5月7日(水) サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ~トサントス(27.7km)

サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ~トサントス
サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ~トサントス

 6:00起床。朝食をとり、朝7:15出発。背後から登ってくる朝日が綺麗だ。昨日スケッチした橋を渡り、サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダの町を抜ける。
 今日もいつもと同じような麦畑の中を歩く。このところあまり風景の代わり映えがしない。途中の用水路には、「WHY ARE YOU WALKING?(なぜ歩いているの?)」と大きく書かれた落書きがあった。

昨日スケッチした橋を渡る
昨日スケッチした橋を渡る
羊の大群
羊の大群
なぜ歩いているの?
なぜ歩いているの?
巨大な十字架
巨大な十字架

 グラニョンという町を過ぎると、巡礼路はラ・リオハ州からカスティージャ・イ・レオン州に入る。カスティージャ・イ・レオン州はスペインの北西部にあり、スペインでもっとも大きな州だ。
 今日は昨日と違ってよく晴れていたので、しばらくすると暑くなってきた。出発するときは寒いくらいなので、体温調節が難しい。日陰になるところがないので、日差しがきつい。帽子を買ったほうがいいかなぁ。

アルベルゲの前のぬいぐるみ
アルベルゲの前のぬいぐるみ
サンティアゴまであと555km
サンティアゴまであと555km

 レデシージャ・デル・カミーノという町でバルに立ち寄り、トイレを借りる。そこでパンプローナの先で会ったロバを連れて歩いている人と再会を果たす。ロバの名前はエーサ君(性別は不明だけど、とりあえず君付けをしておく)というらしいが、肝心のロバを連れている人の名前は聞けなかった。そこでアソフラで一緒に歌を歌ったフランソワーズさんとも再会を果たす。彼女は年配の人なのに元気そうだ。しばらく歩きながら「今日は暑いですね~」という会話をした。

レデシージャ・デル・カミーノの町
レデシージャ・デル・カミーノの町
ロバを連れている人と再会
ロバを連れている人と再会

 町を出て僕が周りの風景の写真を撮っていると、女性二人に声をかけられた。彼女たちいわく、僕の写真を撮ってくれると言う。しかしカメラのシャッターが上手く下りなかったようで、後で確認したら撮れていなかった。僕の持っていたデジカメは、電源を入れてからしばらくの間は何度かシャッターを押さないと上手く切れないのだ。これはデジカメの機能が悪いのであって、彼女たちが悪いわけではない。僕が残念がっているのを見て、彼女たちは「逆光だった?」と気にしていたようだけど。
 風景が単調だったので、頭の中では取り留めのないことが浮かんでは消えていた。それからなぜかラピュタの「君を乗せて」がリピートしていた。これは旅をしているときにはぴったりの歌なのかもしれない。
 ビロリア・デ・リオハという町で休憩。巡礼路の脇ののベンチに座り、昼食をとることにした。昨日のうちにカットされた柔らかいパンを買っていたので、それにミニカップサイズのジャムをつけて食べた。悪くない味だったけれど、すぐに飽きてしまった。
 そこから巡礼路は国道120号線沿いに沿って伸びている。国道の横の砂利道をひたすら進む。車道と歩道が分離されているので危険に感じることはないが、国道はトラックも頻繁に通るので、あまり静かに歩くことは出来ず、少しうんざりした気分になってしまった。

麦畑の中を歩く
麦畑の中を歩く
国道の横の巡礼路
国道の横の巡礼路

 ベロラードという町に着いたのが12:30頃。ここには数件のアルベルゲがあり、町の入り口には100人近く泊まれる公営のアルベルゲがある。敷地内にはテラスがあり、巡礼者たちがパラソルつきのテーブルのベンチに腰掛けて休憩していた。宿泊する人でなくても休憩できたので、僕もベンチに腰掛けて一休みした。すると突然強い風が吹いてきて、僕のテーブルに差してあったパラソルがポールから抜けて飛んでしまった。慌てた僕が上手く直せずに困っていると、近くにいた巡礼者の人がパラソルをひょいと持ち上げて元通りに直してくれた。
 休憩後まだ時間が早かったので、その先のトサントスという町まで歩くことにした。僕の前を歩いている人は二匹の小型犬を連れて歩いていた。彼はずっと僕の前を歩いていたので話せなかったが、やっぱり彼の飼っている犬なのだろうか。

ベロラードの教会
ベロラードの教会
二匹の犬
二匹の犬

 14:00頃にトサントスの町に到着。小さな町だった。村と言ったほうがいいかもしれない。
 ここの町にある私設のアルベルゲは、寄付(ドナティーボ)によって成り立っている。そのためチェックインのときに宿泊費や食事代を請求されることはなかったが、それは巡礼者の良心に任せているだけであって、決して無料で宿泊や食事が出来るわけではない。現に一階のロビーには寄付金を入れる箱が置かれていた。
 このアルベルゲではいろいろなルールがあり、チェックインの際に説明された。夕食前に近くの教会に行くツアーがあるので、興味があれば参加すること。夕食はみんなで作り、一緒に食べること。夕食後はお祈りをするか、食器の片づけをすること、などである。時間も決められており、ルールが日本語で書かれたメモ用紙もあった。マイペースで物事を進めたい僕はあまり細かいルールがあるのは好きではなかったが、それに従わないわけにはいかなかったので了承する。

