体が受け付けないようで、いつものようにたくさんは食べられなかった。
 その後シャワーを浴び、洗濯をして、一眠りする。
 16:00頃からアルベルゲを出て街の中を歩くことにした。僕にはこのレオンの街で手に入れておきたいものが二つあった。一つはカメラを入れるケース。これは日本から持ってきていたが、歩いている途中にウエストポーチのベルトに取り付けるボタンが壊れてしまっていたので、新しいものを探していた。もう一つは日記を書く手帳。これも日本から持ってきていたものの、思ったより日記に書くことが多く、すでに手持ちの手帳の残りページが少なくなってしまっていたためだ。
 アルベルゲを出て巡礼路をカテドラル方向に歩いていると、道沿いに一軒の雑貨屋さんを発見したので入ってみる。
 手帳は入り口からすぐのところにあったので、簡単に見つけることが出来た。ついでにペンも二本買うことにした。しかしカメラケースはなかなか見つからなかったので、男性の店員に聞いてみた。彼は売り場を教えてくれたが、実際に商品を見てみるとどれも硬いケースのものばかりで、前と同じようにウエストポーチのベルトに取り付けるような使い方をするのは難しかった。
 さらに店内をいろいろ探してみると、バッグのコーナーに手ごろな大きさのケースがあるのを見つけた。それはベルトに通すような使い方も出来るので購入することにした。値段は2.5ユーロ。ちょっと安すぎないか不安だったけれど。後の話になるが、やはりこのとき買ったカメラケースはあまり品質の良いものではなく、しばらく使い続けていると縫い目がほつれてきてしまう代物だった。ないよりはましだった、という程度だろうか。
 買ったものをレジに持っていって清算すると、レジの若い男性の店員が渡してくれたおつりは1ユーロ足りなかった。そのことを指摘すると、店員は明らかに不機嫌そうに不足分のおつりを僕に渡した。僕は少しむっとしたが、よく考えてみると日本のコンビニなどの店員の対応が丁寧すぎるのかもしれない・・・と思ったけれど、やっぱり悪いのは相手のほうだ。
 必要なものはそろったので、この後はレオンの街の観光だ。まず街の中心的な存在であるカテドラルに向かうことにした。レオンの旧市街地は南北方向に細長い形をしており、アルベルゲは南の端にあるため、北に向かって歩いた。
 歩いている途中、いきなり空が真っ暗になったと思ったら、ばらばらとBB弾ほどの白いものが降り出してきた。何とそれは雹だった。僕は慌てて店の軒下に入り、雨宿りをする。雹はものの10分くらいでさっと止み、何事もなかったようにまた青空が現れた。スペインの天気が変わりやすいのは実感していたが、まさかここまでのことが起こるとは思わなかった。

雹の降った後
雹の降った後

 カテドラルに向かう途中には広場があり、ここにはガウディの設計した建物がある。彼はサグラダ・ファミリアをはじめとして、主にバルセロナを中心に建築物を残しているが、彼の建築物の一部は巡礼路上の街にも点在している。そのうちの一つがこの建物だ。現在は銀行として使われているので、特別に用がない限りは中に入ることは出来ない。実際にこの目で見てみると、確かにガウディらしい独特の風貌をした建物だったが、それほど感激するほどでもなかった。銀行の前にはガウディがベンチに座ってスケッチしている像があった。

ガウディの設計した銀行
ガウディの設計した銀行
銀行の前に置かれていたガウディ像
銀行の前に置かれていたガウディ像

 そしていよいよカテドラルの前に到着!大都市のそれはやはり大きくて圧倒される。ブルゴスのも大きかったがこちらもそれに引けをとらない。でもこちらはブルゴスと違って世界遺産ではないようだ。
 このカテドラルは13世紀に着工されたもので、最終的に完成したのは15世紀である。ゴシック様式の建物で、特に延べ1800平方メートルにも及ぶステンドグラスが有名だ。建設にかかわる人は、免罪や税金の免除など、数々の特権が与えられたと言われている。

カテドラル
カテドラル
入り口
入り口

 入り口で入場料の5ユーロを払い、チケットと一緒に携帯電話のような形の機械を渡される。使ってみると電話口から観光案内のアナウンスが流れていたが、肝心の英語はあまり聞き取れなかったし、こういった機械に頼らなくても自分の目で見れば十分だと思ったので、結局ほとんど使わなかった。
 中に入ってみると、まず目に飛び込んできたのは数々のステンドグラスだった。そのどれも細かい装飾がなされ、とてもカラフルだった。僕はその膨大な量に圧倒されてしまった。正面の祭壇の前には腰をかけられる椅子があり、そこからぐるりとステンドグラスが一望できたので、しばし時を忘れて見入ってしまう。体調が悪いのも忘れてしまっていた。ただし観光地化されているので人が多く、若干俗っぽさがあったのが残念だった。

正面の祭壇の前
正面の祭壇の前
正面のステンドグラス
正面のステンドグラス
これはすごい
これはすごい
細かいなぁ…
細かいなぁ…

 教会を出てみると、広場の前では子供たちがサッカーをしていた。
 さて、お腹が空いてきたので夕食にしようと思ったが、どうしようか迷う。アルベルゲにはキッチンはあるけれど火を使えないので、外食するしかないんだろうな、と思う。しかし胃腸によさそうなメニューを出している店はあるんだろうか。カテドラルまで来た道を行きつ戻りつしてレストランを探していると、その中の一軒に「スープ、ガーリックチキン」とのメニューが出ていた。僕はアレックスさんに鶏肉を焼いてもらった料理を作ってもらったことを思い出し、これなら大丈夫かなと思って、店に入りそのメニューを注文してみた。
 しかしその考えは安易だった。一皿目に出されたスープはマグマのように真っ赤で脂っこく、二皿目の鶏肉も同様にガーリックが利いて脂っこかった。途中で気持ち悪くなってギブアップ。結局鶏肉を半分残してしまった。デザートはいらないと店員に伝え、10ユーロ払って店を出る。

夕食のスープ
夕食のスープ

 歩いていると胃の辺りがむかむかした。そして店を出てからアルベルゲに戻るまで、ものすごい後悔の念に襲われてしまった。
 昨日アレックスさんはあれだけ僕に対して、「米、鶏肉を食べなさい。脂っこいものやスパイシーなものは食べるな」と言ってくれたのに。仕方なかったとはいえ、彼の言ったことを裏切ってしまったとの思いで一杯になってしまう。自分は愚かだった。これでまた体調が悪くなっても、それは僕自身のせいなのだろう。そんな自分に腹が立って仕方なかった。それなのに、そこにはまだ誰かに責任を転嫁したい気持ちがあった。
 その後少し心を落ち着けようと思って、アルベルゲの近くの教会のミサに参加してみた。そこにはほとんど参加者はおらず、教会の中はがらがらだった。しかし教会の長いすに座っているうちにますます心がざわざわしてきたので、途中で退席してしまった。ここの教会では賛美歌をギターの伴奏で歌っていたので、珍しいものを見ることはできたけれど。
 その後バルで明日の間食のバナナを購入。アルベルゲに戻り、今後の計画を立てたけれどうまくまとまらなかった。とりあえず明日の朝にアルベルゲの前の広場で一枚絵を描こうと決めた。夕食のせいもあってか、「今日はだめな一日だったな」という気分になってしまった。とりあえず今日は寝てしまえば、明日は少し気分は良くなっているかもしれない。
 22:00就寝。

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