夜中に起きたら寒い!明け方目が覚めてそれから良く眠れなかった。これで毛布がなかったら危うく凍えるところだった。暖房は付いているようだったが、どうやらその温度が低いようだった。
6:00起床。朝食をとり、宿を出発したのが7:40頃。起床時間はいつもあまり変わらないのに、どんどん出発が遅くなるのはなぜだろう。これ以上遅くなるのはまずいので、明日から意識して、何に時間がかかってしまうのか考えて、もう少し出発までの時間を短縮しよう、と思う。でも時間を計るのはまるで仕事をしているみたいで嫌だったけれど。
その後はアスファルトの道を歩き、しばらくして土の道に変わる。両側は相変わらず赤土の畑だ。今日は非常に寒かった!晴れてはいるが、太陽が雲に隠れている。
しばらく歩いた先にあるビジャバンテという町のベンチで休憩し、バナナを食べる。それから町のバルに立ち寄った。そこにはスタンプが置かれており、クレデンシャルに自由に押すことが出来たが、あまりにも寒かったので手がかじかんで上手く押せなかった。10:00頃バルを出発。町外れには巨大な給水塔があった。
その後畑や牧草地の中を通り、オスピタル・デ・オルビゴの町に着いたのが11:00頃。教会の塔の上ではコウノトリが巣を作っていた。
この町に入る前にはオルビゴ橋という長い橋を渡る必要がある。この橋は以下のような伝説がある。
聖なる年1434年、レオノール・トパール姫の恋の虜となったレオン出身騎士ドン・スエロ・デ・キニョネスは、その愛の証として9人の騎士(10人との説もあり)と共にこの橋を通ろうとするものと戦い、1ヶ月の間誰もこの橋を渡らせないか、300本以上の槍を折る(勝利する)と宣言した。7月10日から8月9日まで(中略)挑戦者と戦い抜き、見事に1人として橋を通さず、誓いを守ったという。(中略)なお、ドン・スエロは166本の槍を折る、すなわち166回勝った後、サンティアゴ巡礼の旅に出て、レオノール姫の腕輪をサンティアゴの大聖堂に奉納したという。(日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会「聖地サンティアゴ巡礼」より)
僕が橋を渡ろうとすると、一人の巡礼者が「ちょっと待って」と言っていた。どうやら彼は橋の写真を撮りたかったらしく、僕が邪魔になってしまうようだった。しばらく待って彼は写真を撮り終え「ありがとう」と言ってくれたので、僕も渡ることにした。
まだ今日は15kmほどしか歩いていないが、ここからアストルガまではまだ16.2kmあり、その間は小さなアルベルゲが点在しているだけだったので、今日はここでストップすることにする。
この町には最大90人が宿泊可能な、そこそこ大きなアルベルゲが存在する。まだチェックインには時間が早いなと思ったが、とりあえずダメ元でそこに立ち寄ってみた。門を入ったところには中庭があり、一面の壁には大きな壁画が描かれていた。別の壁には世界史の資料集のように、世界で起こった出来事が時系列順に並べられているパネルが何枚も掛かっていた。
中庭には柔らかい白いソファが置かれており、そこにオスピタレロの男性が座っていた。今日は寒いので、彼は日の当たる場所で日光浴をしていたらしい。彼にチェックインが可能か聞いたところ、OKをもらえたのでその場でチェックインする。当然僕が一番乗りだったので、部屋の奥の下段のベッドを確保することができた。
その後バルに立ち寄り、ボカディージョ・トルティージャの昼食を食べる。バルのテレビではマスターシェフという番組をやっていた。赤青2チームに別れてスキー場でお弁当を作り、最後に審査員が審査するという内容で、最終的には赤チームが勝っていた。似たような番組が日本にもあるのは気のせいだろうか。
その後シャワーを浴び、洗濯をして一眠りする。それから町の中に出かけていき、町に入るときに渡ったオルビゴ橋の絵を描くことにした。レオンで描けなかった分、今日は時間をかけて橋を描こうと思った。しかし河原の石や橋の石組みの様子を細かく描いていると、全然時間が足りなくなってしまった。
2時間半程かけて、ようやく線画だけ描くことができた。最初はその時間で色塗りまで完成させていたのに、どんどんのろまになってしまっている。僕はそれに対して少し不満を感じてしまっていた。
17:00頃スケッチを切り上げ、商店に買い物に行く。なるべくキッチンが混む前に料理しようと思ったけれど、この時間にはもうすでに他の巡礼者たちで一杯になっていた。日記を書きながらキッチンが空くのを待っていると、先客が料理を終えて一つコンロが空いたので、僕も作ることにした。メニューはレトルト食品のパエリア、粉末をお湯に溶かした野菜スープ、パン、ヨーグルトだ。昨日とほとんど同じで、代わり映えがしなかった。
一緒にキッチンを使っていた人たちに、「ジャガイモをたくさん切りすぎて余ったから使っていいよ」と言われたので、スープの中に入れることにした。でも僕が使ったのはほんのわずかで、まだ大きいボウルに一杯に入っている。残りは捨てることになるんだろうな。もったいない。
キッチンとダイニングは狭かったので、作った料理を中庭に運び、そこに置かれていたテーブルで食事をした。そのときにイギリスから来た高齢の男性と会話した。彼はもう引退しているが、以前はロンドンで本や地図を売っていたらしい。そのため地理に詳しく、僕の出身地である横浜の場所も知っていた。
その後アルベルゲの外が騒がしいので通りに出てみると、そこには音楽団が来ていた。彼らは笛や打楽器などで演奏をし、それに合わせて踊り手が民族衣装でフラメンコを踊っていた。大人たちの中に混ざって、数人の子供たちもいた。アルベルゲに宿泊していた巡礼者たちも集まってその様子を眺めていた。一通り踊りが終わった後、彼らは集合写真を撮り、隊列を組んでまた別のところに出かけていった。
その後20:00からアルベルゲの近くにあった教会で行われるミサに参加した。しかし形式張った印象を受けて、あまり面白くなかった。フロミスタやカリヨン・デ・ロス・コンデスで体験した「祝福」と「身近な感じ」が好きだったので、普通のミサには少し飽きてしまい、満足できなくなってしまったのかもしれない。
今日はやっぱりもう少し先に行くべきだったかなぁ。なんだか今日はここに泊まることについて「違和感」を感じてしまっていた。一番大事なのは絵を描くことなのか、それとも少しでも先に進むことなのか。優先順位のつけ方に迷っていた。それに加えて残りの日数が少なくなるにつれて、少しずつ焦りのようなものを感じ始めていた。
22:00就寝。