日本語の予定表
日本語の予定表
アルベルゲの前にロバがいた
アルベルゲの前にロバがいた

 それから二階までオスピタレロの人に案内される。彼にリュックを運んでもらったが、とても重かったらしく「石でも入っているのか?」と聞かれてしまった。
 このアルベルゲは一階が食堂やキッチンになっており、二階と三階が宿泊施設だ。ここは一般的なアルベルゲと違ってベッドがなく、おのおの備え付けのマットレスを床に敷いて、そこに寝袋を敷いて寝るようだった。僕も部屋の隅にたくさん積まれていたマットレスから一枚取って床に敷き、自分の寝床を確保した。それからシャワーを浴び、洗濯を済ませ、一眠りする。
 その後はアルベルゲを出て町の中を散歩することにした。近くには小川があり、いい感じの落ち着ける場所だったので、そこの土手の平らな石に腰掛けてスケッチする。でも実際に描いてみようとすると、あまりうまく描けなかった。小川の土手には植物が密集していたが、これはどうやって描けばいいのかわからなかったからだ。全て描こうとするとそれこそ気の遠くなる作業になってしまう。どうやって上手く省略すればいいんだろう。
 結局試行錯誤しながら2時間ほどかけて線画だけ描き、色は後で塗ることにすることにした。だんだん線画しか描いていない絵がたまってきているなぁ、と思う。絵を描くのに夢中になっていたので、近くの教会のツアーのことはすっかり忘れてしまっていた。

小川
小川
小川のスケッチ(後日加筆あり)
小川のスケッチ(後日加筆あり)

 アルベルゲに戻ると、中庭で巡礼者の人たちがくつろいでいた。今日泊まる人たちは韓国の若い人たちが多く、彼ら同士でグループを作って話していた。また、午前中に会ったロバを連れてきた人もいた。彼も今日はここに泊まるようだ。彼はギターを持っていて、演奏したり、韓国から来た人懐こそうな男性(彼の名前を教えてもらったけれど忘れてしまった)と一緒に写真を撮ったりしていた。ロバは中庭の杭にロープでつながれおり、重そうな荷物から解き放たれて、気持ちよさそうに草を食んでいた。ロバは僕はそのロバを見てノートにその絵を描いた。

エーサ君…だったよね
エーサ君…だったよね
韓国の男性とギターを弾く巡礼者
韓国の男性とギターを弾く巡礼者

 その後みんなで夕食を作る時間になった。が、ここで問題発生。なんと水が断水してしまっていたのだ。近くで水道の工事をやっているのかもしれない。僕たちが困っていると、オスピタレロがどこからか水を大きい鍋に入れて調達してきた。
 それからオスピタレロの指示のもと、みんなで手分けして料理を作る。僕も野菜やハムの具材を切るなどの手伝いをした。メニューはトマトソースのパスタとサラダという、カミーノでは定番の料理だ。水が止まっていたのでみんな手を洗わずに調理。衛生的に大丈夫なのだろうか、と不安になる。夕食前までは断水が直り、水が出るようになった。
 その後料理を盛り付け、ダイニングに移動してみんなで夕食をとる。総勢で20名ほどの人たちが、長いテーブルを囲むように座った。料理はそれなりにおいしかったが、どんな話をしたか覚えていない。韓国から来た人が多かったので、あまり彼らとは話せなかったからだ。
 それからオスピタレロから説明を受ける。「これから夕食後のお祈りをします。希望者はついてきてください。お祈りをしない人は食器の片づけをするように」とのこと。クリスチャンでなくてもお祈りに参加して良かったので、僕もオスピタレロの後をついていくことにした。屋根裏の一室に案内され、小さい入り口を入って部屋の中に入る。
 部屋は12畳くらいの大きさで、正面の壁にはキリストの像が掲げられていた。参加者は僕も含めて10人くらいだろうか。みんなが入ると狭い部屋は一杯になった。たくさんいた韓国の人たちは参加せず、食器の片づけをするらしい。
 そこでまず「皆さん目をつぶって、お祈りをささげましょう」と言われた。その後一枚一枚紙が手渡された。紙にはそれぞれの言葉でお祈りの言葉が書かれていた。日本語版もあったので、僕はそれを受け取った。
 それから参加者は一人ずつその言葉を読み上げていった。僕の番になったので、紙に書かれている言葉を読んだ。それは「黄色い矢印に沿ってカミーノを歩く。それは神様によって導かれるのだろう」といった内容だった。「いやいや、黄色い矢印を描いたのは神様じゃなくて人間の誰かですから」と言う突っ込みはあまりにも野暮なので、心の中にとどめておいた。
 その後ロバを連れた人がギターを弾きながら賛美歌を歌い始めた。「♪ナダーレテューレー、ナダレーファンデー」というフレーズが印象的だった(耳コピなのであまり正確ではないけれど)。お祈りが終わった後、ロバの絵を歌のお礼として彼に渡した。
 その後二階の寝室に戻る。この頃から喉がかなり痛くなり、「あ、やばいな」と思い始める。これは風邪を引く前兆なのだ。とりあえず日本から持ってきた風邪薬を飲み、就寝。明日には体調が良くなっているといいけど。

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