4月30日(水) シスール・メノール~プエンテ・ラ・レイナ(21.8km)

シスール・メノール~プエンテ・ラ・レイナ(※地図上のルートと巡礼路は一部異なります)
シスール・メノール~プエンテ・ラ・レイナ(※地図上のルートと巡礼路は一部異なります)

 明け方に目が覚めてうとうとしていると、昨日の夕食の席で言われた言葉を思い出して眠れなくなってしまった。なぜ僕は歩いているんだろう?という問いと、昨日うまく答えられなかった後悔とが頭の中でぐるぐると回転していた。
 そんな中で、ふと僕は自分に欠けているものを探すためにカミーノを歩いているのではないだろうか、と考えた。例えば「オズの魔法使い」の登場人物にとって欠けているものを埋めてもらうような旅をしているのと同じように、僕も何か欠けているものや足りないものがあるのではないだろうか。もちろん今までの経験からそれがあることは十分に思い知らされていたけれど、もっと根本的に人間として欠けているものがあるのかもしれない。しかしその根本的なものが具体的には何なのかわからなかった。そしてサンティアゴに着いたときに、その欠けているものは埋まっているのだろうか、と考えた。
 6:00起床。ダイニングに置かれていたスペイン語の新聞を読みながら朝食をとる。と言っても写真を眺めるくらいでほとんど読めなかったけれど。
 7:00出発。今日はプエンテ・ラ・レイナという町まで行く予定だ。外は曇っていてまだ薄暗い。町の中では、巡礼路の両側に菜の花が咲き乱れていて、とても綺麗だった。それから町から離れ、麦畑の中の一本道を歩く。北海道の美瑛は一度旅行で訪れたことがあったが、その景色とまさにそっくりだった。でも順序が逆でそもそも美瑛がヨーロッパの雰囲気に似ているだけのかもしれない。

早朝のアルベルゲ
早朝のアルベルゲ
公園の中を通る
公園の中を通る
菜の花の小道
菜の花の小道
振り返ってみた
振り返ってみた

 8:00頃から日が差してきた。畑に日の光が当たってそこだけ色が変わっていた。とても爽やかな空気だ。「綺麗な景色は・・・確かスペイン語でブエナ・ビスタだったな」と思いながら歩く。日本の競走馬にもブエナビスタという馬がいたが、やっぱりスペイン語が由来なのだろうか。

日が差してきた
日が差してきた
木陰のベンチ
木陰のベンチ
一本道
一本道
鉄パイプで作られた十字架
鉄パイプで作られた十字架

 サリキエギという町を過ぎたあたりからだんだん登りの山道になる。見晴らしはとても良いけれど勾配はきつい。ペルドン峠の近くでは風が強く、霧が発生していた。そこでは風力発電の風車がたくさん回っていて、山の稜線に沿ってずらりと風車が並ぶ姿は壮観だった。近づくと「グワン、グワン」という風車の板が風を切っている音が聞こえた。日本ではあまり見られない光景だ。

登り道の先に風車が見える
登り道の先に風車が見える
ずらっと並んでいます
ずらっと並んでいます

 峠のてっぺんには鉄の板でできた巡礼者のモニュメントがあり、まるでそのモニュメントは向かい風を受けて歩いているようだった。その峠はとても見晴らしが良く、これから進む風景を見下ろすことが出来た。広大な麦畑の中に、はるか先まで巡礼路の一本道がくっきり見える。しばらくの間、時間を忘れて見入ってしまった。

