朝起きると喉は痛くなくなり、熱っぽさもだいぶ引いていたが、まだ体がだるいので今日もまたもう一日休むことにした。オスピタレロにそのことを伝え、また部屋に戻って休む。
部屋の隅で寝ていると丸顔メガネのオスピタレロの人が掃除しに来た。彼に「見たところ昨日より体調が良さそうなので、君も掃除をやってくれ」と言われたので、僕も掃除をすることになった。僕が寝ている二階と三階の部屋でモップをかけて掃除。まあ休ませてもらっているわけだし、このくらいのことはやらなくちゃね。
その後僕が休んでいると、さっきのオスピタレロがやってきて、僕に対していろいろ指示を始めた。
「今から車で隣町のベロラードに買い物に出かけてくる。ここには君を除いて誰もいなくなってしまうので、その間アルベルゲの鍵を閉めておくが、我々が出かけている途中でパンの販売の車が来るので、クラクションが鳴ったら中から鍵を開けて7本パンを買ってくれ。お金は渡しておくから。その後我々が帰ってきたら鍵を開けてくれ。だから寝ている場所は二階ではなく、すぐ対応できるように一階のロビーのソファで寝てくれ」とのこと。
彼は重要なことをもう一度繰り返し、それが済むと二人のオスピタレロは車でさっさと行ってしまった。
僕はしんとしたアルベルゲに一人で取り残される。僕はロビーのソファに横になりながら、頭の中で彼に言われたことを何度も復唱していた。しかし彼らは僕のことを信用してくれたのだろうか。「どこの馬の骨だかわからない日本人に留守を任せてしまっていいのか?」とか、「貴重品を盗まれるかもしれないとか考えないのだろうか?」とかいろいろ疑問が浮かんだが、今は僕がこのアルベルゲをちゃんと守らないと。
ロビーのソファは直射日光が当たるのと、いつパン販売の人が来るかわからなかったので、おちおち寝ていられなかった。一時間ほどたつと、ブーッというクラクションととともにワゴン車が販売に来た。僕は玄関の鍵を開け、言われた通りにパンを7本買ってお釣りを受け取る。さらに一時間ほどたつとオスピタレロが戻ってきて、窓をノックしたので鍵を開ける。僕が購入してキッチンにおいてあったパンを見せると、彼はお礼を言ってくれた。
昨日のようにお昼を作ってもらえなかったので、外に出かけてバルでボカティージョを食べる。その後はまた薬を飲んで横になっていた。しかしもう二日間ずっと寝ていたので、あまり眠ることができなかった。日本から持ってきていた風邪薬が残り少なくなってきた。どこかで買わないと。
さて、ここのアルベルゲには二つのトイレがあり、そこの扉にはそれぞれ「peregrino(ペレグリーノ)」と「peregrina(ペレグリーナ)」と書かれていた。最初はオスピタレロの人に案内された前者のほうを使っていたが、後者との違いがわからず、洗面台が混雑していたので「こっちでもいいかな」と思って「ペレグリーナ」のほうを利用したら、女性に注意された。彼女によると、どうやら「ペレグリーノ」が男性用、「ペレグリーナ」が女性用であるらしい。
そのことを知った僕は猛烈に恥ずかしくなった。「せめて扉にイラストを載せるか、文字の色を変えてもらえれば・・・」と思ったが、なぜトイレが二つに分かれているのか考えれば一目瞭然だし、よく注意していれば男性と女性でトイレの構造自体が違うのは明らかだった。自分の考えの浅さがいやになってしまう。
ちなみに「ペレグリーノ」はスペイン語で「巡礼者」という意味だ。この単語単体では男性と女性にどちらに使ってもOKだが、「ペレグリーナ」になると女性の巡礼者という意味になる。スペイン語は基本的に最後が「O」で終わると男性名詞、「A」で終わると女性名詞になる(一部例外あり)。例えば「ニーニョ」が男の子(もしくは子供全般)、「ニーニャ」が女の子といった具合だ。余談ではあるが、これに定冠詞が付くと「エル・ニーニョ」「ラ・ニーニャ」という日本でもおなじみの気象現象の言葉になる。
ともあれ、当時はそんなことを知らなかったのだから仕方がない。
