さて、僕はなぜこの巡礼路を歩こうとしたのだろう。
その前に、まずはそもそも「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」とは何かということから始めてみようと思う。この巡礼路はスペイン語で「カミーノ・デ・サンティアゴ」と呼ばれている。カミーノとはスペイン語で「道」という意味だ。そのためスペインでカミーノと言えば、ただの「道」という意味だけではなく、この巡礼路のことを指すことも多い。
この巡礼路は1000年以上の歴史を持ち、世界遺産にも登録されている。道自体が世界遺産というのはとても珍しいそうだ（他には日本の熊野古道などが挙げられる）。最近は巡礼者の数が増加し、世界中で多数の関連した書籍も発行されている。日本で例えると、四国のお遍路さんのスペイン版と言えばわかりやすいだろうか。
巡礼路にはさまざまなルートがある。一例では、フランスとスペインの国境付近から西へ向かう「フランス人の道」、スペイン南部のアンダルシア地方から北上する「銀の道」、イベリア半島の北側の海沿いを歩く「北の道」、ポルトガルのリスボンから海沿いを北上する「ポルトガルの道」などが挙げられる。どの道も最終的にはキリスト教三大聖地のひとつである「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」の街で合流する。
スペイン語で「サンティアゴ」は「聖ヤコブ」という意味だ。聖ヤコブとはキリストの12使徒の一人であり、その名を冠したサンティアゴ・デ・コンポステーラのカテドラル（大聖堂）には、彼の遺体が収められている。そのため巡礼路はカトリックの色合いが濃いが、必ずしもクリスチャンである必要はなく、巡礼路は全ての人に開かれている。
歩く理由も人それぞれで、クリスチャンとして信仰を深めたいという人、人生を見つめなおしたいという人、仕事をやめて人生をリセットしたい人、定年退職して自由な時間が持てたので歩いてみることにした人など、さまざまである。
さて、僕自身のことについても触れてみようと思う。僕がこの巡礼路を知ったのは森知子さんという人が書いた「カミーノ！」という本がきっかけだ。会社帰りに訪れた本屋で「旅キャンペーン」というコーナーがあり、ふと手にとって立ち読みしてみると非常に内容が面白かったからだ。僕はその本をさっそく購入し、それからインターネットなどでも巡礼について調べ始める。そして調べれば調べるほど、「行くしかない」という気持ちが心の底からふつふつと沸いてきた。
その頃の自分は設計事務所で機械の設計の仕事をしていたが、仕事はうまくいかず、業務成績も良くならず、常に息苦しさを感じながら毎日を送っていた。あまり詳しく書くと会社の愚痴になってしまうが（そしてある程度は僕自身にも問題はあったことだが）、なんとなく「自分の居場所はここではないんだろうな」という思いを抱えていた。その後いろいろな経緯があり、めでたく（？）四月で仕事をやめることになったので、せっかくのいい機会だし、たまたま30歳という節目の年でもあったので、思い切って行ってみることにした。巡礼に行きたいから仕事をやめたのか、仕事をやめたから巡礼に行くのか、どちらが先かはっきり言えなかったけれど。
しかし改めて「なぜ歩くのか？」と自分に聞いてみても、僕自身上手く答えることはできなかった。あれこれ理由を考えてみても、そのどれもが少し違うような気がしたからだ。もしかしたら頭で考えるような理屈ではなく、直感的に「行きたい」と思ったからなのかもしれない。それだけこのカミーノには強く惹きつけられるものがあったのも事実だ。
さて、僕は巡礼路の中でも一番オーソドックスで巡礼者も多い、「フランス人の道」を歩くことにした。フランス人の道は、フランスとスペインの国境付近の「サン・ジャン・ピエ・ド・ポー」という町から、「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」を目指す、約780ｋｍの行程だ。
さらに予定ではサンティアゴ・デ・コンポステーラに着いた後、別の聖地でもある「ムシア」と「フィステーラ」という町まで歩こうと考えていた。そこまで歩くと合計で約900ｋｍになり、これは直線で東京から博多までの距離だ。
一日に20ｋｍのペースで、45日+予備日1日かけて歩く予定を立てた。標準的なペースが一日に25ｋｍ前後なので、かなり余裕を見た計画だ。これには二つの理由がある。一つは何かトラブルがあったときに、日程に余裕がないと対処できないため。そしてもう一つは、行く先々で風景のスケッチをしようと考えていたためだ。実は旅先でスケッチするというのも、この巡礼路を歩く理由の一つだった。うまく描けるかどうかはわからなかったけれど。
ちなみに体力的な問題はこのときはあまり心配していなかった。なぜなら僕は一年ほど前から登山にはまっており、週末になると近所の山に出かけていたからだ。しかし一ヵ月半もずっと重い荷物を背負って歩けるかどうかは未知数だった。
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