巡礼者のモニュメント
巡礼者のモニュメント
これから進む風景
これから進む風景
たくさんの石が積まれていた
たくさんの石が積まれていた
黄色い花
黄色い花

 峠を下りてそのまま5.3kmほど進むと、ムルサバルという町で巡礼路は二つに分かれる。そのままプエンテ・ラ・レイナに向かう道と、少し遠回りになるがエウナテという町を経由していく道だ。フランス人の道の正規ルートは前者だが、僕はあえて後者の道を選んだ。それはエウナテには聖墳墓教会という建物があり、「中世の趣を残してあり、訪れる価値はある」と日本語のガイドブックに書いてあったからだ。
 エウナテに行くにはまず「アラゴンルート」という別の巡礼路に出る必要がある。地図上ではそれほど遠回りには見えなかったが、実際に歩いてみるととても遠く感じた。歩いている人もほとんどいなかったし、道案内の黄色い矢印も少ないので道がわかりにくい。強い日差しが差す砂利道をひたすら進む。これで教会がたいしたことなかったら、もうガイドブックなんか信用しないぞ!
 しばらく歩いていると、麦畑の中にぽつんと建った教会が見えてきた。このエウナテの聖墳墓教会は上から見ると八角形の独特な形状をしている。ロマネスク様式の教会で、巡礼途中で行き倒れた巡礼者たちを葬った場所だと言われている。
 ちなみに巡礼路上の教会は大きく分けて二つの建築様式がある。それはロマネスク様式とゴシック様式だ。ロマネスク様式は11~12世紀に西ヨーロッパで誕生した、シンプルな外観が特徴的な建築様式だ。外壁は石を分厚く積み上げて作られている。内装もシンプルで派手な装飾がなく、素朴な味わいがある。それと対照的なのが、その後12世紀半ばに現れたゴシック様式だ。こちらは凝った装飾と派手な内装が特徴的で、教会内に入ると圧倒される雰囲気がある。

誰も歩いていない…
誰も歩いていない…
聖墳墓教会に到着
聖墳墓教会に到着

 教会の中に入ってみると、そこでは賛美歌が流れていた。日本人にとってはお寺でお経のテープを流すような感じなのだろうか。正面の右側には、ジョニー・デップに似ているキリストの絵が飾られていた。僕の他にはスペイン人のカップルしかおらず、とても静かな場所だった。居心地が良かったので、教会の長椅子に座ってしばらくぼーっとしてしまった。
 教会を出ると、そこに先ほどのスペイン人のカップルがいて、「写真を撮ってくれない?」と聞かれたので写真を撮った。それから教会の周りをぐるりと回ってみることにした。裏手に回ったところは芝生になっており、そこにベンチもあった。風が心地良く静かでとても落ち着ける場所だったので、当初の予定にはなかったけれど、ベンチに座ってスケッチをすることにした。
 簡単そうに見えたけれど、実際に描き始めると非常に難しかった!それはこの教会は上から見ると八角形の形をしている建物なので、それを横から見ると屋根に微妙な角度が付いていたためだ。いつも下書きをせずにいきなりペンで描き始めることにしているが、一度間違えたときに直せないので、こういう建物は緊張する。

エウナテの教会
エウナテの教会
エウナテの教会のスケッチ
エウナテの教会のスケッチ

 一時間半ほどスケッチして線画だけは何とか完成させた。まだ完成ではなかったが、時間が遅くなったので色塗りは後回しにして、急いで今日の目的地のプエンテ・ラ・レイナの町に向かう。
 そのままアラゴンルートを通り、プエンテ・ラ・レイナの町に到着。町の入り口にはサン・ジャン・ピエ・ド・ポーに向かうときに一緒になった韓国人の夫妻がいたので、巡礼者像の前でお互いに写真を撮りあった。この像には「ここから全ての道はひとつとなりサンティアゴに向かう」と書かれている。この街で「フランス人の道」と「アラゴンルート」が合流するからだ。
 プエンテ・ラ・レイナというのはスペイン語で「王妃の橋」と言う意味だ。そんな町の名前の由来になった橋を渡る。この橋は11世紀に造られたが、まだ現役で使われているらしい。驚きだ。

プエンテ・ラ・レイナの町並み
プエンテ・ラ・レイナの町並み
王妃の橋(写真は次の日撮ったもの)
王妃の橋(写真は次の日撮ったもの)