夕方からは体調も良くなってきたし、眠れなかったので、えいやっと寝床から起きて近くの教会のツアーに参加してみることにした。参加者はアルベルゲの前の道路を渡った広場に集まっていた。総勢20人ほどだろうか。二日休んでしまったのでこの中に知っている顔はいなかった。
しばらくそこで待機していると、老夫婦が道の向こうから歩いてきた。どうやら彼らがガイド役のようだ。教会はそこから山道を10分くらい登った先にあった。西日がきついので途中ふらっとしたが、充分歩けそうだった。
教会は「ビルヘン・デ・ラ・ペーニャ」という名前だ。直訳すると「岩の処女」で、ここでの処女は聖母マリアのことを指す。その名の通り、この教会は岩壁の中に掘られている。入る前にガイド役の夫人から説明があり、教会の中ではカメラ撮影は禁止ということと、私語を慎むようにとのことを告げられた。
教会の中に足を踏み入れると、中はひんやりしていて気持ちいい。少し日常とは隔絶された空間にいるようだった。正面にはマリア像が掲げられていた。それからガイドの老人の女性がいろいろと説明してくれたけれど、スペイン語だったでよくわからなかった。その内容を受けて英語で通訳した巡礼者もいたが、その内容も残念ながらあまり理解できなかった。
その後山道を下り、アルベルゲに戻る。料理の時間になったのでキッチンに行くと、一人の若い女性が料理を作ろうとしていたので、僕が「オスピタレロの人に何か言われたんですか?」と聞くと、彼女は「わからないわ・・・チェックインのときに料理を作れと言われたから」と言っていた。僕は「それじゃ一緒にオスピタレロに聞きに行きましょう」と提案をし、中庭で休んでいたメガネのオスピタレロに声をかけると、彼は「あと15分待ってくれ、そうしたら行くから」と言ったので、僕たちは了解する。
その後オスピタレロもキッチンに戻ってきてみんなで料理を作り、ダイニングに運んでいって食事をする。メニューはいつもの通りパスタとサラダだったが、昨日よりおいしく感じられた。
夕食の席で、やたら元気なおばちゃんに「以前日本人に会って、食事の前に何か言っていたけれど、あの言葉は何でしたっけ・・・」と聞かれたので「いただきます、かな?」と僕が教えると「ああ、それそれ!イタダキマス!」と胸の前で手をあわせるしぐさをした。どうやらその言葉がとても気に入っていたらしい。名前を教えてもらうのを忘れたので、僕は勝手に「イタダキマスのおばちゃん」と心の中で呼ぶことにした。
おばちゃんは日本語の「ありがとう」という言葉は知っていた。「ユア・ウェルカムは?」と聞かれたので、「どういたしまして」と答える。おばちゃんは「アリガト、ドウイタシマシテ」と何度も言っていた。
しかしこれを書いている今、考えてみると「どういたしまして」という言葉は日本の日常会話ではあまり使わないことに気づく。実際に使おうとすると、僕は多少わざとらしさを感じてしまうからだ。果たして「ユア・ウェルカム」を「どういたしまして」と訳してもいいのだろうか、と思った。
僕の隣にはイタリアから来たエマヌエレさんという若い男性が座っていて、いろいろ話をした。彼は今ギターを弾く練習をしているらしい。僕が「10代の頃にクラシックギターを習っていたが、今はやめてしまっている」ということを伝えると、彼は「今からでもまた始めたら?」と言ってくれた。
近くに座っていた女性に「日本人の女の子と会った」ということを聞く。名前はチカさんで、韓国の女の子と一緒に歩いているらしい。「彼女はとてもかわいいわ」と言っていた。僕はまだ会ったことはなかったが、もしかしたらどこかで会えるかもしれない。
夕食後は今日も片付けをする。今日は皿洗いをする人が数人いたので、僕は綺麗になった食器を片付けるだけでよかった。洗い物をしているおじさんはとてもハイテンションで、なぜそこまで楽しそうなのか疑問だった。「まだでかいヤツ(大鍋のこと)が一個残ってるぜ!」とか。最後には食器を拭いていた女性とハイタッチをしていた。
22:00頃就寝。昼間寝ていたので眠れないかと思ったが、ぐっすり眠ることができた。