5月4日(日) ログローニョ~ナバレッテ(12.7km)

ログローニョ~ナバレッテ
ログローニョ~ナバレッテ

   朝5:30に起きて朝食をとり、6:30頃アルベルゲを出発。昨日30km近く歩いたので、今日は12.7km先のナバレッテという町まで歩く予定だ。その前にログローニョで一枚スケッチをすることにした。巡礼路を逆方向に歩き、昨日のうちに目星をつけておいたエブロ川のベンチに座って、ログローニョの市街地に入るときに渡ったピエドラ橋を描く。
 思ったよりも寒く、フリースを着た上にウインドブレーカーを上下着込む。今日は日曜だし朝早いので、たまにジョギングしている人が通る程度で、周囲には人がほとんどいなかった。
 描いている途中、いきなり植え込みに設置されていたスプリンクラーが作動して、危うく濡れそうになった。タイマーで自動になっているのかもしれない。僕はベンチからあわてて移動したので、服や荷物がびしょぬれになることは避けられたけど、その間絵が描けなくて困った。実際には10分くらいしかなかったかもしれないけれど、僕にはその時間がとても長く感じられた。
 2時間半ほどかけて、9:30頃に完成した。特に橋の水面の映り込みが良い感じに描けてうれしかった。ちょっぴり自画自賛(文字通り)する。

ピエドラ橋
ピエドラ橋
ピエドラ橋のスケッチ
ピエドラ橋のスケッチ

 少しお腹が空いたので、昨日買っておいたバナナを食べようとしたら真っ黒になっていた。昨日冷蔵庫に入れてしまったのが原因らしい。幸い味は悪くなっていなかったので、そのまま食べてしまった。
 その後トイレに行きたくなったので情報センターに行き、メルカド広場にトイレがあることを教えてもらう。広場で韓国のキムさん夫妻に声をかけられた。彼らとは至るところで会うような気がする。彼らは「これからビルバオに行くんだ」と言っていたけれど、巡礼路から外れるのかな。
 トイレを済ませ、ログローニョの市街地を出てナバレッテの町に向かう。このあたりの巡礼路はとても綺麗に舗装されていた。ログローニョから郊外に向かう道は特に歩きやすく整備されており、地元の人もジョギングやサイクリングに利用している。ほとんど平坦で、歩きやす過ぎて面白くないくらいだった。

巡礼者の像
巡礼者の像
また会いましたね
また会いましたね
木の橋を渡って
木の橋を渡って
歩きやすい道
歩きやすい道

 ここでちょっと感心した壁の絵を発見する。スペインでは壁や公共物には落書きが多く、僕はこの点だけは好きになれない部分だった。しかしその壁の絵は落書きを残したまま、上から灰色の絵の具で塗りつぶしている。残っていた黒い落書きの部分だけが巡礼者の形にくっきり浮かび上がっていた。落書きを全て消して上から新しく絵を描くのではなく、元の落書きを生かして新しい絵を作るという発想がすごいなと思った。

巡礼者たちが描かれている壁の絵
巡礼者たちが描かれている壁の絵
詳細
詳細

 しばらく行くとグラヘラという大きな人口貯水湖があり、その周りはキャンプ場や公園になっていた。巡礼路はその中を突っ切っていく。日本だと白樺湖のような雰囲気に近いのかもしれない。今日は晴天の日曜日なので人出が多く、のどかな雰囲気だ。湖には魚や白鳥も泳いでいて、家族連れの人たちが餌をあげていた。
 12:00頃キャンプ場の近くのベンチで昼食。昨日買っておいたパンを食べる。しかし水とパンだけでは物足りなかった。せめてジャムとか蜂蜜とかがあればなぁ。ベンチの近くにステージがあり、食べているときもコンサートの演奏とボーカルの声が聞こえてきた。

白鳥
白鳥
餌をやる人たち
餌をやる人たち
湖畔のほとりを歩く
湖畔のほとりを歩く
この登りが結構きつい
この登りが結構きつい

 その後公園の中の道を進み、そこから出た後はアスファルトの登りになる。だんだん暑くなってきたので、長袖のTシャツ一枚になった。右手は高速道路が巡礼路に平行して伸びている。このあたりの巡礼路は自転車用のコースにもなっているらしく、自転車の人とよくすれ違う。
 登りのピークを越えたあたりから、高速道路沿いのフェンスに小枝で作られた十字架がてんこもりに飾られているのを見る。数キロ先までずらっと並んでいるのはちょっと不気味なくらいだ。おそらく誰かがここに十字架を飾り、それを見た巡礼者たちがどんどん付け足していったのではないだろうか。
 下り終えたところに大きな真っ黒い雄牛の看板があった。レストランの看板だろうか、と思った。

フェンスに飾られた十字架
フェンスに飾られた十字架
雄牛の看板
雄牛の看板

ナバレッテの町の入り口には、過去に巡礼者の救護院に使われたサン・フアン・デ・アクレの建物の跡があった。こちらの建物は1185年に創設され、門は現在はナバレッテの墓地の門に移設されているそうだ。