 泊まろうとしたアルベルゲは橋を渡って、町を抜けた少し小高い丘の上にある。最後に上り坂を登らないといけないのがきつかった。
 15:00頃、ようやく目的のアルベルゲに到着。建物は平屋建てで、麦畑の中にあった。出迎えてくれたのは少し太った黒人の男性だった。チェックインのときに「パスポートを見せて!」と言われたので渡すと、専用の機械で顔写真をスキャンしていた。
 彼はパスポートを僕に返した後、一通りアルベルゲの説明をしてくれた。彼によると、このアルベルゲでは夕食と朝食も用意してくれるという。しかしスペイン語で説明されたので、僕が理解できずに戸惑っていると、彼は「エスタ、エスタ、エスタ、エスタ!(これ、これ、これ、これ!)」と、メニューを指差して説明してくれた。どうやら4種類のメニューの中から選べるようだ。
 チェックイン後、お腹が空いたので町中を歩いたが、いいところが見つからず、結局宿に戻ってバナナを二本買って食べた。それからシャワーを浴び、洗濯をして一眠りする。廊下には先ほど渡った王妃の橋の大きな油絵が飾られていた。一見すると写真のようで、とても達者な絵だった。
 夕食の時間になると、数十名の巡礼者たちがダイニングに集まっていた。僕もその席に加わり、一緒に食事をした。
 僕の隣には高齢の女性が座っていた。彼女は「雨の日に歩くほうが好き、雨の音や土のにおいが感じられるから」と言っていたが、それはどうかなぁ。
 また、僕の目の前には若いカップルが並んで座っていた。彼らの話によると、男性がフアンさんという名前で、スペインのアンダルシア出身であり、女性がアマンダさんで、キューバ出身なのだという。スビリで話したフアンさんとは同じ名前だが、また別の人だ。英語でもジョンさんが多いように、フアンさんもスペインでは一般的な名前であるらしい。
 スペイン人は一般的に陽気でおしゃべりなイメージがあるが、フアンさんはシャイな人だった。そのためアマンダさんが一方的にしゃべり、彼がそれに対して小さい声で返すのが面白かった。アマンダさんが出身のキューバでは主にスペイン語が使われているが、彼女は英語もしゃべれるので、フアンさんがスペイン語で言ったことを英語で通訳してくれた。
 フアンさんは写真を撮るのが好きらしい。一眼レフで撮った写真を見せてもらったが、どれもプロのように綺麗な写真だった。アマンダさんは「私にはこんな写真は撮れないわ」と言っていた。そのうちの一枚にトンネルの中の写真があり、トンネルの中の水溜りが光を浴びて偶然矢印のように見え、その先に巡礼者が歩いている写真があった。彼もその写真を気に入っていて、「これはミラクルだ」と自慢していた。
 話の流れから僕もスケッチブックを見せることになったので、リュックから取りだして持って行った。アマンダさんが手を伸ばして受け取るようなしぐさを見せたので、僕が冗談で隠すようなしぐさを見せると、「勇気を持って見せて!」と言われてしまった。
スケッチブックを見せると、アマンダさんは「わーお!」ととても驚いてくれた。「細かくて、とても綺麗ね。私が描くとまるで子供が描いたみたいにぐちゃぐちゃになっちゃうわ」。それを聞いたフアンさんは「まるでピカソのようにね」と付け足していた。 そのうちオーストラリアから来たおじさんたちも集まってきたので、結局その日は夕食の席にいた半分くらいの人にスケッチブックを見せることになってしまった。
 それから21:00頃に洗濯物を入れようとすると、ちょうど麦畑の向こうに日が暮れるところだった。

午後9時頃に日が暮れる
午後9時頃に日が暮れる

 22:00ごろ就寝。

←前の日(パンプローナ~シスール・メノール)
→次の日(プエンテ・ラ・レイナ~エステージャ)