6:00少し前に起床。朝食をとる。
朝7:00出発。今日は余裕があればアソフラという町まで行くつもりだったが、まだはっきりと決めていなかったので、とりあえず歩きながら考えることにした。今日もいつもと同じようにまたワイン畑や麦畑の中の田舎道を歩く。歩いていると背後から朝日が差してきて、とても綺麗だった。しかし今日はなぜかいつもよりさらに荷物が重く感じられた。これは何とかならないのだろうか。
8:30頃ベントサという町で休憩。町の中心の教会に立ち寄り、近くでバナナと朝の残りのパンを食べる。それから町のバルに立ち寄り、トイレを借りる。バルにはカウンターにいくつかの菓子パンが置かれていたので、そのうちの一つを買った。
ふと店内のテレビを見ていると、テレビでは東京の映像が流れていた。驚いたことに日本の首都圏で地震があったらしい。しかし具体的にどのくらいの大きさの地震だったのかわからなかったので、少し心配になった。僕はすぐに母親にそのことについてメールを打った。たいしたことがないといいのだけど(返信されたメールによると、日本では明け方に起こったらしく、東京で最大震度5弱の地震だった)。
バルを出発してからしばらく歩くと、途中で若い女性に追いついたので、少し話をした。彼女は韓国から来たらしく、今日はナヘラまで行く予定だそうだ。多くの韓国の人はグループを作って歩いている印象があったので、一人で歩いている人は珍しい気がする。僕のほうが歩くのが早いのですぐ追い抜いてしまったが、頻繁に休憩をしているため、僕は結局3回も彼女を追い抜くことになってしまった。
長い間荷物を背負っていると肩が痛くなってしまうため、時々リュックを地面に下ろして腕をぐるぐる回したり、伸びや屈伸などのストレッチをする。それを見た通りかかった巡礼者の男性が「いいアイデア!」と言ってくれた。
途中公園に立ち寄り、ベンチに座って先ほどバルで買った菓子パンを食べる。パンはチョコとクリームとザラメ砂糖の三連コンボで、非常に甘ったるかった。そういえばカミーノに来る前に虫歯を放置していたことを思い出す。出発の一週間前に検査のために歯医者に行ったら、「虫歯がありますね」と言われたけれど、なぜかそこでは治してくれなかったのだ。それは歯医者が「中途半端に治すくらいなら、そのままにしておいたほうがいい」と考えたからかもしれない。今後悪化しなければいいんだけれど。
今日は快晴で暑く、日に焼けそうだった。公園の近くには小川が流れていたので、手をその流れに入れてみるとひんやりとして気持ちよかった。
それからしばらく歩くと、11:00過ぎにナヘラの町に到着した。ここは人口8000人ほどの町で、ナバラ王国の首都として栄えた時期もあったらしい。
またお腹が空いてきたので、町の入り口のバルでボカティージョを頼んだ。今日はさっきから食べてばかりだなぁと思う。ボカティージョはベーコンとチーズをはさんだものだった。値段は思ったより高く、水も含めると5.5ユーロかかってしまった。
会計のときに女性の店員に「スタンプを押す?」と言われた。僕は最初何のことかわからなかったが、どうやらここではクレデンシャルにスタンプを押してくれるらしい。僕はスタンプが増えるのは楽しいし、記念にもなるかもと思ってお願いした。
ナヘラにはサンタ・マリア修道院という建物がある。回廊が美しいと聞いていたのでぜひ中を見たかったけれど、時間のせいか閉まっており入れなかった。
町の中心にはナヘリージャという川が流れており、河川敷は一面芝生で木陰のベンチもある。今日のように日差しが強い時には、砂漠のオアシスのようにとてもリラックスできるところだった。しかし今日はもう少し先に進みたかったので、そこではスケッチせず、5.8km先のアソフラという町を目指すことにした。
ナヘラの町を出るときにカミーノを示す黄色い矢印が見当たらなくなったので、道を間違えたかと思って地元の人に聞く。やっぱり間違えていたらしく、来た道をしばらく戻ることになってしまった。間違えた分岐点には確かに黄色い矢印が描かれていたが、小さかったので見落としてしまったようだ。
町を抜けると乾燥した山道になって、車が通るとほこりが舞った。特に今日は日差しが強かったため、少しうんざりしたような気分になった。途中で羊の大群とすれ違ったが、巡礼者はほとんど歩いていない。今日は多くの巡礼者はナヘラに泊まるからなのかもしれない。
それからしばらく歩いて、アソフラのアルベルゲに着いたのが13:40頃。中庭にはプールがあり、とても涼しげだった。ロビーでチェックイン。シャワーを浴び、洗濯を済ませる。
ここのアルベルゲは最大60人宿泊することができる施設だ。部屋は30個あり、一室にベッドが二つずつという、普通のアルベルゲに比べるとなかなかリッチなつくりになっている。僕のあてがわれた部屋に行ってみると、そこにはすでにおじさんがもう一つのベッドに腰掛けていた。彼はトーハさんという名前で、ドイツから来たらしい。少し太っていたけれどやたらテンションが高い人で、僕に対してとてもフレンドリーに接してくれた。
