6月3日(火) ポルトマリン~パラス・デ・レイ(24.8km)

ポルトマリン~パラス・デ・レイ
ポルトマリン~パラス・デ・レイ

 朝6:00起床。朝食をとり、7:15出発。天気は曇っているが、雨が降る気配はなさそうだった。
 川を渡ったところでふとリュックの中にカメラと携帯の充電器があるかどうか心配になり、荷物を引っ張り出して確認する。この数日なぜか特に気になってしまう。もしこれらをなくしてしまったらカメラも充電器も使えなくなってしまうので大事なものには違いけれど、出発前にちゃんと確認しているはずだった。調べれば必ずあることはわかっているのに、何でこんなに気になるんだろう。出かける前に鍵をかけたかどうか気になって何度も確認するのと同じように、これはもう強迫性障害の一種なのかもしれない。この後はあまりに心配なときはリュックの中の写真を撮ることにした。

早朝のアルベルゲ
早朝のアルベルゲ
ポルトマリンの町を歩く
ポルトマリンの町を歩く
湖を見下ろす
湖を見下ろす
木の展望台と自分のリュック
木の展望台と自分のリュック

 巡礼路は車道沿いに延びていて、時々車道と交差している。森深いところを通り抜ける場所があって、大木にツタが絡まっているのが印象深かった。まるでもののけ姫の世界のようだ。集落では猫が気持ち良さそうに眠り、犬が寝そべっていた。昨日と同じ光景だ。

赤土の道を歩く
赤土の道を歩く
レンガ造りの工場の横を通る
レンガ造りの工場の横を通る
松ぼっくりが無造作に置かれていた
松ぼっくりが無造作に置かれていた
ツタが絡まった木々
ツタが絡まった木々
小型犬
小型犬
二匹の猫
二匹の猫

 ベンタス・デ・ナロンという町のバルで休憩。店の外のテーブルで昨日のうちに買っておいたクッキーとバナナを食べる。クッキーはちょっとだけ食べるつもりが、つい一袋食べてしまった。絶対余ると思っていたのに・・・。
 バルの庭には水の出ていない噴水があり、その周りにはニワトリやカエル、サギなどのいろいろな動物がいた。ずいぶんいろいろな動物を飼っているんだなぁ、と思ってしばらく観察してみたが、どれも全然動かない。良く見てみるとそれらはすべて置物だった。僕は少しだまされたような気分になった。

バルで休憩
バルで休憩
庭の動物たち(置物だけど)
庭の動物たち(置物だけど)

 その後も山道を進む。天気はだんだん晴れてきて暑くなってきた。巡礼者の数も一段と増えてきて、狭いところではまるでアリの行列のようだ。それを象徴するかのように、途中の町には大きなアリの彫刻が置かれていた。