ナバレッテの町が見えてきた
ナバレッテの町が見えてきた
巡礼者の救護院跡
巡礼者の救護院跡

 そのまま巡礼路を進むとナバレッテの町に到着した。アルベルゲに着いたのが13:40頃。チェックインのときに、オスピタレロのおじさんは僕にナバレッテの地図を渡して、町の解説をしてくれた。おじさん曰く、「教会の近くには町を一望できる小高い丘がある公園がある。夕方の18:00に行くのがお勧めだから、ぜひ見に行ってほしい」とのこと。その時間だと特に街が美しく見えるのだろうか。
 それからシャワーを浴び、洗濯をする。ここのアルベルゲには洗い場がなかったので洗面台で洗濯をした。こんなに綺麗に掃除されているところなのに、汚い衣服を洗ってしまっていいのだろうか、となんだか申し訳ないような気持ちになった。
 一眠りした後、17:00頃からアルベルゲを出て町の中を散歩する。今日は日曜なので店がほとんど閉まっており、商店も閉店中だった。僕が店の中を覗き込んでいると、塀の上の道路から店員らしき女性がスペイン語で何か話しかけてくれた。でも僕はその内容がわからなかった。もしかしたら今日はずっと閉まっているのかもしれない。
 それから町の教会に立ち寄ってみた。教会には展示室があり、司教さんが使う衣装や、扇子などのオリエンタルな小物が展示されていた。

町の中の彫刻
町の中の彫刻
教会の中で展示されていた服
教会の中で展示されていた服

 一通り教会を見た後、階段を登りオスピタレロのおじさんのお勧めである丘の公園に行ってみた。丘の頂上には貯水槽があり、その周囲にはベンチが配置されていた。貯水槽の周りは芝生になっており、数人の若者たちがそこに座って話をしていた。
 確かにここからの景色は良く、場所を移すと360度ぐるりと見渡すことができた。赤い屋根が連なっているナバレッテの町も見える。日陰がないので西日がきつい。帽子がほしいなぁ。
 しかしオスピタレロのおじさんがお勧めしていたほど特別に美しいとも思わなかった。僕は少しがっかりして、見晴らしのいいベンチに腰掛けていると、なんだかブルーな気持ちになってしまった。そうすると、ふとこんな考えが頭に浮かんできた。
 「巡礼路では黄色い矢印が導いてくれるので、それに沿っていけば迷うことはない。しかし日本に帰ったらそんなものは存在しないので、僕自身で人生の黄色い矢印を見つけないといけない。果たして僕にそれが出来るんだろうか。日本に戻ったらまた迷い始めるんじゃないか。そもそも自分の進むべき道って何なのだろう。」
 就職などの現実的な問題は、今ははるか遠くの出来事で気にかけていないけれど、日本に戻ったら嫌でも向き合わなくてはいけないことだった。そんなことを考えていると、僕はますます憂鬱になってしまった。

ナバレッテの町を望む
ナバレッテの町を望む
町とは逆方向の眺め
町とは逆方向の眺め

 そんなことをひとしきり考えた後、アルベルゲに戻ろうとすると、宿のオスピタレロのおじさんとおばさんが数人の巡礼者を引き連れてこの公園に向かってきていた。おじさんは「もう先に来てたんだ」と僕に向かって言った。どうやらチェックインのときにおじさんは一人で見に行くのではなく、みんなで見に行こうということを言っていたらしい。
それからおじさんはガイドのようにこの町のことを話し始めた。
 「スペイン王家はブルボン朝の血を引いている」とか、「自分はフランスのバイヨンヌ出身だが、3つの言葉(フランス語、スペイン語、バスク語)が入り混じっているため、車を運転する時にそれぞれの言葉が書かれているので大変だ」とか、「雄牛はスペインの象徴だ」ということを、英仏スペインの三ヶ国語で解説してくれた。ナバレッテに来る途中に見えた看板はレストランのものではなく、スペインの象徴を表していたようだ。
 丘の上からは市街地だけではなく、ブドウ畑も一望することが出来る。広大なブドウ畑の間には、ぽつぽつとワイン工場が点在しているのも見えた。おじさんによるとこのワイン工場は製造から出荷まで全ての工程をこなしているらしい。
 一通りおじさんの解説が終わった後、みんなで公園を出て町の中に戻る。他の巡礼者たちはそのままレストランに入って夕食をとるようだったが、僕は今日から自炊を始める予定だったので、そこでみんなと別れて商店に向かった。商店に戻ってみるとお店が開いていた。どうやら今日は休業中ではなく、先ほど行った時はシェスタ中だったらしい。先ほどの女性はそれを伝えようとしたようだった。僕はそこで夕食用の食材と明日の朝食を買った。
 アルベルゲに戻って料理を始める。今日作る予定のメニューはトマトソースのパスタだ。これは周りで作っている人が多く、安価かつ手に入りやすいからである。パスタをゆでてトマトソースを温めてその上にかけるだけという、なんともシンプルな料理だ。
 しかし目算を誤ってパスタを多めにゆでてしまった。ひとつのお皿だと入りきらなかったので、二皿に分けて食べる。かなりのボリュームだ。味はまずくはなかったが、それだけしかなかったので一皿目の半分もしないうちに飽きてしまい、最後のほうは食べるのが苦痛になってしまった。他にサラダなどの野菜があればなぁ、と思った。
 しかし外食すると一食10ユーロ前後するのに対して、自炊すると値段は半分以下になる。非常に経済的なので、今度から二日に一度のペースで自炊しようかな、と思った。毎日だと飽きてしまうし。
 料理を作っている他の巡礼者たちを見ると、彼らは何人かで集まって食材を買い、一緒に料理を作って、みんなで各々お皿に取り分けて食べていることが多い。これならバラエティのあるメニューを食べられるし、食事を作る様子を見ていても楽しそうだった。でもなんとなく彼らに「一緒に食事を作りませんか」と聞くのは、心理的な抵抗感もあって、どうしても切り出すことができなかった。
 食堂でドイツの男性と一緒になったので話をする。最近ドイツの人と夕食で話をすることが多いので、なぜか聞いてみると、ドイツではコメディアンの人が書いた本のせいでカミーノがポピュラーなのだとか。でも彼によるとその本はつまらないようだ。
 22:00就寝。

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