一眠りした後、町の中に出かける。アソフラは人口500人ほどの小さな町で、すぐに町内をぐるりと見て回ることができた。アルベルゲの裏手は畑が広がっており、遠くにはポプラの木が生えているのが見えた。草むらにはパンプローナの先で会ったロバがつながれていたが、一緒に旅をしている巡礼者は見当たらなかった。
僕はその周囲をうろうろしながら、「どこかスケッチできる場所がないかなぁ」と思って探してみたけれど、どこもいまひとつだった。仕方がないのでアルベルゲに戻る。
まだ時間が余っていたので、ダイニングで写真を見ながらまだ色を塗っていなかったエウナテの聖墳墓教会のスケッチの続きを描く。そうしていると、丸顔で肌色の濃い男性が、「いいね!」と言ってくれてうれしくなった。
それから今日も自炊をしようと思い、近くの商店で夕食と朝食を買う。アルベルゲに戻り、料理を開始する。買ってきたズッキーニとネギを炒め、その中にトマトソースを入れて加熱。昨日残していたパスタをゆでてお皿に盛り付けて、最後にトマトソースをその上にかけて完成。
昨日より手間をかけて作ったが、残念ながら味は依然としておいしくなかった。しかも昨日と同じように、パスタを多くゆですぎてしまったので、とても量が多かった。そのため途中で気持ち悪くなってしまったが、「残すのはもったいない!」という精神で無理やり全部食べた。パスタをゆでるとどのくらいかさが増えるのか、まだ良くわかっていないようだ。次からパスタの量を減らしてみよう。
食堂では何人か食事をしていたので、声をかけてその中に入れてもらった。そこには僕を含めて5人の巡礼者たちがいた。そのうちの二人は親子で、父親がシートさん、息子がミゲルさんという名前だった。先ほど絵を描いているときに声をかけてくれたのがミゲルさんだった。シートさんはフィリピン出身で、若い頃にカナダに移り住み、その後ミゲルさんが産まれたらしい。確かに彼らは英語を話していたが、アジア系の顔つきをしており、二人とも肌は健康的に日に焼けていた。
後の二人はフランスから来ていた高齢の女性で、一人の方はフランソワーズさん。もう一人の名前は忘れてしまった(ごめんなさい!)。彼女たちは箱入りのクッキーを僕に勧めてくれたが、さすがにこれ以上お腹に入らなかったのでお断りしてしまった。
彼ら四人が食べていた料理はミゲルさんが作っていたもので、僕も少し味見させてもらった。鳥や野菜をカレー風味に煮込んだもので、とてもおいしかった。どうやったらこんなにおいしく料理を作れるんだろう。やはり付け焼刃的ではなく、長年の経験が必要なのだろうか。シートさんもそれを感じていたらしく、「息子を連れてきて正解だったよ」と言っていた。
ミゲルさんは僕の目からすると若く見えたが、実際には僕よりもずっと年上だった。その年齢を聞いたフランス人の女性が「アジア人は若く見える」と言うと、ミゲルさんはそうでもないですよと言ったようにバンダナを取って、髪の毛が少なくなっていることをアピールしていた。
シートさんはお酒が入ると饒舌になる人で、よくしゃべっていた。彼はカナダで教師をしていたが、現在は引退してこの旅に出たようだ。彼はコップに水を注いで、「今までの仕事は水がコップの中に一杯に入った状態だった。新しいことを始めるならば、まだコップの中には少ししか水が入っていない。だからこれからたくさんの水を入れることが出来る」と説明していた。
ミゲルさんは子供向けの漫画を描く仕事をしていたが、つまらなくなってしまったようだ。「父親が何を求めてここに来ていたのか、自分も一緒についていけばそれがわかるかもしれない」と言っていた。
またシートさんによると、ここからまだずっと先ではあるが、アストルガという町の先に鉄の十字架があり、そこでは巡礼者たちが願い事を込めた石を置いて祈りを捧げるのだという。シートさんは友人や知人たちに願い事を書いてもらい、その石を持ってきているそうだ。彼は「だからリュックが重いんだ、でもその分鍛えられて強くなれる」と話していた。そのポジティブ思考が僕にはうらやましかった。
その後、これまで通ってきた道でどこが大変だったかという話になる。やっぱりみんな一日目はナポレオンの道を歩いていたらしい。二人のフランス人はオリソンに泊まったと言っていた。シートさんは一ヶ月前に予約しようと電話したが、そのときはもうすでに予約で一杯だったようだ。「英語じゃだめだったんだ、フランス語だから予約が取れたんだよ」とうらやましがっていた。
その後はなぜかみんなで歌って盛り上がる。シートさんとミゲルさんは「聖者の行進」を歌っていた。
シートさんに「何か日本の歌を歌って!」と言われたので、僕は「津軽海峡・冬景色」を歌った。父親がカラオケでよく歌っていたので、すっかり覚えてしまった歌なのだが、なぜか最近歩いているときによく脳内のBGMでかかっていたからだ。「♪ああぁあぁあ~↑」とこぶしを利かせるところで一同受けていた。すっかり楽しい気分になってしまって、いつまでも喋っていたい気分になった。あっという間に時間が過ぎてしまって、寝るのがもったいなかった。
片づけをして、22:00頃就寝。