十字架とキリスト
十字架とキリスト
生垣の花とカーブミラー
生垣の花とカーブミラー
木立の中を歩く
木立の中を歩く
アリの彫刻
アリの彫刻

 12:40頃、ブレアという町のバルの外にあったベンチで休憩する。そこには団体で来たツアー客が休んでいて、一人のおばさんに「韓国から来たの?」と英語で話しかけられた。僕が「日本人です」と答えると、「あら、日本からですか!」と日本語で返された。「日本人に会ったのは初めてなので、最初英語で話しかけちゃって損しちゃった」とのこと。
 彼女は「私たちはサリアをスタートして、最後の100kmを歩くという企画に参加しているの」と話してくれた。バルの前には彼らが乗っていたバスが止まっていた。彼らは個人ツアーで来ていて、全員で17人いるらしい。昨日団体でバルに入っていった人たちだろうか。
 「どこから歩いてきたの?」と聞かれたので、僕が「サン・ジャン・ピエ・ド・ポーから歩いてきました」と答えたら、「ピレネー山脈を越えて?いいわぁ~もっと若ければ私もそうしたかったわぁ。もうそんな体力はないけれど」とうらやましがっていた。それから年齢を聞かれたので、30歳だと答えると「人生の転機にはちょうどいいわね」と言ってくれた。
 おばさんは僕の周囲のツアー客の人たちに「この人日本から来たんですって!」と触れ回っていたので、自然と僕の周りには人だかりができて彼らの質問攻めに遭ってしまった。僕は思わず恥ずかしいような、くすぐったいような気持ちになった。僕自身はあまり意識していなかったが、もしかしたら僕はすごいことをやっているのかもしれない。頭の片隅では、僕は何かから逃げるためにここを歩いているという罪悪感もあったのに。
 ツアー客は中高年がメインで、女性が多かったが、一部男性もいた。彼らは「これも食べて!」と言って飴やせんべいやカステラを僕にくれた。一人の女性はリンゴもくれると言っていたが、おととい買ったものだと聞いたので、「ごめんなさい、一度胃腸炎になったので、食べ物には気をつけているんです」と断ってしまった。
 さらに最初に話しかけてくれたおばさんは僕に少なくない額のお金をくれようとした。僕が思わず断ると、「四国巡礼でもお接待と言って同じことをするから」と言ってくれたので、最終的にはそのお金を受け取ってしまった。なんだかいろいろ貰いすぎて申し訳ないくらいだった。そのうちにツアーの出発時間になり、彼らは先に行ってしまった。その時におばさんは「私のかわりに最後までがんばって!」と言ってくれた。
 しばらく休んでから僕も出発。歩いていると先ほどのツアーの人たちが僕の前を歩いていたので、再度追い抜くことになってしまった。僕が一人ひとり挨拶をしながら進んでいると、その中の一人の男性は「やっぱり歩くの速いですね」とのこと。列の先頭と最後には旗を持った添乗員さんが2名おり、「最後までお気をつけて!」と声を掛けてくれた。
 それからしばらく歩いたところで、農場の施設の写真を撮っていると、スペイン人のおじさんが指差してなにやら説明してくれた。しかしスペイン語だったのでので全く理解できなかった。おじさんは「アグア(水)」と言っていたので、僕はその施設は井戸なのかな?と思ったが、もしかしたら貯水槽なのかもしれない。農業でたくさん水を使うということなのかな。
 パラス・デ・レイの町の入り口には看板があり、そこから中心部までは3kmほどだった。このまま歩いてすぐにアルベルゲにチェックインしようかとも思ったが、お腹が空いていたので、先に昼食をとることにした。僕は一軒のバルに入り、サンドイッチを二つ頼んだ。僕が「どのくらいの大きさですか?」と聞くと、女性の店員さんは「このくらいかしら」と手で四角を作って示してくれた。
 毎日ボカティージョばかりで飽きてしまったため、今日は普通のトーストにはさんだサンドイッチを頼んだ。具材はひとつが野菜で、もうひとつがハムとチーズをはさんだものだ。両方で5ユーロ。昼食としては若干割高だけど、先ほどお金も貰ったし少し贅沢をしてもいいかもしれない。待っている時間にテレビを見ていると、その中では一般人が参加するようなクイズ番組が行われていた。どうやら穴埋めの単語を答えて、正解したら賞金がもらえるような内容らしい。出演者の一喜一憂をぼんやりと眺めていると、奥のカウンターからサンドイッチが運ばれてきたので早速頂くことにした。トーストは程よく焼けていて香ばしく、どちらもおいしかった!

昼食のサンドイッチ
昼食のサンドイッチ

 それからバルを出て少し行くと、すぐにパラス・デ・レイの町が見えてきた。パラス・デ・レイは「王の宮殿」という言葉が町の名前の由来になっているが、どのような宮殿があったかははっきりわかっていないようだ。
 町の教会を右手に見ながら坂を下る。公営のアルベルゲに泊まろうと思っていたが、場所がわからず、私営のアルベルゲを公営だと勘違いしてチェックインしようとしてしまった。そこにいた受付の人に聞くと、公営のアルベルゲの場所を教えてもらった。この先の階段を下りていった先にあるらしい。教えてもらった通りに階段を下ると、それらしき建物を発見した。
 チェックインの際に、僕の後ろには若い日本人の男性が並んでいて、彼は受付のオスピタレロとスペイン語で会話していた。僕は「まさか、カミーノを歩いているうちにここまで上達するのか?」と思って、しばらくの間スペイン語の勉強をサボっていた自分が恥ずかしくなった。僕は思わずいたたまれなくなり、「後でお話しをしましょう」と言って宿泊場所のある部屋に向かった。
 その後シャワーを浴び、洗濯をする。それから一眠りしようと思ったが、アルベルゲは大きな道路に面していたので、室内でも若干車の音がうるさく、あまりよく眠れなった。
 それからダイニングで明日の計画を立てる。僕が地図を見ながら、そこに距離や到着予想時間などの書き込みをしていると、「やあ、勉強しているのか?」とおじさんに英語で話しかけられた。彼は韓国から来たらしい。
 僕が明日の予定を立てていると言ったら、「そんなことちゃんと決めなくていいよ!」と言って、彼の持っていた一枚のぺらぺらの地図を僕に見せてくれた。おじさんはこの地図だけを頼りに歩いていて、後は行き当たりばったりでその日の宿を探しているらしい。
 それから中国の人も交えて、僕と韓国のおじさんと三人で話をした。おじさんは若い人と話がしたかったらしく、彼は一方的に喋って、僕たちはずっと聞いていた。
 話題はカミーノから韓国の社会問題へと移っていった。韓国の経済はサムスンなど一部の大企業だけが大きくなっていて、その他の中小企業は業績が悪く、雇用も非正規が中心になっていて、すぐに首を切られてしまうらしい。しかも大企業は海外にも拠点を持っているため、資金が海外に流出し、肝心の韓国にはお金が入ってこないそうだ。おじさんには二人の息子がいるが、上の息子は7回も職を変えていると言っていた。日本の社会もゆがんでいるけれど、韓国の社会も同じようにゆがんでいるようだ。
 おじさんは「日本のアベノミクスは上手くいっているけれど、今の韓国の経済は上手くいっていないよ」とため息をつきながら話してくれた。実際には日本もそれほど上手くいっているわけではないのだけど。
 そこにチェックインのときに会った日本人が現れた。彼はシャワーを浴びてきたらしく、青い甚平(じんべい)に着替えていた。彼は江川さんという名前で、大阪の大学の交換留学生でスペインに来ているという。大学ではスペイン語を専攻しているらしい。スペイン語がぺらぺらの理由もそれでわかった。カミーノを歩いているうちに飛躍的に上達したわけではなかったので、少し安心した。本人は喋れるのは日常会話程度と言っていたが、僕からしてみたらすごく喋れるように感じた。
 去年の9月に日本からスペインのマドリッドに来て、今年の6月に帰国する前にカミーノを歩いてみることにしたらしい。彼はレオンからスタートしたようだ。僕がサン・ジャン・ピエ・ド・ポーから歩いてきたと言ったら、彼はとても驚いていた。でも僕にとってはスペインに一人暮らしするほうがよっぽどすごいことだと思う。少なくとも僕にはできない。
 しばらく話した後、彼と一緒に夕食をとることにして、町の中に出かける。日中の晴天とは打って変わって、雨が降りそうな厚い雲が立ち込めていた。
 夕食の前に江川さんのクレデンシャルのスタンプが一杯になってしまっていたので、新しいものを入手しようということになった。まず町のインフォメーションセンターに寄って聞こうとしたところ、建物が閉まっていた。仕方がないので、カミーノのグッズを売っている一軒の店に入り、どこでクレデンシャルが手に入るか聞いたところ、来るときに通った教会に行けば手に入るらしい。僕たちはその教会に行き、江川さんは新しくクレデンシャルを貰った。そこではスタンプを押してくれるそうなので、ついでに僕も押してもらった。
 その後スーパーマーケットで明日の朝食を買った。青果売り場ではフジリンゴを売っていたが、スペインでは「マンサナ・フヒ」になるのが面白かった。僕は今までレジを通すときに、そのまま買い物カゴをレジのカウンターに置いていたが、スペインでは自分で商品をカゴから取り出して、一個ずつレジのカウンターに置くということを彼に教えてもらった。今まで間違ったやり方だったのか・・・。
 その後階段の近くにあるレストランに入り、夕食をとる事にした。レストランは混雑していて、他の二人の巡礼者たちと相席になった。
 僕はある程度ならスペイン語のメニューは読めるようになっていたものの、まだカンに頼って注文していた節があったので、江川さんにメニューを訳してもらってとても助かった。彼はいつも夕食のときに「カニャ・コン・リモン」という飲み物を注文するのだそうだ。日本語だと「レモン入り生ビール」といった感じだろうか。話を聞くととてもおいしそうだったので僕も注文してみた。飲んでみると確かにこれはおいしい!炭酸は入っていないけれどチューハイのような感覚で飲める。それほどアルコール度数も高くないので、これならいくらでも飲めそうだった。
 僕はサラダと牛肉のステーキ、ヨーグルトを食べた。江川さんは14:00頃にお昼を食べたので、まだあまりお腹が空いていないようだった。彼の頼んだ魚料理がおいしそうだったので少し分けてもらう。これはメルルーサという名前の白身魚で、タラの一種だそうだ。

夕食のサラダ
夕食のサラダ

 その後は、スペインの王様が高齢のため辞めることを考えていて、その地位を息子に譲りたいと言っているが、そのための法律がまだできていないということとか、ジブラルタル海峡を挟んだモロッコの先端にあるセウタという飛び地のスペイン領で今もめているだとか、江川さんはいろいろな話をしてくれた。
 僕は巡礼初日から今まで長い間謎だった「ボナペティート」という単語の意味について江川さんに聞いてみた。彼によると、それは「ブエン・アペティート」で、スペイン語で「召し上がれ」という意味だという。今まで「おいしい!」という意味だと勝手に思い込んで使っていたので、今更ながら使い方を間違えていたことにようやく気づいた。
 それでは料理がおいしかったときはどう言うのかというと、「ムイ・ビエン!」か「リコ!」か「デリシオソ!」を使うといいらしい。ちなみに「リコ」の「リ」は巻き舌で、彼は上手に発音していた。
20:30頃宿に戻る。僕が日記を書こうとダイニングに行くと、江川さんもそこで日記を書いていた。まさか日記までスペイン語で書いているのかと思って聞いてみると、日本語で書いているようだった。彼は今後の計画についていろいろ考えていたらしい。
 僕は今後の予定を彼に話した。明日は28.9km先のアルスーアという町に行き、明後日に34.4km先のモンテ・ド・ゴソという町に行くことにしていた。そこまで行けばもうサンティアゴまでは目と鼻の先だ。サンティアゴでは12:00からミサがあるので、ぜひともそのときまでに着いておきたかったからだ。
 僕がその予定を話すと、彼は迷っているようだった。とりあえず明日は僕と同じアルスーアまで歩こうと決めたようだ。
 寝室に戻って、22:00頃就寝。

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